月別アーカイブ: 2014年9月

幽霊の演劇:仲田恭子作・演出『現代版・蔦紅葉宇都谷峠』

マーヴィン・カールソンが『お化け舞台』(The Haunted Stage: The Theatre as Memory Machine, 2003)で提出した概念に「ゴースティング」がある。テレビのゴースティングにヒントを得たこの概念は、と説明しても、劣悪な電波状況のせいでものや人が二重あるいはそれ以上になって画面に映る現象はもうすでに馴染みのないものとなっているかもしれない。舞台に登場した俳優に以前演じた役柄を重ねたり、学校演劇などで上演のたびに玉座として使われる小道具を見て過去の公演を思い出したりする、上演の受容において観客の記憶が大きな役割を果たす一つの例だ。

二〇一四年三月二十一・二十二日、静岡県藤枝市にある岡部宿大旅籠_^柏屋【かしばや】^_隣・内野本陣史跡広場で上演された仲田恭子作・演出『現代版・蔦紅葉宇都谷峠』を見て最初に思い出したのが、このゴースティングのことだった。それは(「_^文弥【ぶんや】^_殺し」として知られる)河竹黙阿弥の原作『蔦紅葉宇都谷峠』の主人公・按摩文弥の幽霊が作品冒頭に現れ、現代人のカップルの片割れ菊枝を姉のお菊だと思い込んでつきまとうからだけではない。仲田の大幅な加筆によって、「文弥殺し」にくわえジャン・ジュネの『バルコン』『女中たち』そして『四谷怪談』までもが私の記憶に甦ってきたからだ。意図的で知的な創作行為としての引用ではなく、ちょうどシラー『群盗』が『リチャード三世』を想起せざるを得ないように、作り手の無意識に取り憑き、棲み込んだ「幽霊」が作品の上演の場に現れてくる驚きと面白さ。
そしてその驚きと面白さは、作者も意識してない「元ネタ」を見つけることができた演劇研究者がちっぽけな自負心を満足させたゆえに生まれるのではない。次々と「幽霊」を引き寄せてしまう仲田の、心の弱さであり、心の広さでもあるものは、たとえ演劇的記憶=「教養」の持ち合わせがそれほどない観客にとっても『現代版・蔦紅葉宇都谷峠』全体に感じ取られたはずだ。私たちの大半が他者との境界を慎重に引いて「自分」を守ることに汲々としているのに対し、ごく限られた人たちはごく気軽に他者を取り憑かせる。その中には霊能者と言われたり、精神病だと判断されたりする人もいるが、アーティストにもそういう人がいる。『現代版・蔦紅葉宇都谷峠』で観客が味わう感情は、口寄せしているイタコを見守っているときの言葉にできない期待と不安に似たものであり、ともすれば「難解」だととられかねない書き替え狂言に対する地元の観客の好意的な反応は、そうした仲田の他者に対する「_^無防備さ【ヴァルネラビリティ】^_」が露呈していたことに向けられていたものだ。
先走りすぎたので話をもとに戻そう。今回の『現代版・蔦紅葉宇都谷峠』は二〇一二年十一月、隣の大旅籠柏屋・中庭で上演された同名の野外劇を大幅に改訂したもの。藤枝市出身の作家・小川国夫の作品を上演したことなどが縁で、同市出身の仲田恭子が黙阿弥の御当地ものを現代版として改作上演することを市から依頼された。原作では文弥は座頭の官位をとるためにお菊が身売りして作った百両をもって京都に上ろうとする。昔の東海道である国道一号線をたどると、文弥が胡麻の灰・_^提婆【だいば】^_の_^仁三【にさ】^_に危うく百両を奪われそうになる_^鞠子【まりこ】^_宿(五十三次で二十番目の宿場)を通り、そして提婆の仁三を取り押さえた元武家の若党・伊丹屋十兵衛が大恩ある主君のためにその百両を奪おうと考えを変え、文弥を殺す宇都谷峠へと行きつく。今回の舞台となった岡部宿はその次の宿場町で、大旅籠柏屋はそのうちの一つの宿屋だから、正確には御当地ものではないが、地元の観客にとっては馴染みのある地名が登場する作品だ。
仲田恭子は、一九七五年生まれ。二〇〇二年に早稲田大学を中退後、二〇〇四年に利賀演出家コンクールの課題の一つイヨネスコ『授業』で最優秀演出家賞を受賞、その後ク・ナウカで清水邦夫『ぼくらが非情の大河をくだる時』の外部演出などを経て、二〇〇五年に現在のユニット・空間アート協会ひかりを結成。現在は長野県在住で、東京での公演もあるが、藤枝市や長野市、そして二〇〇七年から三年間急な坂レジデント・アーティストだったことから横浜市などでワークショップ形式の公演に多く携わってきた。私は二〇〇二年、ガーディアン・ガーデン演劇フェスティバルというかつてリクルート社が実施していた若手小劇場劇団の登竜門の役割を果たしたフェスティバルで二次公開審査に出場した、当時の仲田が率いていたシャユカイの短いプレゼンテーションを審査員として見たきりで、今回がほぼ初めてだ。ちなみに公開審査の場でシャユカイに票を入れたのは私一人だったので、当時から何らかの親和性を感じていた可能性はあるが、そのこと自体を忘れていたくらい、仲田の名前は記憶から薄れていた。私の興味は、共同体の紐帯を維持強化するための野外劇という、二〇世紀初頭のルイス・N・パーカー/パーシー・マケイ/坪内逍遙らの試みが現在でも継続していることに対するものだった。
極寒の冬が去り、春めいた陽気が続いていたとはいえ、日が落ちると相当に冷え込む本陣史跡で行われる無料公演にやってきたのはあらかじめ応募した観客約二〇〇人。その大半が地元民だろう。高齢者が若干多いような印象も受けるが、老若男女が取り揃えて集っているのを見ると、逍遙が理想としていた野外劇が今上演されているのだ、という感慨を抱く。逍遙『熱海町のページェント』をはじめ、静岡は野外劇の伝統があるのだ。今回の公演は史跡が四月に一般公開されるのを記念したもので、二日間の上演だったこともあってか、観客の集中度は高く、二時間二〇分という長丁場でも真剣に見入っていた。
仲田は今回の改作のポイントを黙阿弥作品のコラージュだと語るが、原作にない部分も多くあった。「鞠子宿」「宇津谷峠」の場、すなわち原作でもっとも盛り上がる盗難未遂と殺人の場面はほぼ忠実に演じられる。だが前述のように、現代のカップルの物語が書き加えられるほか、やって来ない大名の宿泊を待ちわび、そのときのことを女中に何度も予行演習させる本陣の主人と、芝居の稽古に余念のない女中二人が登場する。そう、ジュネ『バルコン』『女中たち』の書き換えにもなっているのだ。だが仲田によれば、これは意図しての本歌取りではない(聞き忘れたが「ゴドー待ち」は意識していそうだ)。そもそも、イルマにあたる宿の主人は男だし、女中が稽古する芝居は、十兵衞が文弥の幽霊に取り憑かれた妻のおしずを誤って殺してしまう「伊丹屋」の場。「奥さま」ごっこならぬ、「殿様」ごっこに打ち興じるのは宿の客たちである。いくつもの芝居の筋が歪曲・加工されて一つの物語を作り上げている。というより、仲田によって吹き寄せられたいくつもの芝居の筋が、ゴースティングのように多重の像になって舞台に出現する、といったほうがよいか。
これという作品は特定できないものの、既視感あふれる場面は他にもある。いかにも贋物くさいペリー提督が日本人の随行員(浦賀奉行を称して対応した与力・香山栄左衛門のようだ)を伴って現れる。現代のカップルは心中し損ない、言い争いの末に男が女を殺すと、次の場面では堤婆の仁三となって登場する。十兵衛が複数の亡霊に悩まされる『四谷怪談』に似た場面の後、「鈴ヶ森」の粗筋がラウドスピーカーで説明される。十兵衛が切腹し、これで終わったかと思うと、ちんどん屋の演奏とともに花魁道中がはじまり、登場人物が一列に並んで舞台から退場して暗転する。
仲田の演出も巧みで、この夢のような脈略のない物語でも観客をついてこさせる。といっても、影響を受けたと語る鈴木忠志作品のような強度のある演出ではなく、錯綜する筋という点ではいちばん似ている唐十郎のように音と光でケレン味を出すわけでもなく、「弱いテンション」でずるずると引きずっていく点がユニークだ。間口三十メートル、奥行五十メートルという広大な野外の舞台のあちこちに俳優たちを出没させる。俳優はわずか八人だから空間が埋まるというわけではないが、点景のように存在している彼らはなぜか目を引きつける。歌舞伎ふうになるところも含め、俳優の練度は高いが、それをこれ見よがしに見せつけることもない。言ってみれば、幽霊のようにふわふわしてとらえどころのない演出なのだが、それも含め『現代版・蔦紅葉宇都谷峠』は「幽霊」に取り憑かれた芝居だった。

写真キャプション
『現代版 「蔦紅葉宇都谷峠」』原作=河竹黙阿弥 脚本・演出=仲田恭子
2014年3月 藤枝市岡部宿内野本陣史跡 撮影=与那覇政之