別役実『象』の魅力:普遍性と時代性

別役実の戯曲には時代を超えた普遍性がある。『象』の初演は一九六二年だから、もう五十年近く経過したわけだが、これまでも何度となく再演されてきただけでなく、五十年後、百年後も上演され続けるだろうし、そのようなものとして日本現代演劇史に名をとどめることになるはずだ。
写実的な台詞のやりとりが続くなか、ふとした拍子に日常の裂け目から顔を覗かせる狂気を描く、という別役の一貫した作風は、一九七〇年代のアメリカ小説でいえばミニマリズムとよばれたものである。その旗手の一人であるレイモンド・カーヴァーの小説が日本で読み継がれているのは、幻想と現実の絶妙なブレンド具合を私たちがリアルだと感じるからだ。同様に、別役実の世界の魅力とは、私たちが日常生活のなかでどれだけ妄想を肥え太らせ、抱え込み、そしてそのせいで身動きがとれなくなるか、ということを骨身に沁みるように私たちに知らしめるところにある。『象』の病人が自分の背中のケロイドに拍手喝采を送る町の人々についての自分の妄想を語るとき、私たち観客は主人公の「男」と同じく、彼のことを「イタい」「サムい」と思い、「引いて」しまう。しかしほとんど同時に私たちは、自分たちも同じように思い入れのある対象について妄想を膨らませ、希望的観測を込めて語ることに気づき、愕然とする。
演劇評論家の菅孝行が『想像力の社会史』 (一九八三年)で指摘したように、『象』のおにぎりの食べ方談義に代表されるトリヴィアリズムもまた、別役実の変わらぬ魅力の一つである。どうでもいいことにこだわり、_^蘊蓄【うんちく】^_を傾けてみせる別役戯曲の登場人物たちは、滑稽であるだけでなく、どこかもの悲しい。彼らが些細なことに夢中になるのは、一種の現実逃避であり、「肝心なこと」に向き合えずにいることの裏返しなのだ、と私たちは直感的に悟り、笑いとともに寒々とした思いを抱く。もっとも『日々の暮し方』などのエッセイを読むと、別役本人も下らないことに拘泥するのが好きなことがよくわかるから、ここでは作家の生来の資質が、登場人物に対する批評的距離を示す装置に転化している、とは言えそうだ。
それからこれは誰も指摘したことがないと思うけれど、別役実の戯曲中の会話には、昭和三十年代の落語や漫才のリズムが感じられる。別役は八代目三笑亭_^可楽【からく】^_(一八八九ー一九六四)が好きだったことをあるところで語っているが、可楽や八代目林家正蔵、五代目柳家小さんといった、描写のうまさよりも語り口の淀みなさで人気があった落語家たち、あるいは獅子てんや・瀬戸わんやといった、後年の横山やすし・西川きよしのような「変拍子」漫才ではない、一定のテンポで言葉をやりとりしていく漫才コンビたちのリズムが戯曲に移しかえられているのだ。これもまた、別役戯曲がいつまでも古びない理由の一つだと思う。なぜならこのリズムとは、昭和初期から演芸の世界で徐々に形作られてきた人工的で抽象的な東京弁の口語のリズムだからだ。言葉は時代とともに移りゆくが、舞台の上でしか話されない、このちょっと気取ったよそ行きの言葉は、最初から現実とは関係がないゆえに普遍性を持つのである。
とはいえ、別役作品が時代性の刻印を帯びていないわけではない。むしろ逆である。ミニマリズムが六〇年代政治の季節の高揚感に対する「シラケ」の表現であったように、自我肥大し、幼児的な自己全能感に囚われた指導者たちによって徒に過激化した学生運動とその挫折は別役実に大きな影響を与えた。とりわけその初期作品において、声高に主張される「大文字の正義」に対して、小声でぼそっと「それは違うよ」とつぶやく、という別役の独特のスタイルはその直接の所産になっている。
『象』もまたそのような作品である。背中のケロイドを見せびらかし、人々の歓心を買おうとする被爆者という造形は、それ自体が米ソの相次ぐ核実験に呼応して盛り上がっていた当時の国内の原水爆禁止運動に冷水を浴びせるようなものであり、またこの作品を発表するにあたって別役自身も相当緊張していたことが初演プログラムに寄せた筆者の言葉でよくわかる。だがそれでも別役は原水爆禁止運動の展開について違和感を持ち、批判を覚悟の上でそれを表明せざるを得なかった。次第に党派性を帯び分裂していく現実の運動体に対する不信もあっただろうが、若き別役が感じ取っていたのは、もっと根源的な「表象」に対する不信だろう。人類史上もっとも残虐非道な暴力について語り、「再現」しようとすることの本質的な_^猥褻【わいせつ】^_さ。それは後年、アウシュビッツ収容所についての証言で構成されたドキュメンタリー『ショア』の監督クロード・ランズマンが、スティーブン・スピルバーグの『シンドラーのリスト』について投げかけた不信の念と同じ性質のものである。ナチスによるユダヤ人虐殺を「悲劇の物語」として消費してしまうことと同様、被爆者の言語化できない思いをわかりやすい言葉として流通させることは不謹慎なのではないか。いや、もっといえば、被爆者の中には、この作品の「病人」のように、手段と目的を取り違え、不毛な生を埋め合わせるために被爆体験を語るようになってしまった者もいるのではないか。別役は残酷だが鋭くそう問いかけている。
プリーストリー『夜の訪問者』の影響が見てとれる『マッチ売りの少女』(一九六六年)もそうだが、このように初期別役戯曲には「偽善の告発」という主題があった。当時は「善きことをしよう」という意志が社会のなかで勢いをもっていた分、その「善きこと」がたやすく「偽善」になりうる可能性を持っており、まだ若かった別役にはそれが耐え難く感じられたのだろう。現在では、「善きことをしよう」という意志がそれほど大きくは見られないので、「偽善の告発」の主題は見えにくくなっているかもしれない。ましてや、原水爆禁止運動をめぐる緊張した情勢などはなかなか伝わりにくい。だが別役の戯曲の面白さとは、時代を超えた普遍性だけでなく、刻印された時代性にもある。今回の上演ではその両方が楽しめることを願ってやまない。

新国立劇場『象』公演パンフレット, pp. 16-17(20103月)

昭和期の文化:「古さ」と「新しさ」のモザイク

文学・演劇・音楽・美術・映画・建築・風俗・スポーツと多岐にわたる昭和の文化を見ていくと、私たちはそこに「古さ」と「新しさ」が共存し、私たちが抱いている時間の遠近感が狂わされるように感じる。海野弘『モダン都市東京・日本の一九二〇年代』や、五十殿利治『日本のアヴァンギャルド芸術<マヴォ>とその時代』などが詳述するように、昭和初期のモダニズムは八十年以上前のものなのに、現代でも通用する新しさを持っている。一方、『仁義なき戦い』をはじめとする任侠映画が人気を博したのは一九七〇年代であり、六〇年代高度成長時代に粗製濫造された植木等主演『日本一』シリーズの和風ミュージカルの人気が凋落したあとに東映のドル箱になった。昭和の文化では、一見新しいものは古く、一見古いものが新しい。

いや、もっと正確に言えば、文化全体だけではなく、一つの作品の中にも「古さ」と「新しさ」は共存している。映画評論家の佐藤忠男が指摘したように、『沓掛時次郎』(一九二八)を書いた長谷川伸が生み出した「股旅物」というジャンルは、昭和初期から一九六〇年代に至るまで、小説・戯曲・映画・テレビで人気を呼び、日本古来の義理と人情を描いた、ということになっているが、じつは当時最新のアメリカの西部劇映画の物語の枠組みを借り、設定だけを日本に移したものだった。昭和初期のヒット曲「道頓堀行進曲」はいわゆるヨナ抜きの日本音階をジャズとして演奏したものだったし、民族音楽学者の小泉文夫が示したように、ピンクレディーの『ペッパー警部』はわらべうたの旋律に依っていた。ダダイスト高橋新吉の有名な詩「るす」は「留守と言へ/ここには誰も居らぬと言へ/五億年経つたら帰つて来る」は、宇宙的な広がりを感じさせるウルトラモダンなものだが、五億年とは弥勒菩薩が地上に現れるまでの期間のことだと知れば、この作品が伝統的な仏教信仰をもとにしていることがわかる。同じような宇宙感覚を持ち、『銀河鉄道の夜』を書いた宮沢賢治もまた、熱心な法華経の信者だった。『8時だョ! 全員集合』をリアルタイムで見ていた子供時代には想像もつかなかったが、ドリフターズとは一九五〇年代から六〇年代にアメリカで活躍した黒人コーラス・グループの名をそのまま拝借したものであり、ビートルズの来日時には前座をつとめたほどのまともなバンドが出発点だった。 新しいものが古いものを駆逐していくという、素朴な進歩史観で文化を語ることはできない。文化的産物はつねに、新奇さで人目を引きつけると同時に、伝統や歴史を背負って自分の正統さを訴えるからだ。だから古いものと新しいものの混淆は、どんな時代の文化にもつきものだ、とはいえる。とはいえ、ここまで古いものが新しく、新しいものが古い、という文化は昭和をおいて他にないのには、特別な理由がありそうだ。

一つには、高度に発達し、私たちの生活の隅々まで入り込むようになったメディアによる「記憶の操作」が私たちを惑わせている、ということがある。昭和三十年代の日本を描いたヒット映画『ALWAYS 三丁目の夕日』(二〇〇五)とその続編は、CGを駆使した映像で私たちの郷愁に強く訴えかけたが、同時にこれらの作品がもたらす感動は所詮「ヴァーチャル」なものでしかない、という批判も生まれた。メディアが植えつけた偽物の記憶と、個人の体験に根ざした真性の記憶とを峻別しようとする傾向は根強くある。たとえば『ノスタルジアの社会学』において、フレッド・デーヴィスは集合的ノスタルジアと私的ノスタルジアの二つがあることを指摘し、前者について「マスメディアによって大規模に宣伝されるだけでなく、集合的ノスタルジアの対象そのものがもともと、ほど遠からぬ過去にメディアによって創造されたもの」であると述べている。少し違った角度から、『郷愁としての昭和』において、佐藤良明は「レトロ産業」が依拠するのは「テクノロジーの自発的な運動が日々作り出す古さ」であり、また「ファッション産業が無根拠に送り込んでくる『流行遅れ』というタイプの古さ」であると指摘する。昭和の文化の「古さ」と「新しさ」のモザイクは、メディアが作り出した幻影であり、その背後には「差異」を作り出すことによって利潤を生み出す資本主義の運動を見てとれる、と言えるのかもしれない。

もう一つ、大切なのは、昭和という時代は近代化への抵抗の身振りとしての「アンチモダン」が大きな意味を持ち得たことだ。明治初期においても饗庭篁村らの根岸派が江戸文化を賞揚したが、彼らの根底に反近代主義があったとしても、それは基本的には懐古趣味に過ぎなかった。だが昭和期になっていよいよ近代化・西洋化の弊害が感じられるようになると、文化の「日本回帰」の大きなうねりが生まれてくる。「悪魔主義」を標榜して大正文壇をリードした谷崎潤一郎が関東大震災後関西に移住すると、『吉野葛』をはじめとして伝統的な素材をもとに作品を仕上げるようになったのも、セザンヌの強い影響を受けて絵を描き始めた画家の岸田劉生が初期の浮世絵に「でろりの美」を見いだしたのもその例だ。もっと時代を下れば、美空ひばりが映画初主演作『悲しき口笛』(一九四九年)でシルクハットに燕尾服姿で登場し、翌年の『東京キッド』中では同名の主題歌で「金はひとつも なくってもフランス香水 チョコレート」「いつもスイング ジャズの歌」と歌っていたにもかかわらず、いつの間にか「演歌の女王」と称せられるようになったことも挙げられる。新しさの源泉である西洋近代文化の旗手から、古さを感じさせる日本の伝統文化の担い手へと「転向」すること。それが昭和期日本において人々から広汎な支持を受けるための確実な方法であった。西洋近代に対する無意識の反発と、自らが依拠する伝統を確立したいという人々の思いが「土俗」へ、泥臭い過去へと文化を引き戻す。クリエーターたちはそのメカニズムをうまく利用してきた。 しかし私たちは「古さ」と「新しさ」のイメージの落差によって「操作」されているだけでなく、私たち自身がそのイメージの落差を操って楽しんでいることも忘れてはならない。横座りで片方の太ももをあらわにした由美かおるがこちらを向いて艶然とほほ笑んでいる「アース渦巻」の看板は古いけれど新しい。ホーロー仕上げで腐食しにくいため、田舎の家の外壁に貼られたまま何十年も放置されていても輝きが失われない、その不似合いさが受けて、今それはお洒落なカフェのオブジェとして飾られている。そんな利用のされかたをされるなんて、「アース渦巻」の看板を作った人たちは考えもしなかったろう。昭和の文化を単なるノスタルジーの対象として懐かしむではなく、「故キヲ温ネテ新シキヲ知ル」対象として楽しんでみるのも面白いかもしれない。

『男の隠れ家』2009年10月号, pp. 96-97

『遠い音』:良質のヤングアダルト文学

 うちの近所の市立図書館には、ヤングアダルト(YA)コーナーなる一角がある。そこにあるのは、もともと少年少女向けに企画されたシリーズ、すなわち、岩波ジュニア新書や集英社コバルト文庫の類だけではない。『いま、会いにゆきます』や『電車男』といったテレビや映画で取り上げられて話題になった本から、私たちが子供の時分からある、子供向けとは思えないほど大部の福音館古典童話シリーズまで、さまざまな分野やジャンルの本が所狭しと並べられている。十代の若者になんとか本を読ませたいと願う図書館員の熱意が感じられるセレクションなのであるが、同じ書棚に田口ランディや舞城王太郎、はたまたま村上龍までが並んでいるのを見ると首をかしげたくなる。いや、こういうのは「大人の本」とされているから背伸びしたいガキは読みたくなるんで、はじめからあなたたち向けですよ、と出されても興ざめなんじゃないですか…。

 これはしかし、日本においてYAというカテゴリがいかに実体のないものであるか、ということである。このカテゴリの誕生の地である北米では事情が大分異なる。全米にチェーン展開する巨大書店バーンズ&ノーブルのYAコーナーにでも行くと一目瞭然だが、英語圏文学においてYAというカテゴリは一つの市場であり、専門の書評家もいれば、研究書も出版されている。

 では英語圏のようにYAというカテゴリが確立しているのがのぞましいのかというと、一概にそうとも言えない。それはこういうことだ。YA文学の大半が、家族との葛藤、友人や恋人との軋轢、あるいは職業選択や趣味の追求にまつわる困難さといった古典的教養小説の主題を現代風にアレンジしたうえでリアリズムの手法で語るものであることはたしかだが、なかにはもっと象徴的な言葉や物語を用いて、主人公が他者との邂逅を経験し、自らのアイデンティティを確立していく過程を綴った作品もあって、意外に多様である。だがどんなYA文学にも共通する特徴はあって、それは、読者に対して真っ直ぐ語りかけてくる、という点である。

 「大人向け」の小説では、自らの言葉が読者にそのまま届くと作者が信じて書いているものはほとんどない。それは読者に対するあからさまな不信の表明や嘲笑的な態度といった極端なかたちをとることもあれば、「語りの共同体」に読者を誘い込むためのもっと洗練された戦略上の工夫であることもある。だがそのような仕掛けが表面化してこないような作品であっても、読んでいて他者との間にコミュニケーションが成立することについての根本的な疑念が伝わってこないものは、どういうわけかすぐれた作品だとは見なされない。作品の核に隠された、言語による自己疎外の感覚を共有することができるかどうかが「純文学」を理解できるかどうかの資格試験であるというかのように、この壁は厳然としてそびえ立っている。

 英語圏文学にYAというカテゴリが存在する裏側の事情には、語りというメタレベルでのコミュニケーション不全は子供たちに味合わせたくない、という大人たちの黙契があるように思われる。なるほど、物語のレベルでは登場人物たちはコミュニケーション不全によって悩み、同じようにコミュニケーション不全に苦しむ読者であるティーンエイジャーたちの共感を誘うことになる。しかしこうした物語では、遮断されていたコミュニケーションの回路は最終的には再び開かれるのが常であるし、たとえそうでないにせよ、作者の筆致はコミュニケーション不全の状況があるということは明確に伝わるようになっている。そこに、子供を安全な場所に「隔離」するという思想が働いていないとはいえまい。その意味では、むしろ日本のように、「純文学」もあれば鏡像段階での妄想を書き殴ったものもあるといった、てんでばらばらな状態をYAという緩いくくりで括ってしまうことにこそ、真の教育的効果があると言うべきではないか?

 前置きが長くなった。カナダ人女性作家フランシス・イタニの長編『遠い音』は、今述べたような意味で、きわめて良質なYA向けの作品である。簡潔で無駄をそぎ落とした文体からは、自分の語ることは読者に百パーセント届くはずだという堅い信念が伝わってくる。カバー折り返しに掲載されている写真の著者の眼は、見ているこちらの眼を射抜くかと思われるほど強い光を放っており、そこに表現されている真っ直ぐな想いはたしかに作品全体に充満している。屈折した「大人」には時として耐え難いほどの純粋さ。もちろん、それを欲している大人にとっては十分に楽しめるものではある。

 五歳の時猩紅熱で聴覚を失った少女グローリアが聾学校に通い、成人し、健常者の伴侶とめぐり逢い、幸せな日々をつかの間過ごすも、夫ジムは第一次世界大戦に出征してしまう、というこの作品の筋立ては、ある種のメロドラマを想像させるに十分なほど通俗的に聞こえるかもしれない。実際、帯には「静寂の大地カナダに感動がこだまする大河長篇」とある。だが抑えられた筆致は、グローリアやジムやその周囲の人々が、苛酷な運命に翻弄されつつ、いかに慎みを失わないでいられるか、という部分に焦点があてられており、大味なメロドラマとは対極の位置にある。たとえば、ジムは傷病兵としてたくさんの戦傷者を介護したりその最期を看取ったりするのであるが、その一人であるトミーが痛みをまぎらわそうと饒舌にしゃべり続けるのを聞くと苛立ちを感じる。

「おれにもわかっていることがひとつある」とトミーが言った。声がふいにか細く、弱々しくなっていた。

 だが、ジムはトミーに何がわかっているのか聞きたくはなかった。彼は叫びだしたかった。<やめろ! そんなふうに自分の苦痛についてしゃべるのはやめるんだ! すこしは慎みというものを知れ!>

 だが、考えてみれば—自分はまったく健康であり、こうして動いたり、食べたり、小便をしたり、糞をしたり、無傷の口と舌でしゃべったりしているのだから—それを考えてみれば、まさに残酷なほど慎みを知らないのは、自分のほうにちがいなかった。

 どんなに感情を揺さぶられるような体験をしても、決して叫んだり泣きわめいたりしないこと。他者と自己との境界をつねに意識して、人様の気持ちをあれこれと詮索しないかわりに、自分の心に他人がむやみやたらに立ち入ることを拒絶すること。こうした抑制の美学とでもいうべきものがここにはある。だが、作品に緊張感を与えているのは、この抑制の美学が外的状況によってつねに脅かされているという構図である。グローリアの聴覚が失われたことからはじまって、ジムが激戦地であるベルギーやフランスの戦場を転々とする間に見聞きする阿鼻叫喚の地獄絵図まで、感情を暴発させても当然という場面が繰り返し描かれる。しかし主人公たちは冷静に状況を理解しようと努めるのだ。

 その意味で、原題の Deafening という題名はとてもうまい。「耳をつんざくような」というこの形容詞は、撞着語法で deafening silence のようにも用いる。つまり、この題名は「耳をつんざくような」外界の騒音(聾であることを過度に気にする無理解な隣人や戦場の騒音といった)と表すと同時に、そうした外界に対して直接の反応を示すことを拒絶する「深い沈黙」をも表しているのだ。作者にとって 「深い沈黙」とは、その場で起きていることを理解するために、反応が一瞬止まることの比喩になっている。手話を解さない健常者たちの唇の動きを読み取って何を言っているかを理解するためにグローリアが必要とする数秒の「遅れ」。しかしこの「遅れ」は、ジムが戦場で消費される圧倒的な物量を目の前にして感じる理解の遅れとして体験されることによって、より普遍的なものになる。

むかし—あの青い毛布の上に坐っていたとき—きみが話してくれたことがある。きみにとって理解が遅れてやってくることがあるということを。いま、ぼくはそれがもっとわかるような気がしている。実際に起こっていることと理解していることのギャップがわかるような気がする。そこにあるものとそこにはないもの。たくさんのものが入ってこようとし、たくさんのものが侵入してこようとする。音はぼくたちを圧倒する。あらゆる思考を停止させる。猛毒のガスみたいに体内に滲みこんで、すべてに浸透し、あらゆる裂け目や割れ目を満たそうとする。

理解することとは、このように遅れて反応することであり、同時に「物自体」が自らの裡に入り込んでくることを防ぐことでもある。耳をつんざくような騒音に満ちあふれる世界にあって、抑制の美学を貫くためには、deafening silence が必要なのだ。作者がもっとも伝えたいメッセージは、こうして作品の細部だけでなく、題名にも表れることとなる。

 その一方で、この作品の幕切れにいささか物足りなさを感じるのはいたしかたないだろう。グローリアの周囲に次々に死が訪れる中、ジムが無事に帰国するという結末は、当然予想されるものであるとは言え、もっと感動的に盛り上がってもいいはずだ。しかし作者にとって、困難な状況下で禁欲の美学をいかに貫くか、ということのほうが、二人の再会よりも重要だった、ということは容易に想像がつく。あくまでも予定調和的に物語は終わるが、作品を読み進めていくうちに感じとられる作者の強烈な想いはいつまでも読者の心を捉えてはなさない。

 語り手の自己韜晦の身振りがその個性を見事に消し去り、そのかわりに物語が前景化する、というのが「大人向けの」小説であるとしたら、この作品は一貫性を持った物語を語ることに専念しようとする語り手の姿勢がかえって語り手の存在を大きく浮かび上がらせ、物語を後ろに追いやってしまう、YA文学の一つの極を示していると言えるだろう。

ドキュメンタリーとメロドラマの複合体:太陽劇団『最後のキャラバンサライ(オデュッセイア)』

 二〇〇一年の太陽劇団の来日公演『堤防の上の鼓手』は正直言ってあまり感心しなかった。美しく繊細な詩情に富んだ舞台であった、といえば褒めたことになるのかもしれないが、新国立劇場中劇場内にしつらえた仮設舞台の上で俳優たちが文楽の人形を模した所作をするのを見ても、観客に訴えかけてくるエネルギーを感じられなかった。目の眩むような視覚的効果が次から次へと示されるのに感心しながらも、私は「だから、なに?」という問いを胸の内で何度も反復せざるを得なかった。
 観劇後しばらくしてフランス演劇研究者の畏友小田中章浩氏に会ったときに、上記のような感想を言うと、「太陽劇団はヘタウマだからよかったんですよ。文楽なんかの下手な物真似を荒削りなままやっているうちはわけのわからない面白さがあったんだけど、だんだん上手くなっちゃって、昔に比べるとパワーも落ちちゃったから、文化帝国が植民地の演劇を搾取する典型みたいな芝居になっちゃった」という答えが返ってきて腑に落ちた。同時に、手作り感覚のアマチュアリズムが売り物だった演劇集団が、時の経過とともに洗練と自己反復に向かわざるを得ないという宿命を、太陽劇団もまた負わされていたのだと知って悲しくなった。演劇愛好者とは、つねに遅れてきた存在である。名舞台はつねに過去にあり、名優たちはすでに鬼籍に入っているか全盛期を過ぎている。今見ているのはそれらの残滓に過ぎない。『一七八九』『アトレウス一族』など数々の伝説が語り継がれてた太陽劇団の現在を知るということはこういうことなのか、と嘆息した。
 そんなわけで、ニューヨークで毎年夏に行われるリンカーン・センター・フェスティバルの今年のラインナップに太陽劇団の新作『最後のキャラバンサライ(オデュッセイア)』が入っているのを見つけたときにも、それほど心が騒いだわけではなかった。これは二〇〇三年四月に太陽劇団の本拠地ヴァンセンヌのカルトゥーシュリー(弾薬工場)跡地で世界初演されたあと、同年のアヴィニヨン演劇フェスティバルでも上演される予定であったが、舞台芸術労働者のストライキで中止になるという曰くつきの作品であり、リンカーン・センターの敷地内にあるダムロッシュ・パークに巨大なテントを建てての興行が北米初演となる。だが、大学の仕事を中途で放りだして(夏学期の講義は終わっているが試験やら会議やらが残っていた)、リンカーン・センター・フェスティバルに久しぶりに行こうという決心を固めたのは、ほかにもロバート・ウィルソンがインドネシアの叙事詩『ラ・ガリゴ』のエピソードから作りあげた『イ・ラ・ガリゴ』や、マーサ・カニングハム+ジョン・ケージの『オーシャン』再演など、いつにない充実したプログラムが編まれていたからだった。
 結論から言えば、『イ・ラ・ガリゴ』は美しいが退屈で、ウィルソンのマンネリズムが悪いほうにでてしまった。『オーシャン』は、コロンバスサークル再開発計画の目玉であった巨大なガラス張りの建物、タイムワーナーセンターの中に作られたローズシアターの特性を存分に生かし、ケージの構想どおりオーケストラを円形に配置して客席を取り囲む(ただし同一平面ではなくオーケストラは一段高い場所に位置する)など、興味深い試みであったが、歴史的な意義以上のものを見いだすことはできなかった。ピッコロ・テアトロの『アルレッキーノ』では、齢七十をこえたフルッチョ・ソレーリが一九九九年の日本公演とほぼ同じ運動量をこなしているのを見て感動したが、これまた二十世紀演劇史の復習という域を出なかった。だが、『最後のキャラバンサライ』には圧倒された。第一部・第二部あわせて約六時間という長丁場であったが、上演されている間、私はただひたすら舞台に魅入られ、釘付けになっていた。
 『最後のキャラバンサライ』がそこまで衝撃的だった理由の一つは、題材の今日性があるだろう。この作品は、コソボ自治州のアルバニア系住民、クルド人、チェチェン人といった、周辺国家・民族による迫害や虐殺から逃れるために難民として国境を越えた人々や、イラン、イラク、タリバン政権下のアフガニスタン、ロシアなどの祖国を政治上・経済上の理由で亡命した人々が、定住先を求めて放浪を続けるなかでどのような危険や苦労に遭遇するか、あるいは難民キャンプや難民収容所でいかに差別的な待遇に処せられているかを群像劇ふうに描いたものである。題名の一部となっているキャラバンサライ(Caravanserail)には、隊商宿、すなわちキャラバンが休息し、水や食料を補給するための広大な中庭を持った宿という意味と、外国人でにぎわう場所という意味がある。二〇〇一年、ムヌーシュキンたちは、フランス北部の港町カレー近辺にあり、イギリス亡命希望のクルド人、アフガニスタン人、イラク人などが一六〇〇人ほど生活していたサンガット難民収容所などで難民たちに直接インタビューを行った。オーストラリア、ニュージーランド、インドネシアの同様の施設でも取材をしたが、これは『堤防の上の鼓手』世界ツアーの合間を縫ってのことだったという。「最後の」(Dernier)という形容詞に、希望が込められているのかそれとも痛烈な皮肉なのかは定かではないが、キャラバンサライが難民キャンプや難民収容所のことを言及していることは明らかだろう。さらに、かっこで括られた複数形のオデュッセイア(Odyssees)には、故国を離れ苦難に満ちた生涯を送る英雄たちの物語、という意味が込められている。もちろん、神話のオデッセウスと違ってこの「英雄たち」が故国に帰ることは、おそらくない。
 作中フランス語だけが話される場面は多くない。難民はクルド語、ペルシア語、チェチェン語などを話す。難民を迫害し、搾取し、あるいは官僚として非人間的に扱う側はフランス語のほかに、英語、セルビア語、ロシア語、ドイツ語などを話す人物たちで構成されている。アメリカ公演では、本国公演で用いられたフランス語の字幕のほかに、英語の字幕が重ね合わされた。登場人物は一部二部合わせて一〇〇人以上。それを三十六人の、さまざまな国の出身の俳優たち(スタッフも合わせると二十二カ国にのぼるという)が演じる。中東・ロシア・アフリカからの難民の大量流入と、多言語・多文化の共存という状況は、西ヨーロッパ諸国が日々向き合う現実であり、東南アジアや中南米から流出する難民が数に入れられていない点に一抹のヨーロッパ中心主義を感じなくはないものの、作り物の物語にはない迫力があった。
 こうした現実の裏付けがあると、この劇団特有のあざといまでのシアトリカルな仕掛けも納得がいく。とはいえ、「過酷な大河」(Le Fleuve Cruel)と名づけられた第一部の幕開きの場面では、私はまだ魔法にかかることができないでいた。嵐の中、キルギスタンとカザフスタンを隔てる川を、向こう岸から渡された一本のロープを伝わってなんとか渡ろうとする難民たち。降りしきる雨によって水かさを増し轟々と逆巻く大河を、舞台全体を覆う巨大な布一枚で表現するその技術は見事だが、ここまで完成されていると、技術を可能にさせた思いはかえって見えてこない。『堤防の上の鼓手』のとき感じた、ある種の空虚さの感覚が甦る。
 しかし短いものであれば十分程度、長くても二十分もない場面が次々と目の前で展開されていくにつれ、私は徐々に舞台に引き込まれていった。一つには、目まぐるしくなされる場面展開のたびに、俳優やスタッフたちが小道具を抱えたり、移動可能な大道具を押しながら、幅二十メートル、奥行き十メートルはあるかと思われる広大な舞台の周囲を駈け回る、その機敏な動きに感じ入ったということもある。俳優たちが舞台を登退場するときは、小さな台車の上に乗り、出演していない俳優やスタッフからなる黒衣がその台車を押すのだが、舞台の縁まで来ると、俳優も台車から降りてスタッフとともに駈け出す。つい先ほどまで舞台の上で愁嘆場を演じていた俳優が、素に戻って次の場面の準備をしている、ただそれだけのことなのだが、同化と異化との間を絶えず往還するブレヒト的な演劇の最良の瞬間がそこにあった。演じる対象(役)と演じている俳優自身の姿を同時に示す、というブレヒトの定理は、むしろこのような形で実現されるべきではないか、とすら思った。演じている自分を示すためには、舞台の上のイリュージョンの生産過程に従事する自分を示すだけで十分であって、「演じる対象の行動に注釈をつけくわえる」必要はないのではないか。観客は、自分たちに何かを信じさせようと一生懸命になっている俳優の姿を見て、その場面に引き込まれつつ立ち止まって考えるのだから、俳優が観客を「啓蒙」する必要はないのではないか。
 もっとも、公式ブレヒト主義者(なるものが今でもいるのかは疑問だが)から見れば、『最後のキャラバンサライ』で語られる物語も、リアリズムにもとづいた俳優たちの演技も、お涙頂戴のメロドラマに堕していると批判される余地が大いにある。むしろムヌーシュキンたちの戦略には、ブレヒト的であることよりも、ピクセレクール以来のメロドラマの手法を堂々と利用することで民衆演劇の系譜に連なる、というところにあるのかもしれない。故国の家族に宛てた難民たちの手紙がペルシア語で読まれ(同時に端正な筆記体で綴られたフランス語の字幕が舞台の背景幕に投影される)、美しく感動的な旋律の音楽が演奏され、人目を驚かせるスペクタクルが示される。人物であれ、装置であれ、舞台上の形象は明晰であり、一意的な意味を指示している。
 メロドラマはまた反復を利用して一種の催眠効果を作り出すことがあるが、この作品でも互いに似通ったエピソードが幾度も語られる。ヨーロッパにたどり着いた難民はたいてい、難民認定が比較的簡単に取れて、身分証明書の携帯を義務づけられてこなかったイギリス行きを希望する。彼らがドーバー海峡下のユーロトンネルを通過する貨物列車のコンテナに潜り込んで密入国する様子は、日本でも公開されたマイケル・ウィンターボトム監督の『イン・ディス・ワールド』(二〇〇〇)でも描かれていた。『最後のキャラバンサライ』では、ピカレスク的魅力をそなえた密入国業者のボス、セルビア人ヨスコの指揮のもと、さまざまな国籍の難民が、カーブのせいで列車のスピードが落ちる場所に潜んでコンテナに飛び乗るという主題が変奏されて描かれる。国境警備兵に見つかって失敗する家族。金が工面できずにヨスコに罵声を浴びせられる兄弟。あるいは費用を調達するためにヨスコの言うままに売春をする少女。そしてお定まりの内輪もめと裏切りによってヨスコは殺され、新しいボスが実権を握る。
 「起源と運命」(Origins et Destines)と題された第二部になると、断片的に語られてきた物語がこうして次第に組み合わさり、メロドラマとしてのうねりを持つようになっていく。その一方で、当事者にしかわからない細部も描かれ、ドキュメンタリーとしての迫真性は保ち続ける。このドキュメンタリーとメロドラマの混交こそ、作品に力強さを与えていたもっとも大きな要因だろう。ムヌーシュキンは最初に俳優たちに自らの想像力と経験をもとに即興で場面を作り上げるように要求し、そのあとでインタビューや証言の記録を示したという。現実と想像の複合体は、剥き出しの事実よりも私たちの内なる生に食い込んでくる。なぜなら私たちの内なる生とは、まさしく現実と夢を混ぜ合わせてできたものに他ならないからだ。ムヌーシュキンはそのことをよく知っていたし、またそれを表現する媒体として、集団創作の手法が作り上げる俳優の身体が最適であることも理解していた。その結果が『最後のキャラバンサライ』だったのだ。一九六四年に創立された伝説の演劇集団はまだ「伝説」にはなっていなかった。

『権現の踊り子』:インデアンカレー

 織田作之助『夫婦善哉』の中に登場するというのでその名を知られるようになった大阪名物に、自由軒のインデアンカレーがある。注文すると、皿に盛られたドライカレーの真ん中をくぼませて生卵を落としたものが運ばれ、特製ウスターソースをかけてぐちゃぐちゃに混ぜて食べるという代物であるが、町田康の小説は、このインデアンカレーによく似ている。本来別々に食するものが混ぜ合わせられて作り出される、何ともいえない味。本家本元のインドカレーとは似ても似つかぬ味だが、この味はまたそれとは別で、要するにこの味でしかない、と同義反復をすることで納得するしかないオリジナルな味。「西洋風」で「近代的」な料理のはずなのに、どこか日本的で前近代の匂いのする味。「下品だ」といって顔をしかめる人間もいるが、そのまずいんだかうまいんだかわからない味にやみつきになってしまう人間もいる。

 短編集『権現の踊り子』に収録された作品はどれもそんな複雑で一筋縄ではいかない味わいを持っている。たとえば「ふくみ笑い」を見てみよう。「好物のバナナを売ってもらえない」「スタジオミュージシャンの仕事が突然来なくなる」等々の不可解な迫害を受ける「俺」は相手のふくみ笑いに自分の知らない意味がこめられているのだと考え、これは単なる被害妄想でないと「クリアーで冷静な頭で」判断する。そのうちに「人間や犬に触れると表皮から体液を滲出させて腐らせてしまう」一尺ばかりの紐とも皺のある棊子麺ともつかぬ物体が無数に空中を飛んでくるようになり、捕虫網を振り回しては紐を捕りドラム缶で燃やす大男から、紐は現実に裂け目が生じて時間に入ったノイズだと教えられ、一緒に紐をとって焼くように頼まれるが、「俺」はふくみ笑いをする奴らを生命を賭して救うことが正しいことかどうかを男と議論する。

 『夢十夜』のように、非現実的だが奇妙にも一貫している夢の論理を忠実に記述しているようにも見えるこの作品は、しかしそれ以上のものを内包している。もちろん『夢十夜』に描かれる「夢」もまた作家夏目漱石が捉えた多面的な現実の反映であり、一意的な解釈を導くことを躊躇わせる類のものであるが、「ふくみ笑い」には、そうはいってもしょせんは個人の中で完結する夢の論理とは別の、上位の次元の物語が連結され、ごちゃまぜになっている。ドライカレーに生卵とウスターソースを混ぜ込んでいくのと同じ手口だ。何度も挿入される「べらんがめらんでソーダ水飲むン あきゃきゃ、あぱぱ、乳、踏んでおどろ」とはじまる意味不明の歌は、『楢山節考』の盆踊り歌を思い出させる。「ふくみ笑い」には、売れないミュージシャンの湯田典惇(ユダと読めることはここでは深く追求しない)に一年くらい借りていたギターを「俺」が返しに行くという物語が根本にあるのだが、深沢七郎が大のギター好きで、リサイタルを開いたりするほどの腕前であったことを知る読者にとって、町田が深沢に負っていたもの(とは、ある種の文学的な「やつし」の態度、目線の低さだろう)を返したいと思っている、というようにもとれる。最後に「俺」が遭遇する「すげえ虚無」は『天人五衰』の幕切れを思い起こさずにいられない、するとデビュー当時深沢を高く評価した三島由紀夫という連想がさらに働いて、読者は一つの文学史的連環がこの作品に実現されているのを見ることになる。この三者をつなぐのは、本来自閉的な日本文学の空間に他者の表象をどのように滑り込ませるかという問題意識だ。

 もちろん、「口では友達のようなことを言っておきながら、しょせん仕事のない奴だ、と内心ではなめていた」と道すがら湯田に対する自らの態度を反省する「俺」が、理不尽な迫害を次々と蒙るという構図そのものに、今や有名作家となった自分に抱く町田自身の罪悪感や無名時代からの友人たちへの奇妙な申し訳のなさが投影されている、と考えることは可能である。二十年前、若くて貧乏だった頃によくつるんで遊んでいた「鶴」が病院で死にかけていると聞いて見舞いに行こうとするがたどり着けないという「鶴の壺」や、お金を使うまいとさまざまな生活の工夫をこらすのだが、肝心なところで抜けているので失敗ばかりし、最後には感電死してしまう減さんを語った「工夫の減さん」といった作品もまた、「人間の屑」から出世してしまった自分への気恥ずかしさ、ずっと「人間の屑」でしかいられなかった友人への二律背反的な思いが表現されていると考えてもあながち間違いではあるまい。

 しかしこうした、いわば独り善がりの理屈、個人が見る夢の中でしか許されない独我論的論理を超えていこうとするのが町田康の倫理というものである。「すまない」と考えることこそが思い上がりであるという思考回路が生み出すのは、夢の論理を包含しながらそれを社会的な意識の在りかたへと作り変えていくようなヴァイブレーションだ。「ふくみ笑い」ではそれが先行する文学者たちへの関係意識を描き出しているように見えた。「鶴の壺」でも、鶴が入院しているのが神殿奉祝病院とあり、一種の天皇論となっていることがわかる。そして表題作「権現の踊り子」では「伊豆の踊子」に体現されている(とされる)「美しい日本の私」的感性がグロテスクなまでにパロディにされる。権現市があると聞いて行ってみたはいいが、祭りはまだはじまっておらず、語り手の「俺」は「圧倒的な敗北感」が充満する音楽を演奏する老年の楽隊と、そうしたみすぼらしさを一掃して「キテル感を演出」したい界隈の管理者に出会うだけだ。「俺」のことを「けっこういい感じの、最先端流行野郎」だと勘違いした管理者は権現の大鳥居近くの掛け小屋に案内し、「赤ワインとちょっと洒落た小皿料理」やカレーを味見させ、権現躑躅踊りのリハーサルを見学させる。必死になって「俺」の意見を求める管理者に「まずい」「田舎臭い」とからかい半分文句をつけているうちに、「俺」はこうした「男がよきものだと思いたい魂の変形物」すべてを「偽の美の判者として徹底的に叩きのめ」さないと男に殴り殺される、「しまった」と思う。支配や管理への欲望をむき出しにする「男」を現在国政の舞台において与野党問わず若手議員を中心に伸張しつつある新保守主義勢力の戯画にとることができるほど、政治的に読むこともできるのだ。

 だがもちろんそれは意識してのことではあるまい。町田の感性はあくまでもインデアンカレーのように混沌を混沌のまま提出するところにあるのだ。最後の「逆水戸」(筒井康隆の往年の名作「裏小倉」にならって「さかさみと」と読みたいところだ)の抱腹絶倒の下らなさは他の作品にあった深刻さをも相対化してしまう。結句、読者はいろいろ分析せずに、この摩訶不思議な味をそのまま味わえばよいのだ。そのまずいんだかうまいんだかわからない味に私同様やみつきになるかどうかは、その人次第である。

 

だから平田オリザは嫌われる:『芸術立国論』(集英社新書、二〇〇一年)

 平田オリザについての否定的な言辞は、たとえ論理的な裁断のかたちをとっていたとしても、その底にある種の生理的な反撥が秘められていることが多い。そのもっともあからさまな例の一つは、小谷野敦「平田オリザにおける『階級』」(「シアターアーツ」八号、一九九七年五月)だろう。百の予断と偏見にまみれた一つの真実を売り物にする小谷野は、長いこと平田オリザの芝居を見に行く気にならなかったのは「十六歳の自転車で世界一周したという(中略)『伝説』が、『健全少年』の印象を私に与えたから」だという、真剣にとるにはあまりにも馬鹿馬鹿しい理由を述べて論をはじめている。あるいはそこまで極端ではなくとも、「シアターアーツ」三号(一九九五年十月)で平田の『現代口語演劇のために』を書評する瀬戸宏は、内容についての的確な批判を加えながらも、九三年の『ソウル市民』韓国公演はこの本の中で平田が語っているほど大成功したものではなかったという、直接内容とは関係のない暴露話じみたオチを最後に付け加える。

 なぜ人は平田オリザの作品を、あるいは言動を、冷静に語れないのか。一言でいってしまえば、それは平田が「芸術家」らしくないからである。健全少年あらため今や日本現代演劇界の学級委員長存在の平田は、孤高の芸術家/破滅型の天才といったロマン派的イメージと見事なまでに合致しない。優等生的発言にくわえて、「商売」のうまさもまた、平田のうさん臭さの所以である。五、六年前のことだったか、平田が今ほど有名ではない頃、出入りしていたとあるパソコン通信のフォーラムで、いつものように自作の宣伝を行い、○日にはチケットが○枚残っていますという書き込みをしたところ、「唐や寺山であればチケットが何枚残っているかなどという発言はしないだろう、演劇人らしからぬ振る舞いをするこの平田オリザとは何者なのか」というようなことを書き込んだ人間がいた。唐や寺山だって雲や霞を食って生きている(いた)わけではなし、チケットの売り上げに一喜一憂することもあるだろうにと思ったものだが、優秀なプロデューサーとしての平田の振る舞いはある種の人々のお気に召さないことは確かなようだ。

 もちろん、平田の(エセ)啓蒙的姿勢や政治的手腕、あるいは端的にいって口のうまさに反感を抱く人々は、それが平田のポーズであることに気づいているからこそ、いっそう苛立つのかもしれない。平田の作品に示された繊細な感受性は、平田の表面的な言動が前提としているある種の鈍感さとは相容れないものである。鴻上尚史が同じようなことをやっていてもさほど反感を買わないのは、鴻上のキャラクターがその手の鈍感さ、粗雑さに釣り合っているように見えるからだ。鴻上の「下品さ」は地だが、平田は「わかっていて」そういうポーズをとっている。言葉にはしなくても、そう感じるからこそ、ある種の人々は平田の主張をよく検討もせずに不誠実で上っ面だけのものだと思いこんで斥けるのかもしれない。

 もちろんそのような事態は平田本人にとっても、アンチ平田派の人にとっても不幸なことである。とりわけ、唐や寺山、あるいは平田があこがれて演劇活動をはじめたという野田秀樹らが、平田とは対照的に河原乞食/芸能者のポーズをとることで人気を得たことを考えると、いっそう複雑な思いを抱かざるを得ない。野田秀樹がこの国に未だに根強く残るマレビト信仰に依拠することで自らについての物語を紡ぐのと、同じ東京山の手の中流家庭で育った平田が文化人のポーズをとるのと、いったいどちらが「誠実」なのだろうか。

 前置きが長くなった。『芸術立国論』はだから、「芸術家が考える、あっと驚く“構造改革”。」という出版社の薄っぺらな惹句に拒否反応を示すような人にこそ、じっくり読んでほしい本である。もちろん、この手の新書にありがちな、一般向けの啓蒙的論調がベースではあるが、同時期に出された『対話のレッスン』(小学館)ほどは平田の文化人ぶった悪のりポーズが目立つわけではない。二〇〇一年一一月三〇日に成立した文化芸術振興基本法の直前に出版された本書はその成立を側面から援護するという目的を持っており、その意味では常識的な主張が大半を占めるが、ときどきドキリとするような過激な/斬新な提案や批判がまじっている。たとえば第五章では今や制度疲労を起こしている地方の演劇鑑賞会の正鵠を射た批判がなされているが、これがもともと『赤旗』で連載されていたものであり、関係者に正面切って苦言を呈したものであることを知るといっそう興味深いものになる。

 だが本書のいちばんの読みどころは、第四章・第五章で提出される平田独自の文化行政観だろう。欧米、とりわけアメリカにおける芸術教育では「芸術は万人のためのもの」という建前を浸透させることに力点が置かれ、結果として芸術作品の意義を理解できない人間にもそのような観念は刷り込まれる。だがそのような教育によって本当に芸術は振興されるのか。一つ例を出そう。昨夏私は、ノースカロライナ州で毎年上演されている野外劇『ロスト・コロニー』を見に行き、「公のための芸術」というスローガンによって洗脳されたアメリカ人大衆が、「公のための芸術」以上のものにはなっていない作品にたいして示す反応を目の当たりにした。アメリカのリージョナルシアターの先駆的作品の一つというだけが今や売りのこの作品を見て、観客は退屈も興奮もせず、ただ「この世の中には文化という素晴らしいものがあって、その維持や生産に自分も一役買っているのだ」という自己満足を抱いて家路につく。だがかの地の文化行政官にとってみれば、人々が抱くそのような思いこそが重要なのであって、作品の質などはどうでもよいに違いない。あるいは作品の質なぞを云々したとたんに、そのブルジョア的思い上がりを批判されてしまうのかもしれない。

 この手の公共性の論理にからきし弱い日本も早晩同じような状況に見舞われるのではないか、と暗澹たる思いを抱く私のような人間にとって、「芸術はそもそも万人受けするものではないのだから、それを庇護する論理を作り出すのには一筋縄ではいかないのだ」と平田が主張することは救いに思える。そつはないが、どこか無神経なところのある公共性の論理からの距離を語る平田は、たんなる「優等生」ではないのだ。

蘇るアメリカン・モダニズムの系譜

劇作家ポール・グリーンの長らく絶版になっていた代表作The Lost Colony (1937)が今年ようやく再版されるようだ。しかし編者はアンソロジーA Paul Green Reader (1998)と同様ローレンス・エイヴリーで、前作と同じくグリーンがかつて教鞭をとっていたノースカロライナ大学の出版局から出版されると聞くと、どうやらご当地出身有名人の記念出版のようで、かつてはオニールと並び称されたこともある、一八九四年生まれのグリーン再評価の気運が生まれつつあるわけではなさそうである。そもそもグリーンは日本でもアメリカでもずっとマイナー扱いをされてきた作家だ。だが不思議なことに完全に忘れ去られた存在になることはなかった。前期の人種・階級問題を扱った一幕物であれ、後期のスペクタクル性の高い野外歴史劇(あらゆる要素が融合するという点で「シンフォニック・ドラマ」と本人は呼んだ)であれ、たまに夢中になる人間が現れて旗を振る。しかし人気再燃というわけにはいかない。いつの間にか熱は冷めてしまう。その繰り返しである。七、八年ほど前にも『演劇研究』(早稲田大学演劇博物館紀要)一七号〜二〇号で佐和田敬司氏が日本滞在時のグリーンの日記を翻訳して紹介し、あわせてグリーンが日本で忘れ去られていることに悲憤慷慨していたが、その後グリーンについての論文が書かれたということは寡聞にして聞かない。すると私がここで何度目かの紹介をするのも同じ轍を踏むことになりそうだ。それでは余りにも芸がないので、どうすればグリーンが内輪受け以上のものになるのかについても考えてみたい。

といっても結論はすでに出ている。唐突なように聞こえるかも知れないが、モデルニテやモデルネのように、アメリカン・モダニズムを一つの時代風潮として捉える視点が出てくればよいのだ。ロスト・ジェネレーションや社会参加の文学やハーレム・ルネサンスといった個々の集団や運動につけられた名称ではなく、現在の合衆国の社会・経済体制を作った二〇〜三〇年代の文化を一望の下におさめることのできる視点。グリーンはそのような文脈でこそ真価を論ずることができる作家であり、二十世紀初頭にパーシー・マッケイが唱えたCivic Theatreの理念を継承する演劇人というこれまでの捉えかたではグリーンの作品が抱える様々な問題が抜け落ちてしまう。

話を『ロスト・コロニー』に戻そう。たいていの日本人はこの題名にピンとこないだろうが、合衆国で初等教育を受けた人間であればウォルター・ローリー卿が送り込んだ最初の植民団がノースカロライナ州ロアノーク島で忽然と姿を消し、それ以来Lost Colonyと呼ばれるようになったという話は誰でも知っている。合衆国史上類を見ない大規模な国家による演劇助成計画であったフェデラル・シアター・プロジェクト(FTP)—昨年日本でも公開された映画「クレイドル・ウィル・ロック」ではその栄光と崩壊の歴史が語られて感動的だった—華やかなりし頃の一九三七年、グリーンはこの「失われた植民地」を題材にした野外劇を制作することを地元新聞の編集長に依頼された。そこでグリーンは初期植民者たちがイギリス本国では得られなかった自由と平等をすでに享受していたという大胆な仮説—アーサー・ミラーが『クルーシブル』で開陳する初期植民地についてのシニカルな見方となんと対照的なことか!—をもとに、音楽、ダンス、歌、照明効果を用いた一大スペクタクルを書いたのだった。二幕劇の大詰めで植民者たちはインディアン・クロアトアン族の襲撃にあい、またイギリスがスペインと交戦状態になって交易が途絶えることで貯蔵していた食料が尽きかける。しかし彼らは敵でカトリックの宗主国スペインの庇護を求めることより自由を選び、自力で食料の補給が可能な南へと移動を開始する。こうしてグリーンは歴史上名高い謎の集団失踪事件の背景に、悲劇にふさわしい気高い植民者たちの意識的な選択があったということにして、アメリカ民主主義万歳を唱えるのだ。当時盛んに喧伝されていた建国神話の言説を強化することになったこの作品が受けないわけはない。一六三三年からはじまり、その頃すでに多くの観光客を集めていた南ドイツのオーバーアマガウの受難劇の向こうを張ろうという『ロスト・コロニー』上演計画は、当初の資金難という問題をFTPの援助によって乗り越えて成功を収め、第二次世界大戦中の三年間の中断をのぞき、現在まで毎夏ロアノーク島で地元住民の参加のもと上演されるようになったのである。

オーバーアマガウ受難劇がユダヤ人への差別を助長しかねない内容を含んでいると批判されたのと同様、現在のPCの立場から『ロスト・コロニー』を読んでいくとキリスト教の普遍性の強調やインディアンの差別的描写など、幾つかの問題点が指摘されよう。だがブロードウェイの商業主義を批判し、『ロスト・コロニー』に続く一連のシンフォニック・ドラマによって村おこし、町おこしという観点からのコミュニティ・シアターの理念を早々に実現した点、あるいは南部にあって黒人差別や囚人の人権侵害の現状を鋭く告発したグリーンの先見性はもう少し高く評価されてよいはずだ。

しかしまた同時にドス・パソスのU.S.A.(1938)を読むときと同様の退屈さをこの『ロスト・コロニー』に感じることも事実である。曰く、壮大にして空虚。あるいは思いつきだけの形式上の実験に頼ることのつまらなさ、という点ではソートン・ワイルダーを思い浮かべてもらってもよいかもしれない。しかしそれを彼らの才能のなさに帰するのは間違っている。むしろアメリカン・モダニズムとはそういう退屈さ・空虚さを前提にした運動だったのではないか。二十世紀に入ると、テクノロジーの発展によって知覚が拡大し、これまでになかったある種の(恐怖の対象としての)「リアルなもの」が感得されるようになる。芸術家たちはその「リアルなもの」に接触することで生じた集団的トラウマのようなものから回復するために創作活動を行うようになる、というのが今とりあえず提出できる仮説で、そしてそれは第一次世界大戦の影響について言われてきたことを拡大解釈したにすぎない。だがこれが案外当たっていそうに見えるのは、人は空虚な形式に依存することによってのみある種の恐怖から逃れることができるのは真理だからである。もちろん恐怖から逃れようとしている者にとってそれは「空虚」などではなく、意味で充満した枠組みに見える。だからこそ『ロスト・コロニー』では建国神話が語られ、理想郷としての「始原」が設定される。民衆参加というお題目(もちろんこれ自体がロマン・ロランの「民衆演劇」の理念を経由した古代ギリシアの市民劇という始原回帰の物語である)や演劇の公共性が称揚される。しかしそれらは決して「リアルなもの」の代替品にはならないのだ。そのメカニズムを説き明かすことがアメリカン・モダニズムを、ポール・グリーンを理解する早道である。

『ユリイカ』第33巻9号(2001年8月1日)

『世界のすべての七月』:読者に既視感を与える小説

 『カチアートを追跡して』(一九七八)の作家、ティム・オブライエンの最新刊である『世界のすべての七月』(二〇〇二)を村上春樹が訳した。村上訳オブライエン作品としては『ニュークリア・エイジ』(一九八五)『本当の戦争の話をしよう』(一九九〇)に続いて三冊目ということになる。全作品を翻訳したレイモンド・カーヴァーのようにとはいかないまでも、オブライエンに対する村上の入れ込みようが伺われようというものだ。ところが村上の「訳者あとがき」は幾分言い訳がましく、「世間における一般的な評価とはべつに、個人的になんとなく気になる、あるいは気になってしょうがない」作家としてオブライエンの名前を挙げるところからはじまり、「オブライエンの作家としての今日的な値打ちみたいなものを、適切に言語化することが僕にはできない」と告白し、「傾向的に『下手さが目立つ小説をつい書いてしまう作家』」であるけれど「下手っぴいさに思えてしまうところが、オブライエンの小説家の徳のようなもの」だと、訳がわかるようなわからないような説明に終始している。私はその率直さに感心もしたが、その一方で、こんな気弱な書きかたでは、書店で手にとって買おうか買うまいか悩んでいるときの助けにならないのではないかと余計な心配もしてしまった。

 だが村上が気弱になるのもある意味では無理はないのかもしれない。英文で書かれたあちこちの書評を読む限り、よいことはあまり言っていない。『世界のすべての七月』はもともと『エスクワイア』『ニューヨーカー』といった白人中産階級御用達雑誌のために書かれたいくつかの短篇を核に発展した連作短篇集であり、一九六九年にダートン・ホール大学を卒業したベビー・ブーマーたちが、二〇〇〇年七月七日に大学体育館で開かれた同窓会に集まった、という設定のもと、五十を越えて先の見えた人生にほぼ幻滅しながらも、まだ若かりし頃の夢と希望を棄てきれずに人生を(少々自棄気味に)楽しもうとする現在の彼らについてのごく短いスケッチ風の描写と、三十一年前、世間知らずの理想家だった彼ら一人一人がこれまでいかなる人生を歩んできたかを語る短篇が交互に積み重ねられるという形式をとっている。若さと健康に取り憑かれた国アメリカにおいて老い衰えることの残酷さ、あるいは中年から老年にかけての生や性といった主題そのものが、現代アメリカ文学のみならずテレビや映画、演劇でしばしば扱われてきたものだし、平凡きわまりない登場人物たちの平凡ならざる人生が明らかにされる群像劇という形式はシャーウッド・アンダスンの『ワインズバーグ、オハイオ』以来使い古されてきた感がある。さらに、ある時代を支配する精神や風潮といったものに人々が流されていくさまを多少の感傷をこめて描き出す風俗小説は、『偉大なるギャッツビー』をはじめとするアメリカ小説お得意のジャンルだ。そこに公民権運動やヒッピーに代表される六〇年代の理想主義がヴェトナム戦争の敗北を経ていかに幻滅へと導かれるか、という大きな物語が加われば、(とりわけアメリカ人の読者にとって)「ありがち」だし「陳腐」だし「常套句と化している」という評価が出てくるのもうなずける。

 しかしおそらく、そのような評価は誤解の産物である。同じように失敗作という評価を受けた『ニュークリア・エイジ』について村上が行う「この小説が正当に理解されなかったのは、昨今のアメリカ人の本の読み方にいささかの問題があるからじゃないのか」という指摘は、『世界のすべての七月』についてもあてはまるかもしれない。しかしその一方でオブライエンもまた自分の資質を正しくつかんでいないからこそ、誤解を生むような作品を作り出してしまうのではないか、と言えるのではないだろうか。

 では一体オブライエンの資質とは何か。一言でいえば、読者に既視感を与える作品が書けることだ。どこかで見たような風景、どこかで聞いたような会話を紙上に作り出してみせる才能。それはリアリズムとは違う。マジックリアリズムといえば少し近くなるが、それでもぴったりとは言えない。実際の生活においてあるとき突如として既視感に襲われるように、オブライエンの小説を読んでいると、大体のところ現実味を帯びているが、どこかで夢のような頼りなさやはかなさを抱え込んでいる風景や会話が突然立ち上がってくる。体験したはずがないことなのに、なぜかよく知っている、懐かしいという強烈な感覚を抱いてしまう。『カチアートを追跡して』や『本当の戦争の話をしよう』が傑作であるゆえんは、ヴェトナム戦争という(とりわけ日本の読者にとって)遠い世界や時代の出来事がきわめてリアルに語られているからではない。『カチアートを追跡して』で言えば、脱走兵カチアートを追跡する小隊の一員ポール・バーリンが、目の前で次々と起きる不思議なことを受け入れていく感覚が、既視感を抱きつつもこれははじめて起きたことなのだと現実を追認する私たちの感覚に重なって、現実とも幻想ともつかぬバーリンの体験を追体験することになる、それが抜群の効果をもたらすからである。

 けれど『世界のすべての七月』では、オブライエンの作り出す既視感は間違った方向に受け取られてしまう可能性がある。これまでの作品と違って、馴染みのない世界や出来事を描いているはずなのに、なぜかすでに見聞きし知っているような気がする、という感覚が与えられるのではない。読者の多くにとってきわめて馴染みのある世界が描かれているゆえに、読者が得た既視感は、同じ題材を扱った小説やテレビや映画の記憶によるものだと誤解され、それゆえに「ありがち」で「陳腐」で「常套句と化している」ということになってしまうのだ。

 だがよく読めば(そしてこうした世界に比較的馴染みのない日本の読者にとってはそれほどの努力を要さなくても)この「なんだか懐かしい感じ」はこの作品の主題や形式やジャンルや物語が二番煎じ、三番煎じであるがゆえに得られるのではないことがわかる。二人の夫を持ち両方の家を往復するだけの生活に飽きたらず愛人を作るスプーク・スプネリや、ヴェトナム戦争で片脚を失って以来、ジョニー・エヴァー曹長という名前の男が夢の中に現れて未来を言い当てきたと思い込んでいるデイヴィッド・トッドをはじめとする登場人物たちは、現実に存在しているようでいて、どこか幻想的な雰囲気を漂わせている。にもかかわらず、「こういう人間を自分はよく知っている」と読者が思い込むのは、オブライエンの筆致のせいなのだ。オブライエンは大学の同窓会に出たことはないそうだから、すべては想像力が作り出した幻であり、細部にはおかしなところもあるはずだ。それなのに、「この小説はどこかで語られた物語の焼き直しである」と評論家がかたく信じて疑わないのは、オブライエンが私たちの記憶を捏造するからである。

 この小説の読後感は言うまでもないだろう。捏造された記憶としての既視感がいつまでも私たちの脳裏に残って離れないように、この小説の登場人物が交わす会話や特徴を描いた地の文の中には、妙に生々しく感じられてしばらく意識に取り憑くものがある。この作品を読み終えてから数日して突然記憶の中にある一節が蘇ってきたりする。もちろんそれは『世界のすべての七月』が良質の小説であることの証左なのだ。

 訳文はわかりやすかったが、「気を楽にして、その素敵な髪を下ろしなさい」(三一〇頁)「全部壁に書いてあった」(四一七頁)のように、英語の慣用句を注なしで直訳しているところが数カ所あって気になった。英語の表現に慣れていない読者は戸惑うのではないだろうか。

『ガラテイア2.2』:人工知能SFの衣をかぶった青春小説

 『ガラテア2.2』は二〇〇〇年に翻訳されて話題になった『舞踏会へ向かう三人の農夫』の作者リチャード・パワーズの邦訳第二作である。訳者は柴田元幸氏から若島正氏へと変わった。今年さらに、みすず書房からは同じ若島氏の訳で『囚人のジレンマ』が刊行されることになっており、トマス・ピンチョンに続くアメリカ文学の旗手と言われることもあるパワーズの紹介ラッシュがしばらく続きそうである。

 さてこの小説の「売り」は、人工知能がどこまで人間の知性に近づけるか、というSFの古典的主題に、文学的味つけをしたというところにあるようだ。ガラテイアとは、ギリシア神話でピグマリオンが恋に落ちる自作の彫刻の名前で、この物語の中では認知神経学者レンツが開発し、語り手である「僕」、小説家リチャード・パワーズが訓練をするプログラム、「ヘレン」の別名である。作者と同じ名前を持つこの語り手が、恋人Cと別れオランダからアメリカに戻ってくるところから物語ははじまる。彼は母校の大学の客員研究員としての職を得て、巨大な先端科学研究所にオフィスを与えられたのだ。ある晩漏れ聞こえてくるモーツァルトのクラリネット協奏曲に誘われてレンツの研究室に迷い込んだ語り手は、このエキセントリックな老科学者とその同僚たちの賭けに巻き込まれ、コンピューターに英文学の修士総合試験の試験を解かせて人間と変わらないような答案を書かせられるということを証明する羽目になる。プラグラムは何度かバージョンアップされて、ついには人間の意識に酷似した機能をそなえたヘレンが誕生することになる。

 この基本的な筋立てに説得力を持たせるために、人工知能についての膨大な知識が披露されるわけだが、それはいわば作者によるくだくだしいエクスキューズであって、この小説のいちばんの面白味となっているわけではない。『舞踏会に向かう三人の農夫』でもそうだったが、理系に進んだ後「文転」して小説家になったパワーズによる情報の提示のしかたは、いかにもアメリカで人文科学系の訓練を受けた人間のもの、という感じがする。そつなく満遍なく行われているのだが、客観的叙述を心がけるあまり、時として無味乾燥のきらいを免れないリサーチ。調べた人間の息づかいや感情といったものがほとんど伝わってこないために、書かれた事実に読者が引き込まれることがあまりなく、淡々と報告書を読んでいるような気持ちになってしまうような説明。

 それはたとえば、ピンチョンの衒学趣味とははっきりと異なるものである。ピンチョンの小説で与えられる情報は多かれ少なかれ「謎」の解明という側面を持っている。たとえ比較的よく知られている事実であっても、ピンチョンの筆致にかかるとあたかも今ここではじめて明かされたかのような気がしてしまう。パワーズが読者にもたらす情報は、よく言えば、もっと開かれている。読者と知識を共有すること自体が作品の駆動力となるような構成といえばよいだろうか。だが悪く言えば、ある種の迫力に欠ける、ということである。読者は心のどこかで、作者に手綱をとられて引きずり回されたい、と思っているものだから。

 だが『ガラテア2.2』はパワーズの他の小説と同様、多面的な構成を持っている。たとえばこれは、よくできた大学内幕物小説(デビッド・ロッジの『交換教授』や『文学部唯野教授』などが同じジャンルとして挙げられるだろう)としても読めるだろう。大学教師がいかに変人の集まりであるか、あるいは学問という名の下に強制される苦行に、学生がいかにマゾヒスティックに耐えているか、ということについて面白おかしく語られる。しかしこれもまた、この小説を読むおまけの楽しみに過ぎない。

 『ガラテイア2.2』の本当の魅力は、語り手の語る過去のほろ苦い追想にある。もともとパワーズは、永遠に失われて帰ってこないものへの哀惜を小説の主題に据えることが多かった。モーツァルトのクラリネット協奏曲から導かれるこの小説の世界は、はじめから喪失の感覚に満ちている。書き出しの二行目から「僕は三十五歳と別れてしまった」(原文を直訳すれば「自分の三十五番目の年を失った」)と記され、レンツたちとの出会いと並行して、恋人Cとの十年間余りの生活が描かれる。学生同士の貧しくも楽しい暮らしは、移民であった両親を追ってCがオランダに移住するのをきっかけに異国の地で新たな展開を見せるが、やがて「僕」が有名作家になったことで二人の仲がぎくしゃくしていき、破綻が訪れる。そのエピソードと前後して、「僕」が文学の道を進むきっかけとなった恩師テイラーの薫陶と、癌によるその死、そして死の三日後にロバート・サーヴィスの詩集を送りつけてきた父親との永久の別れが語られる。

 何かが永遠に失われてしまっているという事実に傷つきつつも前向きに生きていこうとするのは「僕」だけではない。レンツもまた、脳梗塞で惚けてしまった妻がおり、その同僚で「僕」に何かと世話を焼いてくれるダイアナも、知的障害児を抱えて夫に出て行かれてしまっている。彼らもまた、この世には完璧なものは存在せず、ただ「思い」だけがかつて完璧であった世界を蘇らせてくれる、というパワーズの小説を貫く倫理観を体現している人物なのだ。だがこの小説がいっそう切なくやるせないのは、物語が進むにつれて、喪失の感覚が世界にいっそう浸透していくところにある。過去に収まっていることに飽き足らないというかのように、喪失の体験は現在進行形で起こり始めるのだ。「僕」は大学院生Aに恋をするが、報われぬまま終わる。そしてヘレンもまた…。

 『走れ、ウサギ』をはじめとして、輝かんばかりの青春を過ごした人間が砂を噛むような思いで不毛な現在の生に耐えている、という筋立てを多用したジョン・アップダイクも、この小説を読んで涙したという。アップダイクよりも「倫理」的なパワーズの登場人物たちは、「今」をもう少し真面目に生きようとしている。だが、だからといってそれは過去の喪失の痛みがそれだけ少ないということではない。終わり近くで「僕」はこう言う。「僕の物語の中に出てくるものは、なにも去ったりはしない」。 つまり、失われたものはいつまでも自分たちのものであり続けると宣言しているという点で、これは第一級の青春小説なのだ。逆説めくが、青春のただ中を生きている人間たちのことを書いてもそれが青春小説の傑作になることはめったにない。生きることに夢中になっている人間の心理をリアルタイムに描いてもさして面白くもならないのが常なのは、登場人物が自らを省みてうじうじ考えるというプロセスが欠けているからだろう。「正しい」青春小説とは、自分の青春が終わってしまったことに気づいた語り手が、自分の生きてきた軌跡を幾分センチメンタルに振り返るものではないか。失われた青春についての美化された言説を生産する小説としての青春小説。アメリカの現代小説には、そんな青春小説の傑作がいくつもあった。『偉大なるギャッツビー』にはじまって『ライ麦畑でつかまえて』『さよなら、コロンバス』『走れ、ウサギ』等々、枚挙にいとまがない。パワーズの『ガラテイア2.2』もまた、こうしたアメリカ青春小説のキャノンとなるだろう。

『アウステルリッツ』:「かのように」の怪物

 「偉大な文学(literary greatness)はまだ可能か?」二〇〇一年に自動車事故で亡くなったイギリス在住のユダヤ系ドイツ語作家W・G・ゼーバルトを語るにあたって、スーザン・ソンタグはこう書き出している。なにを大仰な、というのが大方の反応だろう。ソンタグも齢七十になんなんとして耄碌したか。事実、その時点でゼーバルトが発表していた『眩暈、感情』(九〇年)『移民たち』(九二年)『土星の環』(九五年)という三つの長編について論じたこの短いエッセイ(『タイムズ・リテラリー・サプルメント』二〇〇〇年二月二十五日付)は、所々にソンタグらしい鋭い切れ味を感じさせるものの、ゼーバルトの作品がその一つの回答だ、とするそもそもの主張については最後まで説得力のある根拠は示されない。こんなふうに大上段に構えた書き出しの文章がたいていそうであるように、それは希望的観測にもとづいた思い込みをただ反復するだけで、「偉大な」ヨーロッパ文学の伝統が引き合いに出され、この作品にも似ている、あの作家にも似ている、といった不毛な類比がなされて終わっている。

 だがゼーバルトの遺作となった『アウステルリッツ』(〇一年)を読むと、ソンタグの言いたかったことがなんとなくわかるような気がする。いや、すでにヨーロッパ文学という制度に身も心も捧げているアメリカ人ソンタグよりも少し距離が離れている分、何がゼーバルトの作品を(ヨーロッパ的な意味で)偉大にしているのか、日本人の私にはかえってよくわかるような気さえする。一言で言ってしまえば、それは構築とか形式というものに対する二律背反的な意識と、時間と記憶との関係を探る主題を持ってきたことだ。しかも『アウステルリッツ』ではこの二つが結びつけられて語られる。

 アウステルリッツという奇妙な名を持つ建築史家とアントワープ中央駅の待合室で出会った語り手が、リエージュ郊外の工場地帯、ブリュッセルの最高裁判所と、偶然の邂逅を重ねていきながら、彼が辿った数奇な半生を知るようになる、というのが『アウステルリッツ』の基本的な筋である。語り手の私が自らについて語るところは少なく、小説の大半はアウステルリッツの語りが占める。とはいえ、アウステルリッツの語り—ですます調/私の語り—である調、と書きわけられている邦訳とは異なり、原著では二人の語りはもっと判別しがたいものになっていただろう。実際、主人公がアウステルリッツの物語を語るさまは、アウステルリッツその人が取り憑いているかのようであり、(何度かの偶然の邂逅もふくめて)アウステルリッツとは語り手の【ルビ開始】分身(ドッペルゲンガー)【ルビ終了】開始ではないかとすら思えてくるのである。

 以前の三作品の読者であれば、このような印象はさらに強まるはずだ。ゼーバルトがその生涯に発表した四つの長編においては、同じ主題が少しずつ形を変えて反復され、登場人物もどこかしら似通っている。残念ながら邦訳は『アウステルリッツ』以外では柴田元幸による英訳からの重訳で『土星の環』第一章が発表されているだけだが、そこでも極度の精神的疲労によって身体に変調をきたし幻覚を見る国外離脱者、知の作り上げる壮大な伽藍に魅了されその記述に一生を費やす研究者といった、お馴染みの登場人物に出逢うことができる。彼らはみな、アウステルリッツのようであり、語り手のようであり、あるいはゼーバルト本人のようである。

 とはいえ、主人公を建築史家としたことで、それまでゼーバルトが書きたかったモティーフはこの『アウステルリッツ』でよりくっきりと浮かび上がってきたように思える。柄谷行人が『隠喩としての建築』で書くように、西洋固有の「【ルビ開始】建築(コンストラクション)【ルビ終了】への意志」のもと、自然に負うことのない秩序や構造を確立しようという営みは、形式化の徹底を推し進めることで内なる矛盾をさらけ出し瓦解する。冒頭でアウステルリッツが語る、要塞の建設はまさしくその隠喩となっている。あらゆる外敵の侵攻を防ぐために、周囲に次々に防御設備をめぐらしていき、その結果同心円状にとめどもなく拡大していくが、そうなればなるほどかえって敵をおびき寄せることになる。かくして、一八三二年オランダ軍によって占拠されたアントワープ要塞はフランス軍によって破壊されるが、人々は要塞建設の愚を悟るどころか、いっそう外へ拡大しなければならないと外郭の建設をはじめ、ベルギー全土の軍隊をもっても防備しきれないような城郭を築き上げる。第一次世界大戦勃発直前、最後に完成したブレーンドンクの要塞は開戦後数ヶ月足らずで市と国の防衛にはまったく役に立たなかったことが判明する。

 「途方もなく巨大な建築物は崩壊の影をすでにして地に投げかけ、廃墟としての後のありさまをもともと構想のうちに宿している、そのことを私たちは本能的に知っている」(一八頁)と語るアウステルリッツはしかし、自分にも同じ運命が降りかかるのを知ることになる。三十年近く続けてきた建築史と文明史についての自分の研究、何千頁にも積もったメモやコメントを体系立てて整理しようと大学の職を辞した彼は、草案のほとんどが使いようのない、誤り偏っているものだということを発見する。やがて彼は自分の思考を的確に文字として書き表せなくなり、さらに読むことさえ困難になる。建築物についての自らの認識を言語によって構築しようとする彼の試みは、その壮大さゆえに、要塞同様自潰する。

 だがここで物語は更なる展開を見せる。原因不明かに思われたその症状は、チェコのユダヤ系家庭に生まれ育ったアウステルリッツが、ナチスドイツの侵攻に際してイギリスの家庭に養子として送られたという自らの過去を記憶の底に封印してきたゆえに生じたのだった。手がかりを求め故郷プラハに赴いた彼の脳裏に、これまで全く思い出したことのない、幼年時の記憶が鮮やかに蘇る。「時間などというものはない、あるのはたださまざまな、高度の立体幾何学にもとづいてたがいに入れ子になった空間だけだ、そして生者と死者とは、そのときどきの思いのありようにしたがって、そこを出たり入ったりできるのだ」(一七八頁)彼はそう感じる。

 意識において時間は空間的に構築されるが、無意識の記憶はそうした単線的時間とは相容れない。『失われた時を求めて』『ユリシーズ』をはじめとする二十世紀ヨーロッパの「偉大な文学」はいずれもこの主題を扱ってきた。だが空間モデルを否定するのではなく、「高度の立体幾何学」であれば記述可能だと考えるところにゼーバルトの「構築」に取り憑かれた業の深さ、「構築」を拒絶しつつ「構築」を求める態度がよく出ている。本文中に度々挿入される写真や図版もまた、「読みとる」速度と「見てとる」速度の本質的な相違によって、読者の内なる時間の流れを攪乱しようという試みなのだろうが、読み進めていくにつれて、一つの統一されたイメージが浮かび上がってくるのを押しとどめることはできない。結末で、今度は父親の消息を求めてパリに赴くというアウステルリッツとは対照的に、ブレーンドンクの要塞を再訪する語り手=ゼーバルトは、明らかに物語を収束させようとしている。こうして、物語は緊張感を孕んだまま、内破寸前のところで終わる。

 この作品が「偉大な」ヨーロッパ文学の系譜に属することは間違いがない。さすがに森鴎外は洋行帰りの歴史家五条秀麿に「かのようにがなくては、学問もなければ、芸術もない、宗教もない。人生のあらゆる価値のあるものは、かのようにを中心にしている」と言わせているが、「生成」を拒否する大抵の日本文学に慣れた者にとっては、作品に通底する、半ば自覚的な狂気である「建築への意志」に違和感を覚えることもあろう。だが、それも含めて『アウステルリッツ』とは、きわめてヨーロッパ的な小説の快楽を味わうことのできる作品である。