月別アーカイブ: 2007年1月

『遠い音』:良質のヤングアダルト文学

 うちの近所の市立図書館には、ヤングアダルト(YA)コーナーなる一角がある。そこにあるのは、もともと少年少女向けに企画されたシリーズ、すなわち、岩波ジュニア新書や集英社コバルト文庫の類だけではない。『いま、会いにゆきます』や『電車男』といったテレビや映画で取り上げられて話題になった本から、私たちが子供の時分からある、子供向けとは思えないほど大部の福音館古典童話シリーズまで、さまざまな分野やジャンルの本が所狭しと並べられている。十代の若者になんとか本を読ませたいと願う図書館員の熱意が感じられるセレクションなのであるが、同じ書棚に田口ランディや舞城王太郎、はたまたま村上龍までが並んでいるのを見ると首をかしげたくなる。いや、こういうのは「大人の本」とされているから背伸びしたいガキは読みたくなるんで、はじめからあなたたち向けですよ、と出されても興ざめなんじゃないですか…。

 これはしかし、日本においてYAというカテゴリがいかに実体のないものであるか、ということである。このカテゴリの誕生の地である北米では事情が大分異なる。全米にチェーン展開する巨大書店バーンズ&ノーブルのYAコーナーにでも行くと一目瞭然だが、英語圏文学においてYAというカテゴリは一つの市場であり、専門の書評家もいれば、研究書も出版されている。

 では英語圏のようにYAというカテゴリが確立しているのがのぞましいのかというと、一概にそうとも言えない。それはこういうことだ。YA文学の大半が、家族との葛藤、友人や恋人との軋轢、あるいは職業選択や趣味の追求にまつわる困難さといった古典的教養小説の主題を現代風にアレンジしたうえでリアリズムの手法で語るものであることはたしかだが、なかにはもっと象徴的な言葉や物語を用いて、主人公が他者との邂逅を経験し、自らのアイデンティティを確立していく過程を綴った作品もあって、意外に多様である。だがどんなYA文学にも共通する特徴はあって、それは、読者に対して真っ直ぐ語りかけてくる、という点である。

 「大人向け」の小説では、自らの言葉が読者にそのまま届くと作者が信じて書いているものはほとんどない。それは読者に対するあからさまな不信の表明や嘲笑的な態度といった極端なかたちをとることもあれば、「語りの共同体」に読者を誘い込むためのもっと洗練された戦略上の工夫であることもある。だがそのような仕掛けが表面化してこないような作品であっても、読んでいて他者との間にコミュニケーションが成立することについての根本的な疑念が伝わってこないものは、どういうわけかすぐれた作品だとは見なされない。作品の核に隠された、言語による自己疎外の感覚を共有することができるかどうかが「純文学」を理解できるかどうかの資格試験であるというかのように、この壁は厳然としてそびえ立っている。

 英語圏文学にYAというカテゴリが存在する裏側の事情には、語りというメタレベルでのコミュニケーション不全は子供たちに味合わせたくない、という大人たちの黙契があるように思われる。なるほど、物語のレベルでは登場人物たちはコミュニケーション不全によって悩み、同じようにコミュニケーション不全に苦しむ読者であるティーンエイジャーたちの共感を誘うことになる。しかしこうした物語では、遮断されていたコミュニケーションの回路は最終的には再び開かれるのが常であるし、たとえそうでないにせよ、作者の筆致はコミュニケーション不全の状況があるということは明確に伝わるようになっている。そこに、子供を安全な場所に「隔離」するという思想が働いていないとはいえまい。その意味では、むしろ日本のように、「純文学」もあれば鏡像段階での妄想を書き殴ったものもあるといった、てんでばらばらな状態をYAという緩いくくりで括ってしまうことにこそ、真の教育的効果があると言うべきではないか?

 前置きが長くなった。カナダ人女性作家フランシス・イタニの長編『遠い音』は、今述べたような意味で、きわめて良質なYA向けの作品である。簡潔で無駄をそぎ落とした文体からは、自分の語ることは読者に百パーセント届くはずだという堅い信念が伝わってくる。カバー折り返しに掲載されている写真の著者の眼は、見ているこちらの眼を射抜くかと思われるほど強い光を放っており、そこに表現されている真っ直ぐな想いはたしかに作品全体に充満している。屈折した「大人」には時として耐え難いほどの純粋さ。もちろん、それを欲している大人にとっては十分に楽しめるものではある。

 五歳の時猩紅熱で聴覚を失った少女グローリアが聾学校に通い、成人し、健常者の伴侶とめぐり逢い、幸せな日々をつかの間過ごすも、夫ジムは第一次世界大戦に出征してしまう、というこの作品の筋立ては、ある種のメロドラマを想像させるに十分なほど通俗的に聞こえるかもしれない。実際、帯には「静寂の大地カナダに感動がこだまする大河長篇」とある。だが抑えられた筆致は、グローリアやジムやその周囲の人々が、苛酷な運命に翻弄されつつ、いかに慎みを失わないでいられるか、という部分に焦点があてられており、大味なメロドラマとは対極の位置にある。たとえば、ジムは傷病兵としてたくさんの戦傷者を介護したりその最期を看取ったりするのであるが、その一人であるトミーが痛みをまぎらわそうと饒舌にしゃべり続けるのを聞くと苛立ちを感じる。

「おれにもわかっていることがひとつある」とトミーが言った。声がふいにか細く、弱々しくなっていた。

 だが、ジムはトミーに何がわかっているのか聞きたくはなかった。彼は叫びだしたかった。<やめろ! そんなふうに自分の苦痛についてしゃべるのはやめるんだ! すこしは慎みというものを知れ!>

 だが、考えてみれば—自分はまったく健康であり、こうして動いたり、食べたり、小便をしたり、糞をしたり、無傷の口と舌でしゃべったりしているのだから—それを考えてみれば、まさに残酷なほど慎みを知らないのは、自分のほうにちがいなかった。

 どんなに感情を揺さぶられるような体験をしても、決して叫んだり泣きわめいたりしないこと。他者と自己との境界をつねに意識して、人様の気持ちをあれこれと詮索しないかわりに、自分の心に他人がむやみやたらに立ち入ることを拒絶すること。こうした抑制の美学とでもいうべきものがここにはある。だが、作品に緊張感を与えているのは、この抑制の美学が外的状況によってつねに脅かされているという構図である。グローリアの聴覚が失われたことからはじまって、ジムが激戦地であるベルギーやフランスの戦場を転々とする間に見聞きする阿鼻叫喚の地獄絵図まで、感情を暴発させても当然という場面が繰り返し描かれる。しかし主人公たちは冷静に状況を理解しようと努めるのだ。

 その意味で、原題の Deafening という題名はとてもうまい。「耳をつんざくような」というこの形容詞は、撞着語法で deafening silence のようにも用いる。つまり、この題名は「耳をつんざくような」外界の騒音(聾であることを過度に気にする無理解な隣人や戦場の騒音といった)と表すと同時に、そうした外界に対して直接の反応を示すことを拒絶する「深い沈黙」をも表しているのだ。作者にとって 「深い沈黙」とは、その場で起きていることを理解するために、反応が一瞬止まることの比喩になっている。手話を解さない健常者たちの唇の動きを読み取って何を言っているかを理解するためにグローリアが必要とする数秒の「遅れ」。しかしこの「遅れ」は、ジムが戦場で消費される圧倒的な物量を目の前にして感じる理解の遅れとして体験されることによって、より普遍的なものになる。

むかし—あの青い毛布の上に坐っていたとき—きみが話してくれたことがある。きみにとって理解が遅れてやってくることがあるということを。いま、ぼくはそれがもっとわかるような気がしている。実際に起こっていることと理解していることのギャップがわかるような気がする。そこにあるものとそこにはないもの。たくさんのものが入ってこようとし、たくさんのものが侵入してこようとする。音はぼくたちを圧倒する。あらゆる思考を停止させる。猛毒のガスみたいに体内に滲みこんで、すべてに浸透し、あらゆる裂け目や割れ目を満たそうとする。

理解することとは、このように遅れて反応することであり、同時に「物自体」が自らの裡に入り込んでくることを防ぐことでもある。耳をつんざくような騒音に満ちあふれる世界にあって、抑制の美学を貫くためには、deafening silence が必要なのだ。作者がもっとも伝えたいメッセージは、こうして作品の細部だけでなく、題名にも表れることとなる。

 その一方で、この作品の幕切れにいささか物足りなさを感じるのはいたしかたないだろう。グローリアの周囲に次々に死が訪れる中、ジムが無事に帰国するという結末は、当然予想されるものであるとは言え、もっと感動的に盛り上がってもいいはずだ。しかし作者にとって、困難な状況下で禁欲の美学をいかに貫くか、ということのほうが、二人の再会よりも重要だった、ということは容易に想像がつく。あくまでも予定調和的に物語は終わるが、作品を読み進めていくうちに感じとられる作者の強烈な想いはいつまでも読者の心を捉えてはなさない。

 語り手の自己韜晦の身振りがその個性を見事に消し去り、そのかわりに物語が前景化する、というのが「大人向けの」小説であるとしたら、この作品は一貫性を持った物語を語ることに専念しようとする語り手の姿勢がかえって語り手の存在を大きく浮かび上がらせ、物語を後ろに追いやってしまう、YA文学の一つの極を示していると言えるだろう。

ドキュメンタリーとメロドラマの複合体:太陽劇団『最後のキャラバンサライ(オデュッセイア)』

 二〇〇一年の太陽劇団の来日公演『堤防の上の鼓手』は正直言ってあまり感心しなかった。美しく繊細な詩情に富んだ舞台であった、といえば褒めたことになるのかもしれないが、新国立劇場中劇場内にしつらえた仮設舞台の上で俳優たちが文楽の人形を模した所作をするのを見ても、観客に訴えかけてくるエネルギーを感じられなかった。目の眩むような視覚的効果が次から次へと示されるのに感心しながらも、私は「だから、なに?」という問いを胸の内で何度も反復せざるを得なかった。
 観劇後しばらくしてフランス演劇研究者の畏友小田中章浩氏に会ったときに、上記のような感想を言うと、「太陽劇団はヘタウマだからよかったんですよ。文楽なんかの下手な物真似を荒削りなままやっているうちはわけのわからない面白さがあったんだけど、だんだん上手くなっちゃって、昔に比べるとパワーも落ちちゃったから、文化帝国が植民地の演劇を搾取する典型みたいな芝居になっちゃった」という答えが返ってきて腑に落ちた。同時に、手作り感覚のアマチュアリズムが売り物だった演劇集団が、時の経過とともに洗練と自己反復に向かわざるを得ないという宿命を、太陽劇団もまた負わされていたのだと知って悲しくなった。演劇愛好者とは、つねに遅れてきた存在である。名舞台はつねに過去にあり、名優たちはすでに鬼籍に入っているか全盛期を過ぎている。今見ているのはそれらの残滓に過ぎない。『一七八九』『アトレウス一族』など数々の伝説が語り継がれてた太陽劇団の現在を知るということはこういうことなのか、と嘆息した。
 そんなわけで、ニューヨークで毎年夏に行われるリンカーン・センター・フェスティバルの今年のラインナップに太陽劇団の新作『最後のキャラバンサライ(オデュッセイア)』が入っているのを見つけたときにも、それほど心が騒いだわけではなかった。これは二〇〇三年四月に太陽劇団の本拠地ヴァンセンヌのカルトゥーシュリー(弾薬工場)跡地で世界初演されたあと、同年のアヴィニヨン演劇フェスティバルでも上演される予定であったが、舞台芸術労働者のストライキで中止になるという曰くつきの作品であり、リンカーン・センターの敷地内にあるダムロッシュ・パークに巨大なテントを建てての興行が北米初演となる。だが、大学の仕事を中途で放りだして(夏学期の講義は終わっているが試験やら会議やらが残っていた)、リンカーン・センター・フェスティバルに久しぶりに行こうという決心を固めたのは、ほかにもロバート・ウィルソンがインドネシアの叙事詩『ラ・ガリゴ』のエピソードから作りあげた『イ・ラ・ガリゴ』や、マーサ・カニングハム+ジョン・ケージの『オーシャン』再演など、いつにない充実したプログラムが編まれていたからだった。
 結論から言えば、『イ・ラ・ガリゴ』は美しいが退屈で、ウィルソンのマンネリズムが悪いほうにでてしまった。『オーシャン』は、コロンバスサークル再開発計画の目玉であった巨大なガラス張りの建物、タイムワーナーセンターの中に作られたローズシアターの特性を存分に生かし、ケージの構想どおりオーケストラを円形に配置して客席を取り囲む(ただし同一平面ではなくオーケストラは一段高い場所に位置する)など、興味深い試みであったが、歴史的な意義以上のものを見いだすことはできなかった。ピッコロ・テアトロの『アルレッキーノ』では、齢七十をこえたフルッチョ・ソレーリが一九九九年の日本公演とほぼ同じ運動量をこなしているのを見て感動したが、これまた二十世紀演劇史の復習という域を出なかった。だが、『最後のキャラバンサライ』には圧倒された。第一部・第二部あわせて約六時間という長丁場であったが、上演されている間、私はただひたすら舞台に魅入られ、釘付けになっていた。
 『最後のキャラバンサライ』がそこまで衝撃的だった理由の一つは、題材の今日性があるだろう。この作品は、コソボ自治州のアルバニア系住民、クルド人、チェチェン人といった、周辺国家・民族による迫害や虐殺から逃れるために難民として国境を越えた人々や、イラン、イラク、タリバン政権下のアフガニスタン、ロシアなどの祖国を政治上・経済上の理由で亡命した人々が、定住先を求めて放浪を続けるなかでどのような危険や苦労に遭遇するか、あるいは難民キャンプや難民収容所でいかに差別的な待遇に処せられているかを群像劇ふうに描いたものである。題名の一部となっているキャラバンサライ(Caravanserail)には、隊商宿、すなわちキャラバンが休息し、水や食料を補給するための広大な中庭を持った宿という意味と、外国人でにぎわう場所という意味がある。二〇〇一年、ムヌーシュキンたちは、フランス北部の港町カレー近辺にあり、イギリス亡命希望のクルド人、アフガニスタン人、イラク人などが一六〇〇人ほど生活していたサンガット難民収容所などで難民たちに直接インタビューを行った。オーストラリア、ニュージーランド、インドネシアの同様の施設でも取材をしたが、これは『堤防の上の鼓手』世界ツアーの合間を縫ってのことだったという。「最後の」(Dernier)という形容詞に、希望が込められているのかそれとも痛烈な皮肉なのかは定かではないが、キャラバンサライが難民キャンプや難民収容所のことを言及していることは明らかだろう。さらに、かっこで括られた複数形のオデュッセイア(Odyssees)には、故国を離れ苦難に満ちた生涯を送る英雄たちの物語、という意味が込められている。もちろん、神話のオデッセウスと違ってこの「英雄たち」が故国に帰ることは、おそらくない。
 作中フランス語だけが話される場面は多くない。難民はクルド語、ペルシア語、チェチェン語などを話す。難民を迫害し、搾取し、あるいは官僚として非人間的に扱う側はフランス語のほかに、英語、セルビア語、ロシア語、ドイツ語などを話す人物たちで構成されている。アメリカ公演では、本国公演で用いられたフランス語の字幕のほかに、英語の字幕が重ね合わされた。登場人物は一部二部合わせて一〇〇人以上。それを三十六人の、さまざまな国の出身の俳優たち(スタッフも合わせると二十二カ国にのぼるという)が演じる。中東・ロシア・アフリカからの難民の大量流入と、多言語・多文化の共存という状況は、西ヨーロッパ諸国が日々向き合う現実であり、東南アジアや中南米から流出する難民が数に入れられていない点に一抹のヨーロッパ中心主義を感じなくはないものの、作り物の物語にはない迫力があった。
 こうした現実の裏付けがあると、この劇団特有のあざといまでのシアトリカルな仕掛けも納得がいく。とはいえ、「過酷な大河」(Le Fleuve Cruel)と名づけられた第一部の幕開きの場面では、私はまだ魔法にかかることができないでいた。嵐の中、キルギスタンとカザフスタンを隔てる川を、向こう岸から渡された一本のロープを伝わってなんとか渡ろうとする難民たち。降りしきる雨によって水かさを増し轟々と逆巻く大河を、舞台全体を覆う巨大な布一枚で表現するその技術は見事だが、ここまで完成されていると、技術を可能にさせた思いはかえって見えてこない。『堤防の上の鼓手』のとき感じた、ある種の空虚さの感覚が甦る。
 しかし短いものであれば十分程度、長くても二十分もない場面が次々と目の前で展開されていくにつれ、私は徐々に舞台に引き込まれていった。一つには、目まぐるしくなされる場面展開のたびに、俳優やスタッフたちが小道具を抱えたり、移動可能な大道具を押しながら、幅二十メートル、奥行き十メートルはあるかと思われる広大な舞台の周囲を駈け回る、その機敏な動きに感じ入ったということもある。俳優たちが舞台を登退場するときは、小さな台車の上に乗り、出演していない俳優やスタッフからなる黒衣がその台車を押すのだが、舞台の縁まで来ると、俳優も台車から降りてスタッフとともに駈け出す。つい先ほどまで舞台の上で愁嘆場を演じていた俳優が、素に戻って次の場面の準備をしている、ただそれだけのことなのだが、同化と異化との間を絶えず往還するブレヒト的な演劇の最良の瞬間がそこにあった。演じる対象(役)と演じている俳優自身の姿を同時に示す、というブレヒトの定理は、むしろこのような形で実現されるべきではないか、とすら思った。演じている自分を示すためには、舞台の上のイリュージョンの生産過程に従事する自分を示すだけで十分であって、「演じる対象の行動に注釈をつけくわえる」必要はないのではないか。観客は、自分たちに何かを信じさせようと一生懸命になっている俳優の姿を見て、その場面に引き込まれつつ立ち止まって考えるのだから、俳優が観客を「啓蒙」する必要はないのではないか。
 もっとも、公式ブレヒト主義者(なるものが今でもいるのかは疑問だが)から見れば、『最後のキャラバンサライ』で語られる物語も、リアリズムにもとづいた俳優たちの演技も、お涙頂戴のメロドラマに堕していると批判される余地が大いにある。むしろムヌーシュキンたちの戦略には、ブレヒト的であることよりも、ピクセレクール以来のメロドラマの手法を堂々と利用することで民衆演劇の系譜に連なる、というところにあるのかもしれない。故国の家族に宛てた難民たちの手紙がペルシア語で読まれ(同時に端正な筆記体で綴られたフランス語の字幕が舞台の背景幕に投影される)、美しく感動的な旋律の音楽が演奏され、人目を驚かせるスペクタクルが示される。人物であれ、装置であれ、舞台上の形象は明晰であり、一意的な意味を指示している。
 メロドラマはまた反復を利用して一種の催眠効果を作り出すことがあるが、この作品でも互いに似通ったエピソードが幾度も語られる。ヨーロッパにたどり着いた難民はたいてい、難民認定が比較的簡単に取れて、身分証明書の携帯を義務づけられてこなかったイギリス行きを希望する。彼らがドーバー海峡下のユーロトンネルを通過する貨物列車のコンテナに潜り込んで密入国する様子は、日本でも公開されたマイケル・ウィンターボトム監督の『イン・ディス・ワールド』(二〇〇〇)でも描かれていた。『最後のキャラバンサライ』では、ピカレスク的魅力をそなえた密入国業者のボス、セルビア人ヨスコの指揮のもと、さまざまな国籍の難民が、カーブのせいで列車のスピードが落ちる場所に潜んでコンテナに飛び乗るという主題が変奏されて描かれる。国境警備兵に見つかって失敗する家族。金が工面できずにヨスコに罵声を浴びせられる兄弟。あるいは費用を調達するためにヨスコの言うままに売春をする少女。そしてお定まりの内輪もめと裏切りによってヨスコは殺され、新しいボスが実権を握る。
 「起源と運命」(Origins et Destines)と題された第二部になると、断片的に語られてきた物語がこうして次第に組み合わさり、メロドラマとしてのうねりを持つようになっていく。その一方で、当事者にしかわからない細部も描かれ、ドキュメンタリーとしての迫真性は保ち続ける。このドキュメンタリーとメロドラマの混交こそ、作品に力強さを与えていたもっとも大きな要因だろう。ムヌーシュキンは最初に俳優たちに自らの想像力と経験をもとに即興で場面を作り上げるように要求し、そのあとでインタビューや証言の記録を示したという。現実と想像の複合体は、剥き出しの事実よりも私たちの内なる生に食い込んでくる。なぜなら私たちの内なる生とは、まさしく現実と夢を混ぜ合わせてできたものに他ならないからだ。ムヌーシュキンはそのことをよく知っていたし、またそれを表現する媒体として、集団創作の手法が作り上げる俳優の身体が最適であることも理解していた。その結果が『最後のキャラバンサライ』だったのだ。一九六四年に創立された伝説の演劇集団はまだ「伝説」にはなっていなかった。

『権現の踊り子』:インデアンカレー

 織田作之助『夫婦善哉』の中に登場するというのでその名を知られるようになった大阪名物に、自由軒のインデアンカレーがある。注文すると、皿に盛られたドライカレーの真ん中をくぼませて生卵を落としたものが運ばれ、特製ウスターソースをかけてぐちゃぐちゃに混ぜて食べるという代物であるが、町田康の小説は、このインデアンカレーによく似ている。本来別々に食するものが混ぜ合わせられて作り出される、何ともいえない味。本家本元のインドカレーとは似ても似つかぬ味だが、この味はまたそれとは別で、要するにこの味でしかない、と同義反復をすることで納得するしかないオリジナルな味。「西洋風」で「近代的」な料理のはずなのに、どこか日本的で前近代の匂いのする味。「下品だ」といって顔をしかめる人間もいるが、そのまずいんだかうまいんだかわからない味にやみつきになってしまう人間もいる。

 短編集『権現の踊り子』に収録された作品はどれもそんな複雑で一筋縄ではいかない味わいを持っている。たとえば「ふくみ笑い」を見てみよう。「好物のバナナを売ってもらえない」「スタジオミュージシャンの仕事が突然来なくなる」等々の不可解な迫害を受ける「俺」は相手のふくみ笑いに自分の知らない意味がこめられているのだと考え、これは単なる被害妄想でないと「クリアーで冷静な頭で」判断する。そのうちに「人間や犬に触れると表皮から体液を滲出させて腐らせてしまう」一尺ばかりの紐とも皺のある棊子麺ともつかぬ物体が無数に空中を飛んでくるようになり、捕虫網を振り回しては紐を捕りドラム缶で燃やす大男から、紐は現実に裂け目が生じて時間に入ったノイズだと教えられ、一緒に紐をとって焼くように頼まれるが、「俺」はふくみ笑いをする奴らを生命を賭して救うことが正しいことかどうかを男と議論する。

 『夢十夜』のように、非現実的だが奇妙にも一貫している夢の論理を忠実に記述しているようにも見えるこの作品は、しかしそれ以上のものを内包している。もちろん『夢十夜』に描かれる「夢」もまた作家夏目漱石が捉えた多面的な現実の反映であり、一意的な解釈を導くことを躊躇わせる類のものであるが、「ふくみ笑い」には、そうはいってもしょせんは個人の中で完結する夢の論理とは別の、上位の次元の物語が連結され、ごちゃまぜになっている。ドライカレーに生卵とウスターソースを混ぜ込んでいくのと同じ手口だ。何度も挿入される「べらんがめらんでソーダ水飲むン あきゃきゃ、あぱぱ、乳、踏んでおどろ」とはじまる意味不明の歌は、『楢山節考』の盆踊り歌を思い出させる。「ふくみ笑い」には、売れないミュージシャンの湯田典惇(ユダと読めることはここでは深く追求しない)に一年くらい借りていたギターを「俺」が返しに行くという物語が根本にあるのだが、深沢七郎が大のギター好きで、リサイタルを開いたりするほどの腕前であったことを知る読者にとって、町田が深沢に負っていたもの(とは、ある種の文学的な「やつし」の態度、目線の低さだろう)を返したいと思っている、というようにもとれる。最後に「俺」が遭遇する「すげえ虚無」は『天人五衰』の幕切れを思い起こさずにいられない、するとデビュー当時深沢を高く評価した三島由紀夫という連想がさらに働いて、読者は一つの文学史的連環がこの作品に実現されているのを見ることになる。この三者をつなぐのは、本来自閉的な日本文学の空間に他者の表象をどのように滑り込ませるかという問題意識だ。

 もちろん、「口では友達のようなことを言っておきながら、しょせん仕事のない奴だ、と内心ではなめていた」と道すがら湯田に対する自らの態度を反省する「俺」が、理不尽な迫害を次々と蒙るという構図そのものに、今や有名作家となった自分に抱く町田自身の罪悪感や無名時代からの友人たちへの奇妙な申し訳のなさが投影されている、と考えることは可能である。二十年前、若くて貧乏だった頃によくつるんで遊んでいた「鶴」が病院で死にかけていると聞いて見舞いに行こうとするがたどり着けないという「鶴の壺」や、お金を使うまいとさまざまな生活の工夫をこらすのだが、肝心なところで抜けているので失敗ばかりし、最後には感電死してしまう減さんを語った「工夫の減さん」といった作品もまた、「人間の屑」から出世してしまった自分への気恥ずかしさ、ずっと「人間の屑」でしかいられなかった友人への二律背反的な思いが表現されていると考えてもあながち間違いではあるまい。

 しかしこうした、いわば独り善がりの理屈、個人が見る夢の中でしか許されない独我論的論理を超えていこうとするのが町田康の倫理というものである。「すまない」と考えることこそが思い上がりであるという思考回路が生み出すのは、夢の論理を包含しながらそれを社会的な意識の在りかたへと作り変えていくようなヴァイブレーションだ。「ふくみ笑い」ではそれが先行する文学者たちへの関係意識を描き出しているように見えた。「鶴の壺」でも、鶴が入院しているのが神殿奉祝病院とあり、一種の天皇論となっていることがわかる。そして表題作「権現の踊り子」では「伊豆の踊子」に体現されている(とされる)「美しい日本の私」的感性がグロテスクなまでにパロディにされる。権現市があると聞いて行ってみたはいいが、祭りはまだはじまっておらず、語り手の「俺」は「圧倒的な敗北感」が充満する音楽を演奏する老年の楽隊と、そうしたみすぼらしさを一掃して「キテル感を演出」したい界隈の管理者に出会うだけだ。「俺」のことを「けっこういい感じの、最先端流行野郎」だと勘違いした管理者は権現の大鳥居近くの掛け小屋に案内し、「赤ワインとちょっと洒落た小皿料理」やカレーを味見させ、権現躑躅踊りのリハーサルを見学させる。必死になって「俺」の意見を求める管理者に「まずい」「田舎臭い」とからかい半分文句をつけているうちに、「俺」はこうした「男がよきものだと思いたい魂の変形物」すべてを「偽の美の判者として徹底的に叩きのめ」さないと男に殴り殺される、「しまった」と思う。支配や管理への欲望をむき出しにする「男」を現在国政の舞台において与野党問わず若手議員を中心に伸張しつつある新保守主義勢力の戯画にとることができるほど、政治的に読むこともできるのだ。

 だがもちろんそれは意識してのことではあるまい。町田の感性はあくまでもインデアンカレーのように混沌を混沌のまま提出するところにあるのだ。最後の「逆水戸」(筒井康隆の往年の名作「裏小倉」にならって「さかさみと」と読みたいところだ)の抱腹絶倒の下らなさは他の作品にあった深刻さをも相対化してしまう。結句、読者はいろいろ分析せずに、この摩訶不思議な味をそのまま味わえばよいのだ。そのまずいんだかうまいんだかわからない味に私同様やみつきになるかどうかは、その人次第である。

 

だから平田オリザは嫌われる:『芸術立国論』(集英社新書、二〇〇一年)

 平田オリザについての否定的な言辞は、たとえ論理的な裁断のかたちをとっていたとしても、その底にある種の生理的な反撥が秘められていることが多い。そのもっともあからさまな例の一つは、小谷野敦「平田オリザにおける『階級』」(「シアターアーツ」八号、一九九七年五月)だろう。百の予断と偏見にまみれた一つの真実を売り物にする小谷野は、長いこと平田オリザの芝居を見に行く気にならなかったのは「十六歳の自転車で世界一周したという(中略)『伝説』が、『健全少年』の印象を私に与えたから」だという、真剣にとるにはあまりにも馬鹿馬鹿しい理由を述べて論をはじめている。あるいはそこまで極端ではなくとも、「シアターアーツ」三号(一九九五年十月)で平田の『現代口語演劇のために』を書評する瀬戸宏は、内容についての的確な批判を加えながらも、九三年の『ソウル市民』韓国公演はこの本の中で平田が語っているほど大成功したものではなかったという、直接内容とは関係のない暴露話じみたオチを最後に付け加える。

 なぜ人は平田オリザの作品を、あるいは言動を、冷静に語れないのか。一言でいってしまえば、それは平田が「芸術家」らしくないからである。健全少年あらため今や日本現代演劇界の学級委員長存在の平田は、孤高の芸術家/破滅型の天才といったロマン派的イメージと見事なまでに合致しない。優等生的発言にくわえて、「商売」のうまさもまた、平田のうさん臭さの所以である。五、六年前のことだったか、平田が今ほど有名ではない頃、出入りしていたとあるパソコン通信のフォーラムで、いつものように自作の宣伝を行い、○日にはチケットが○枚残っていますという書き込みをしたところ、「唐や寺山であればチケットが何枚残っているかなどという発言はしないだろう、演劇人らしからぬ振る舞いをするこの平田オリザとは何者なのか」というようなことを書き込んだ人間がいた。唐や寺山だって雲や霞を食って生きている(いた)わけではなし、チケットの売り上げに一喜一憂することもあるだろうにと思ったものだが、優秀なプロデューサーとしての平田の振る舞いはある種の人々のお気に召さないことは確かなようだ。

 もちろん、平田の(エセ)啓蒙的姿勢や政治的手腕、あるいは端的にいって口のうまさに反感を抱く人々は、それが平田のポーズであることに気づいているからこそ、いっそう苛立つのかもしれない。平田の作品に示された繊細な感受性は、平田の表面的な言動が前提としているある種の鈍感さとは相容れないものである。鴻上尚史が同じようなことをやっていてもさほど反感を買わないのは、鴻上のキャラクターがその手の鈍感さ、粗雑さに釣り合っているように見えるからだ。鴻上の「下品さ」は地だが、平田は「わかっていて」そういうポーズをとっている。言葉にはしなくても、そう感じるからこそ、ある種の人々は平田の主張をよく検討もせずに不誠実で上っ面だけのものだと思いこんで斥けるのかもしれない。

 もちろんそのような事態は平田本人にとっても、アンチ平田派の人にとっても不幸なことである。とりわけ、唐や寺山、あるいは平田があこがれて演劇活動をはじめたという野田秀樹らが、平田とは対照的に河原乞食/芸能者のポーズをとることで人気を得たことを考えると、いっそう複雑な思いを抱かざるを得ない。野田秀樹がこの国に未だに根強く残るマレビト信仰に依拠することで自らについての物語を紡ぐのと、同じ東京山の手の中流家庭で育った平田が文化人のポーズをとるのと、いったいどちらが「誠実」なのだろうか。

 前置きが長くなった。『芸術立国論』はだから、「芸術家が考える、あっと驚く“構造改革”。」という出版社の薄っぺらな惹句に拒否反応を示すような人にこそ、じっくり読んでほしい本である。もちろん、この手の新書にありがちな、一般向けの啓蒙的論調がベースではあるが、同時期に出された『対話のレッスン』(小学館)ほどは平田の文化人ぶった悪のりポーズが目立つわけではない。二〇〇一年一一月三〇日に成立した文化芸術振興基本法の直前に出版された本書はその成立を側面から援護するという目的を持っており、その意味では常識的な主張が大半を占めるが、ときどきドキリとするような過激な/斬新な提案や批判がまじっている。たとえば第五章では今や制度疲労を起こしている地方の演劇鑑賞会の正鵠を射た批判がなされているが、これがもともと『赤旗』で連載されていたものであり、関係者に正面切って苦言を呈したものであることを知るといっそう興味深いものになる。

 だが本書のいちばんの読みどころは、第四章・第五章で提出される平田独自の文化行政観だろう。欧米、とりわけアメリカにおける芸術教育では「芸術は万人のためのもの」という建前を浸透させることに力点が置かれ、結果として芸術作品の意義を理解できない人間にもそのような観念は刷り込まれる。だがそのような教育によって本当に芸術は振興されるのか。一つ例を出そう。昨夏私は、ノースカロライナ州で毎年上演されている野外劇『ロスト・コロニー』を見に行き、「公のための芸術」というスローガンによって洗脳されたアメリカ人大衆が、「公のための芸術」以上のものにはなっていない作品にたいして示す反応を目の当たりにした。アメリカのリージョナルシアターの先駆的作品の一つというだけが今や売りのこの作品を見て、観客は退屈も興奮もせず、ただ「この世の中には文化という素晴らしいものがあって、その維持や生産に自分も一役買っているのだ」という自己満足を抱いて家路につく。だがかの地の文化行政官にとってみれば、人々が抱くそのような思いこそが重要なのであって、作品の質などはどうでもよいに違いない。あるいは作品の質なぞを云々したとたんに、そのブルジョア的思い上がりを批判されてしまうのかもしれない。

 この手の公共性の論理にからきし弱い日本も早晩同じような状況に見舞われるのではないか、と暗澹たる思いを抱く私のような人間にとって、「芸術はそもそも万人受けするものではないのだから、それを庇護する論理を作り出すのには一筋縄ではいかないのだ」と平田が主張することは救いに思える。そつはないが、どこか無神経なところのある公共性の論理からの距離を語る平田は、たんなる「優等生」ではないのだ。

蘇るアメリカン・モダニズムの系譜

劇作家ポール・グリーンの長らく絶版になっていた代表作The Lost Colony (1937)が今年ようやく再版されるようだ。しかし編者はアンソロジーA Paul Green Reader (1998)と同様ローレンス・エイヴリーで、前作と同じくグリーンがかつて教鞭をとっていたノースカロライナ大学の出版局から出版されると聞くと、どうやらご当地出身有名人の記念出版のようで、かつてはオニールと並び称されたこともある、一八九四年生まれのグリーン再評価の気運が生まれつつあるわけではなさそうである。そもそもグリーンは日本でもアメリカでもずっとマイナー扱いをされてきた作家だ。だが不思議なことに完全に忘れ去られた存在になることはなかった。前期の人種・階級問題を扱った一幕物であれ、後期のスペクタクル性の高い野外歴史劇(あらゆる要素が融合するという点で「シンフォニック・ドラマ」と本人は呼んだ)であれ、たまに夢中になる人間が現れて旗を振る。しかし人気再燃というわけにはいかない。いつの間にか熱は冷めてしまう。その繰り返しである。七、八年ほど前にも『演劇研究』(早稲田大学演劇博物館紀要)一七号〜二〇号で佐和田敬司氏が日本滞在時のグリーンの日記を翻訳して紹介し、あわせてグリーンが日本で忘れ去られていることに悲憤慷慨していたが、その後グリーンについての論文が書かれたということは寡聞にして聞かない。すると私がここで何度目かの紹介をするのも同じ轍を踏むことになりそうだ。それでは余りにも芸がないので、どうすればグリーンが内輪受け以上のものになるのかについても考えてみたい。

といっても結論はすでに出ている。唐突なように聞こえるかも知れないが、モデルニテやモデルネのように、アメリカン・モダニズムを一つの時代風潮として捉える視点が出てくればよいのだ。ロスト・ジェネレーションや社会参加の文学やハーレム・ルネサンスといった個々の集団や運動につけられた名称ではなく、現在の合衆国の社会・経済体制を作った二〇〜三〇年代の文化を一望の下におさめることのできる視点。グリーンはそのような文脈でこそ真価を論ずることができる作家であり、二十世紀初頭にパーシー・マッケイが唱えたCivic Theatreの理念を継承する演劇人というこれまでの捉えかたではグリーンの作品が抱える様々な問題が抜け落ちてしまう。

話を『ロスト・コロニー』に戻そう。たいていの日本人はこの題名にピンとこないだろうが、合衆国で初等教育を受けた人間であればウォルター・ローリー卿が送り込んだ最初の植民団がノースカロライナ州ロアノーク島で忽然と姿を消し、それ以来Lost Colonyと呼ばれるようになったという話は誰でも知っている。合衆国史上類を見ない大規模な国家による演劇助成計画であったフェデラル・シアター・プロジェクト(FTP)—昨年日本でも公開された映画「クレイドル・ウィル・ロック」ではその栄光と崩壊の歴史が語られて感動的だった—華やかなりし頃の一九三七年、グリーンはこの「失われた植民地」を題材にした野外劇を制作することを地元新聞の編集長に依頼された。そこでグリーンは初期植民者たちがイギリス本国では得られなかった自由と平等をすでに享受していたという大胆な仮説—アーサー・ミラーが『クルーシブル』で開陳する初期植民地についてのシニカルな見方となんと対照的なことか!—をもとに、音楽、ダンス、歌、照明効果を用いた一大スペクタクルを書いたのだった。二幕劇の大詰めで植民者たちはインディアン・クロアトアン族の襲撃にあい、またイギリスがスペインと交戦状態になって交易が途絶えることで貯蔵していた食料が尽きかける。しかし彼らは敵でカトリックの宗主国スペインの庇護を求めることより自由を選び、自力で食料の補給が可能な南へと移動を開始する。こうしてグリーンは歴史上名高い謎の集団失踪事件の背景に、悲劇にふさわしい気高い植民者たちの意識的な選択があったということにして、アメリカ民主主義万歳を唱えるのだ。当時盛んに喧伝されていた建国神話の言説を強化することになったこの作品が受けないわけはない。一六三三年からはじまり、その頃すでに多くの観光客を集めていた南ドイツのオーバーアマガウの受難劇の向こうを張ろうという『ロスト・コロニー』上演計画は、当初の資金難という問題をFTPの援助によって乗り越えて成功を収め、第二次世界大戦中の三年間の中断をのぞき、現在まで毎夏ロアノーク島で地元住民の参加のもと上演されるようになったのである。

オーバーアマガウ受難劇がユダヤ人への差別を助長しかねない内容を含んでいると批判されたのと同様、現在のPCの立場から『ロスト・コロニー』を読んでいくとキリスト教の普遍性の強調やインディアンの差別的描写など、幾つかの問題点が指摘されよう。だがブロードウェイの商業主義を批判し、『ロスト・コロニー』に続く一連のシンフォニック・ドラマによって村おこし、町おこしという観点からのコミュニティ・シアターの理念を早々に実現した点、あるいは南部にあって黒人差別や囚人の人権侵害の現状を鋭く告発したグリーンの先見性はもう少し高く評価されてよいはずだ。

しかしまた同時にドス・パソスのU.S.A.(1938)を読むときと同様の退屈さをこの『ロスト・コロニー』に感じることも事実である。曰く、壮大にして空虚。あるいは思いつきだけの形式上の実験に頼ることのつまらなさ、という点ではソートン・ワイルダーを思い浮かべてもらってもよいかもしれない。しかしそれを彼らの才能のなさに帰するのは間違っている。むしろアメリカン・モダニズムとはそういう退屈さ・空虚さを前提にした運動だったのではないか。二十世紀に入ると、テクノロジーの発展によって知覚が拡大し、これまでになかったある種の(恐怖の対象としての)「リアルなもの」が感得されるようになる。芸術家たちはその「リアルなもの」に接触することで生じた集団的トラウマのようなものから回復するために創作活動を行うようになる、というのが今とりあえず提出できる仮説で、そしてそれは第一次世界大戦の影響について言われてきたことを拡大解釈したにすぎない。だがこれが案外当たっていそうに見えるのは、人は空虚な形式に依存することによってのみある種の恐怖から逃れることができるのは真理だからである。もちろん恐怖から逃れようとしている者にとってそれは「空虚」などではなく、意味で充満した枠組みに見える。だからこそ『ロスト・コロニー』では建国神話が語られ、理想郷としての「始原」が設定される。民衆参加というお題目(もちろんこれ自体がロマン・ロランの「民衆演劇」の理念を経由した古代ギリシアの市民劇という始原回帰の物語である)や演劇の公共性が称揚される。しかしそれらは決して「リアルなもの」の代替品にはならないのだ。そのメカニズムを説き明かすことがアメリカン・モダニズムを、ポール・グリーンを理解する早道である。

『ユリイカ』第33巻9号(2001年8月1日)

『世界のすべての七月』:読者に既視感を与える小説

 『カチアートを追跡して』(一九七八)の作家、ティム・オブライエンの最新刊である『世界のすべての七月』(二〇〇二)を村上春樹が訳した。村上訳オブライエン作品としては『ニュークリア・エイジ』(一九八五)『本当の戦争の話をしよう』(一九九〇)に続いて三冊目ということになる。全作品を翻訳したレイモンド・カーヴァーのようにとはいかないまでも、オブライエンに対する村上の入れ込みようが伺われようというものだ。ところが村上の「訳者あとがき」は幾分言い訳がましく、「世間における一般的な評価とはべつに、個人的になんとなく気になる、あるいは気になってしょうがない」作家としてオブライエンの名前を挙げるところからはじまり、「オブライエンの作家としての今日的な値打ちみたいなものを、適切に言語化することが僕にはできない」と告白し、「傾向的に『下手さが目立つ小説をつい書いてしまう作家』」であるけれど「下手っぴいさに思えてしまうところが、オブライエンの小説家の徳のようなもの」だと、訳がわかるようなわからないような説明に終始している。私はその率直さに感心もしたが、その一方で、こんな気弱な書きかたでは、書店で手にとって買おうか買うまいか悩んでいるときの助けにならないのではないかと余計な心配もしてしまった。

 だが村上が気弱になるのもある意味では無理はないのかもしれない。英文で書かれたあちこちの書評を読む限り、よいことはあまり言っていない。『世界のすべての七月』はもともと『エスクワイア』『ニューヨーカー』といった白人中産階級御用達雑誌のために書かれたいくつかの短篇を核に発展した連作短篇集であり、一九六九年にダートン・ホール大学を卒業したベビー・ブーマーたちが、二〇〇〇年七月七日に大学体育館で開かれた同窓会に集まった、という設定のもと、五十を越えて先の見えた人生にほぼ幻滅しながらも、まだ若かりし頃の夢と希望を棄てきれずに人生を(少々自棄気味に)楽しもうとする現在の彼らについてのごく短いスケッチ風の描写と、三十一年前、世間知らずの理想家だった彼ら一人一人がこれまでいかなる人生を歩んできたかを語る短篇が交互に積み重ねられるという形式をとっている。若さと健康に取り憑かれた国アメリカにおいて老い衰えることの残酷さ、あるいは中年から老年にかけての生や性といった主題そのものが、現代アメリカ文学のみならずテレビや映画、演劇でしばしば扱われてきたものだし、平凡きわまりない登場人物たちの平凡ならざる人生が明らかにされる群像劇という形式はシャーウッド・アンダスンの『ワインズバーグ、オハイオ』以来使い古されてきた感がある。さらに、ある時代を支配する精神や風潮といったものに人々が流されていくさまを多少の感傷をこめて描き出す風俗小説は、『偉大なるギャッツビー』をはじめとするアメリカ小説お得意のジャンルだ。そこに公民権運動やヒッピーに代表される六〇年代の理想主義がヴェトナム戦争の敗北を経ていかに幻滅へと導かれるか、という大きな物語が加われば、(とりわけアメリカ人の読者にとって)「ありがち」だし「陳腐」だし「常套句と化している」という評価が出てくるのもうなずける。

 しかしおそらく、そのような評価は誤解の産物である。同じように失敗作という評価を受けた『ニュークリア・エイジ』について村上が行う「この小説が正当に理解されなかったのは、昨今のアメリカ人の本の読み方にいささかの問題があるからじゃないのか」という指摘は、『世界のすべての七月』についてもあてはまるかもしれない。しかしその一方でオブライエンもまた自分の資質を正しくつかんでいないからこそ、誤解を生むような作品を作り出してしまうのではないか、と言えるのではないだろうか。

 では一体オブライエンの資質とは何か。一言でいえば、読者に既視感を与える作品が書けることだ。どこかで見たような風景、どこかで聞いたような会話を紙上に作り出してみせる才能。それはリアリズムとは違う。マジックリアリズムといえば少し近くなるが、それでもぴったりとは言えない。実際の生活においてあるとき突如として既視感に襲われるように、オブライエンの小説を読んでいると、大体のところ現実味を帯びているが、どこかで夢のような頼りなさやはかなさを抱え込んでいる風景や会話が突然立ち上がってくる。体験したはずがないことなのに、なぜかよく知っている、懐かしいという強烈な感覚を抱いてしまう。『カチアートを追跡して』や『本当の戦争の話をしよう』が傑作であるゆえんは、ヴェトナム戦争という(とりわけ日本の読者にとって)遠い世界や時代の出来事がきわめてリアルに語られているからではない。『カチアートを追跡して』で言えば、脱走兵カチアートを追跡する小隊の一員ポール・バーリンが、目の前で次々と起きる不思議なことを受け入れていく感覚が、既視感を抱きつつもこれははじめて起きたことなのだと現実を追認する私たちの感覚に重なって、現実とも幻想ともつかぬバーリンの体験を追体験することになる、それが抜群の効果をもたらすからである。

 けれど『世界のすべての七月』では、オブライエンの作り出す既視感は間違った方向に受け取られてしまう可能性がある。これまでの作品と違って、馴染みのない世界や出来事を描いているはずなのに、なぜかすでに見聞きし知っているような気がする、という感覚が与えられるのではない。読者の多くにとってきわめて馴染みのある世界が描かれているゆえに、読者が得た既視感は、同じ題材を扱った小説やテレビや映画の記憶によるものだと誤解され、それゆえに「ありがち」で「陳腐」で「常套句と化している」ということになってしまうのだ。

 だがよく読めば(そしてこうした世界に比較的馴染みのない日本の読者にとってはそれほどの努力を要さなくても)この「なんだか懐かしい感じ」はこの作品の主題や形式やジャンルや物語が二番煎じ、三番煎じであるがゆえに得られるのではないことがわかる。二人の夫を持ち両方の家を往復するだけの生活に飽きたらず愛人を作るスプーク・スプネリや、ヴェトナム戦争で片脚を失って以来、ジョニー・エヴァー曹長という名前の男が夢の中に現れて未来を言い当てきたと思い込んでいるデイヴィッド・トッドをはじめとする登場人物たちは、現実に存在しているようでいて、どこか幻想的な雰囲気を漂わせている。にもかかわらず、「こういう人間を自分はよく知っている」と読者が思い込むのは、オブライエンの筆致のせいなのだ。オブライエンは大学の同窓会に出たことはないそうだから、すべては想像力が作り出した幻であり、細部にはおかしなところもあるはずだ。それなのに、「この小説はどこかで語られた物語の焼き直しである」と評論家がかたく信じて疑わないのは、オブライエンが私たちの記憶を捏造するからである。

 この小説の読後感は言うまでもないだろう。捏造された記憶としての既視感がいつまでも私たちの脳裏に残って離れないように、この小説の登場人物が交わす会話や特徴を描いた地の文の中には、妙に生々しく感じられてしばらく意識に取り憑くものがある。この作品を読み終えてから数日して突然記憶の中にある一節が蘇ってきたりする。もちろんそれは『世界のすべての七月』が良質の小説であることの証左なのだ。

 訳文はわかりやすかったが、「気を楽にして、その素敵な髪を下ろしなさい」(三一〇頁)「全部壁に書いてあった」(四一七頁)のように、英語の慣用句を注なしで直訳しているところが数カ所あって気になった。英語の表現に慣れていない読者は戸惑うのではないだろうか。

『ガラテイア2.2』:人工知能SFの衣をかぶった青春小説

 『ガラテア2.2』は二〇〇〇年に翻訳されて話題になった『舞踏会へ向かう三人の農夫』の作者リチャード・パワーズの邦訳第二作である。訳者は柴田元幸氏から若島正氏へと変わった。今年さらに、みすず書房からは同じ若島氏の訳で『囚人のジレンマ』が刊行されることになっており、トマス・ピンチョンに続くアメリカ文学の旗手と言われることもあるパワーズの紹介ラッシュがしばらく続きそうである。

 さてこの小説の「売り」は、人工知能がどこまで人間の知性に近づけるか、というSFの古典的主題に、文学的味つけをしたというところにあるようだ。ガラテイアとは、ギリシア神話でピグマリオンが恋に落ちる自作の彫刻の名前で、この物語の中では認知神経学者レンツが開発し、語り手である「僕」、小説家リチャード・パワーズが訓練をするプログラム、「ヘレン」の別名である。作者と同じ名前を持つこの語り手が、恋人Cと別れオランダからアメリカに戻ってくるところから物語ははじまる。彼は母校の大学の客員研究員としての職を得て、巨大な先端科学研究所にオフィスを与えられたのだ。ある晩漏れ聞こえてくるモーツァルトのクラリネット協奏曲に誘われてレンツの研究室に迷い込んだ語り手は、このエキセントリックな老科学者とその同僚たちの賭けに巻き込まれ、コンピューターに英文学の修士総合試験の試験を解かせて人間と変わらないような答案を書かせられるということを証明する羽目になる。プラグラムは何度かバージョンアップされて、ついには人間の意識に酷似した機能をそなえたヘレンが誕生することになる。

 この基本的な筋立てに説得力を持たせるために、人工知能についての膨大な知識が披露されるわけだが、それはいわば作者によるくだくだしいエクスキューズであって、この小説のいちばんの面白味となっているわけではない。『舞踏会に向かう三人の農夫』でもそうだったが、理系に進んだ後「文転」して小説家になったパワーズによる情報の提示のしかたは、いかにもアメリカで人文科学系の訓練を受けた人間のもの、という感じがする。そつなく満遍なく行われているのだが、客観的叙述を心がけるあまり、時として無味乾燥のきらいを免れないリサーチ。調べた人間の息づかいや感情といったものがほとんど伝わってこないために、書かれた事実に読者が引き込まれることがあまりなく、淡々と報告書を読んでいるような気持ちになってしまうような説明。

 それはたとえば、ピンチョンの衒学趣味とははっきりと異なるものである。ピンチョンの小説で与えられる情報は多かれ少なかれ「謎」の解明という側面を持っている。たとえ比較的よく知られている事実であっても、ピンチョンの筆致にかかるとあたかも今ここではじめて明かされたかのような気がしてしまう。パワーズが読者にもたらす情報は、よく言えば、もっと開かれている。読者と知識を共有すること自体が作品の駆動力となるような構成といえばよいだろうか。だが悪く言えば、ある種の迫力に欠ける、ということである。読者は心のどこかで、作者に手綱をとられて引きずり回されたい、と思っているものだから。

 だが『ガラテア2.2』はパワーズの他の小説と同様、多面的な構成を持っている。たとえばこれは、よくできた大学内幕物小説(デビッド・ロッジの『交換教授』や『文学部唯野教授』などが同じジャンルとして挙げられるだろう)としても読めるだろう。大学教師がいかに変人の集まりであるか、あるいは学問という名の下に強制される苦行に、学生がいかにマゾヒスティックに耐えているか、ということについて面白おかしく語られる。しかしこれもまた、この小説を読むおまけの楽しみに過ぎない。

 『ガラテイア2.2』の本当の魅力は、語り手の語る過去のほろ苦い追想にある。もともとパワーズは、永遠に失われて帰ってこないものへの哀惜を小説の主題に据えることが多かった。モーツァルトのクラリネット協奏曲から導かれるこの小説の世界は、はじめから喪失の感覚に満ちている。書き出しの二行目から「僕は三十五歳と別れてしまった」(原文を直訳すれば「自分の三十五番目の年を失った」)と記され、レンツたちとの出会いと並行して、恋人Cとの十年間余りの生活が描かれる。学生同士の貧しくも楽しい暮らしは、移民であった両親を追ってCがオランダに移住するのをきっかけに異国の地で新たな展開を見せるが、やがて「僕」が有名作家になったことで二人の仲がぎくしゃくしていき、破綻が訪れる。そのエピソードと前後して、「僕」が文学の道を進むきっかけとなった恩師テイラーの薫陶と、癌によるその死、そして死の三日後にロバート・サーヴィスの詩集を送りつけてきた父親との永久の別れが語られる。

 何かが永遠に失われてしまっているという事実に傷つきつつも前向きに生きていこうとするのは「僕」だけではない。レンツもまた、脳梗塞で惚けてしまった妻がおり、その同僚で「僕」に何かと世話を焼いてくれるダイアナも、知的障害児を抱えて夫に出て行かれてしまっている。彼らもまた、この世には完璧なものは存在せず、ただ「思い」だけがかつて完璧であった世界を蘇らせてくれる、というパワーズの小説を貫く倫理観を体現している人物なのだ。だがこの小説がいっそう切なくやるせないのは、物語が進むにつれて、喪失の感覚が世界にいっそう浸透していくところにある。過去に収まっていることに飽き足らないというかのように、喪失の体験は現在進行形で起こり始めるのだ。「僕」は大学院生Aに恋をするが、報われぬまま終わる。そしてヘレンもまた…。

 『走れ、ウサギ』をはじめとして、輝かんばかりの青春を過ごした人間が砂を噛むような思いで不毛な現在の生に耐えている、という筋立てを多用したジョン・アップダイクも、この小説を読んで涙したという。アップダイクよりも「倫理」的なパワーズの登場人物たちは、「今」をもう少し真面目に生きようとしている。だが、だからといってそれは過去の喪失の痛みがそれだけ少ないということではない。終わり近くで「僕」はこう言う。「僕の物語の中に出てくるものは、なにも去ったりはしない」。 つまり、失われたものはいつまでも自分たちのものであり続けると宣言しているという点で、これは第一級の青春小説なのだ。逆説めくが、青春のただ中を生きている人間たちのことを書いてもそれが青春小説の傑作になることはめったにない。生きることに夢中になっている人間の心理をリアルタイムに描いてもさして面白くもならないのが常なのは、登場人物が自らを省みてうじうじ考えるというプロセスが欠けているからだろう。「正しい」青春小説とは、自分の青春が終わってしまったことに気づいた語り手が、自分の生きてきた軌跡を幾分センチメンタルに振り返るものではないか。失われた青春についての美化された言説を生産する小説としての青春小説。アメリカの現代小説には、そんな青春小説の傑作がいくつもあった。『偉大なるギャッツビー』にはじまって『ライ麦畑でつかまえて』『さよなら、コロンバス』『走れ、ウサギ』等々、枚挙にいとまがない。パワーズの『ガラテイア2.2』もまた、こうしたアメリカ青春小説のキャノンとなるだろう。

『アウステルリッツ』:「かのように」の怪物

 「偉大な文学(literary greatness)はまだ可能か?」二〇〇一年に自動車事故で亡くなったイギリス在住のユダヤ系ドイツ語作家W・G・ゼーバルトを語るにあたって、スーザン・ソンタグはこう書き出している。なにを大仰な、というのが大方の反応だろう。ソンタグも齢七十になんなんとして耄碌したか。事実、その時点でゼーバルトが発表していた『眩暈、感情』(九〇年)『移民たち』(九二年)『土星の環』(九五年)という三つの長編について論じたこの短いエッセイ(『タイムズ・リテラリー・サプルメント』二〇〇〇年二月二十五日付)は、所々にソンタグらしい鋭い切れ味を感じさせるものの、ゼーバルトの作品がその一つの回答だ、とするそもそもの主張については最後まで説得力のある根拠は示されない。こんなふうに大上段に構えた書き出しの文章がたいていそうであるように、それは希望的観測にもとづいた思い込みをただ反復するだけで、「偉大な」ヨーロッパ文学の伝統が引き合いに出され、この作品にも似ている、あの作家にも似ている、といった不毛な類比がなされて終わっている。

 だがゼーバルトの遺作となった『アウステルリッツ』(〇一年)を読むと、ソンタグの言いたかったことがなんとなくわかるような気がする。いや、すでにヨーロッパ文学という制度に身も心も捧げているアメリカ人ソンタグよりも少し距離が離れている分、何がゼーバルトの作品を(ヨーロッパ的な意味で)偉大にしているのか、日本人の私にはかえってよくわかるような気さえする。一言で言ってしまえば、それは構築とか形式というものに対する二律背反的な意識と、時間と記憶との関係を探る主題を持ってきたことだ。しかも『アウステルリッツ』ではこの二つが結びつけられて語られる。

 アウステルリッツという奇妙な名を持つ建築史家とアントワープ中央駅の待合室で出会った語り手が、リエージュ郊外の工場地帯、ブリュッセルの最高裁判所と、偶然の邂逅を重ねていきながら、彼が辿った数奇な半生を知るようになる、というのが『アウステルリッツ』の基本的な筋である。語り手の私が自らについて語るところは少なく、小説の大半はアウステルリッツの語りが占める。とはいえ、アウステルリッツの語り—ですます調/私の語り—である調、と書きわけられている邦訳とは異なり、原著では二人の語りはもっと判別しがたいものになっていただろう。実際、主人公がアウステルリッツの物語を語るさまは、アウステルリッツその人が取り憑いているかのようであり、(何度かの偶然の邂逅もふくめて)アウステルリッツとは語り手の【ルビ開始】分身(ドッペルゲンガー)【ルビ終了】開始ではないかとすら思えてくるのである。

 以前の三作品の読者であれば、このような印象はさらに強まるはずだ。ゼーバルトがその生涯に発表した四つの長編においては、同じ主題が少しずつ形を変えて反復され、登場人物もどこかしら似通っている。残念ながら邦訳は『アウステルリッツ』以外では柴田元幸による英訳からの重訳で『土星の環』第一章が発表されているだけだが、そこでも極度の精神的疲労によって身体に変調をきたし幻覚を見る国外離脱者、知の作り上げる壮大な伽藍に魅了されその記述に一生を費やす研究者といった、お馴染みの登場人物に出逢うことができる。彼らはみな、アウステルリッツのようであり、語り手のようであり、あるいはゼーバルト本人のようである。

 とはいえ、主人公を建築史家としたことで、それまでゼーバルトが書きたかったモティーフはこの『アウステルリッツ』でよりくっきりと浮かび上がってきたように思える。柄谷行人が『隠喩としての建築』で書くように、西洋固有の「【ルビ開始】建築(コンストラクション)【ルビ終了】への意志」のもと、自然に負うことのない秩序や構造を確立しようという営みは、形式化の徹底を推し進めることで内なる矛盾をさらけ出し瓦解する。冒頭でアウステルリッツが語る、要塞の建設はまさしくその隠喩となっている。あらゆる外敵の侵攻を防ぐために、周囲に次々に防御設備をめぐらしていき、その結果同心円状にとめどもなく拡大していくが、そうなればなるほどかえって敵をおびき寄せることになる。かくして、一八三二年オランダ軍によって占拠されたアントワープ要塞はフランス軍によって破壊されるが、人々は要塞建設の愚を悟るどころか、いっそう外へ拡大しなければならないと外郭の建設をはじめ、ベルギー全土の軍隊をもっても防備しきれないような城郭を築き上げる。第一次世界大戦勃発直前、最後に完成したブレーンドンクの要塞は開戦後数ヶ月足らずで市と国の防衛にはまったく役に立たなかったことが判明する。

 「途方もなく巨大な建築物は崩壊の影をすでにして地に投げかけ、廃墟としての後のありさまをもともと構想のうちに宿している、そのことを私たちは本能的に知っている」(一八頁)と語るアウステルリッツはしかし、自分にも同じ運命が降りかかるのを知ることになる。三十年近く続けてきた建築史と文明史についての自分の研究、何千頁にも積もったメモやコメントを体系立てて整理しようと大学の職を辞した彼は、草案のほとんどが使いようのない、誤り偏っているものだということを発見する。やがて彼は自分の思考を的確に文字として書き表せなくなり、さらに読むことさえ困難になる。建築物についての自らの認識を言語によって構築しようとする彼の試みは、その壮大さゆえに、要塞同様自潰する。

 だがここで物語は更なる展開を見せる。原因不明かに思われたその症状は、チェコのユダヤ系家庭に生まれ育ったアウステルリッツが、ナチスドイツの侵攻に際してイギリスの家庭に養子として送られたという自らの過去を記憶の底に封印してきたゆえに生じたのだった。手がかりを求め故郷プラハに赴いた彼の脳裏に、これまで全く思い出したことのない、幼年時の記憶が鮮やかに蘇る。「時間などというものはない、あるのはたださまざまな、高度の立体幾何学にもとづいてたがいに入れ子になった空間だけだ、そして生者と死者とは、そのときどきの思いのありようにしたがって、そこを出たり入ったりできるのだ」(一七八頁)彼はそう感じる。

 意識において時間は空間的に構築されるが、無意識の記憶はそうした単線的時間とは相容れない。『失われた時を求めて』『ユリシーズ』をはじめとする二十世紀ヨーロッパの「偉大な文学」はいずれもこの主題を扱ってきた。だが空間モデルを否定するのではなく、「高度の立体幾何学」であれば記述可能だと考えるところにゼーバルトの「構築」に取り憑かれた業の深さ、「構築」を拒絶しつつ「構築」を求める態度がよく出ている。本文中に度々挿入される写真や図版もまた、「読みとる」速度と「見てとる」速度の本質的な相違によって、読者の内なる時間の流れを攪乱しようという試みなのだろうが、読み進めていくにつれて、一つの統一されたイメージが浮かび上がってくるのを押しとどめることはできない。結末で、今度は父親の消息を求めてパリに赴くというアウステルリッツとは対照的に、ブレーンドンクの要塞を再訪する語り手=ゼーバルトは、明らかに物語を収束させようとしている。こうして、物語は緊張感を孕んだまま、内破寸前のところで終わる。

 この作品が「偉大な」ヨーロッパ文学の系譜に属することは間違いがない。さすがに森鴎外は洋行帰りの歴史家五条秀麿に「かのようにがなくては、学問もなければ、芸術もない、宗教もない。人生のあらゆる価値のあるものは、かのようにを中心にしている」と言わせているが、「生成」を拒否する大抵の日本文学に慣れた者にとっては、作品に通底する、半ば自覚的な狂気である「建築への意志」に違和感を覚えることもあろう。だが、それも含めて『アウステルリッツ』とは、きわめてヨーロッパ的な小説の快楽を味わうことのできる作品である。

P4について私が知っている二、三の事柄

0.P4とはなにか
 P4とは加納幸和(花組芝居)、平田オリザ(青年団)、宮城聡(ク・ナウカ)、安田雅弘(山の手事情社)の四人の演出家からなる集団だ。Pはプレイの頭文字でもあり、四人の名字の最初の一文字を英語にするとすべてPからはじまる単語(Plus「加える」/Plain「平地」/Palace「宮城」/Peace「平安」)になる、という言葉遊びでもある。
 一九九五年、宮城が平田に話を持ちかけたのをきっかけに結成されたP4は、同年四人が利賀・新緑フェスティバルの企画・運営を任されたことから集団としての実質的な活動を開始することになる。九七年彩の国さいたま芸術劇場で上演された平田オリザ作・安田雅弘演出『Fairy Tale』はその一つの結実であるが、毎年初夏に開催される新緑フェスティバルにおいて、他の三劇団のメンバーと一緒に寝泊まりし、互いの上演を見ることによって、自らの演出の方法論を問い直す機会を得たことが大きい、と平田は述べている。
 利賀・新緑フェスティバルの性格が変化してきたこともあり、現在P4は活動休止状態にある。だがそれは、現在四十代前半の、同世代に属する四人の演劇人に共通する方向性が異なってきたからではない。以下、個別に見ていきながら、四人の演出の方法論に共通する特徴を考えてみたい。
1.平田オリザと青年団
 P4のメンバーのうちでもっともジャーナリズムに取り上げられる回数の多いのは平田オリザだろう。自らを「河原乞食」に擬し反社会性を売り物にしていたアングラ以降の世代と異なり、演劇人は社会ともっと関わりをもつべきだと考えている点でP4のメンバーは意見を同じくするが、中でも平田は演劇という制度を社会に認知させるためにさまざまな努力を払ってきた。自身が経営するこまばアゴラ劇場における演劇フェスティバルを通じての各地のリージョナル・シアターとの連携、教鞭を執る桜美林大学での演劇教育や地域との共同作業、あるいは今年からはじまったアゴラ劇場のレジデント・カンパニー制の採用など、演劇を「開かれた」ものにするために平田が行ってきたことは(巧みな自己宣伝のおかげもあって)よく知られるようになった。平田はまた劇作家でもあり、その作品は事件性のほとんどない日常を淡々と描写するところから、九〇年代小劇場演劇の代名詞である「静かな演劇」の旗手として認知されるようになった。
 ただし、「静かな演劇」とは九〇年代小劇場演劇の独創ではない。秋田雨雀の「静劇」あるいは岸田国士門下『劇作』同人たちの作品にも見られる、日本近代劇の一潮流である。時代を超えてそれらの作品に共通するのは、表面的に醸し出される平穏さ、静謐さとは裏腹に、主人公は軽い心理的な圧迫を周囲から受け続けており、しかし彼(ないし彼女)はこの正体不明の「いやな感じ」と戦うでもなくそれから逃げるでもなく、ただ困惑して佇んでいる、という状況だ。すなわち、西洋古典劇におけるドラマとは、明確な意志や欲望を持った個人と、その個人を抑圧するものとしての神あるいは共同体との対立であり、近代劇はこれに加えて個人の内面における葛藤を劇に仕組んだのに対し、自他の区別が曖昧な日本社会においては、抑圧を与えるものが社会なのかそれとも自らの無意識に潜む超自我なのか主人公にも観客にも(そしておそらく劇作家自身にも)よくわからないまま事態が進展してゆき、主人公は無力感を感じつつも見えない相手に向かって抵抗の真似事だけしてみる、という様子がドラマとして描かれてきたのである。
 主人公が感じているこの漠然とした「居心地の悪さ」を観客により効果的に伝えるために、平田はドラマを唐突にはじめて唐突に終える。開演前から舞台上では登場人物たちは演技をはじめており、劇中で示されるいくつかの謎は解決されないまま舞台は暗転する。すなわち、物語ははじめと中と終わりがある完全なものではなく、「断片」としてしか示されないのだ。伝統的な演劇の機能とは、ある一つの物語が語られ、俳優によって生きられることによって、あたかもそれが世界全体を表象するかのような印象を観客に与えるものであった。だが平田が示す断片的な物語は、世界表象としての不完全さを自ら露呈することで、もっとリアルで不気味なものが語られぬまま背後にあることを指し示す。それがすなわち、共同体にも自分の裡にもその出自を見出すことのできない、なんとはなしの「いやな感じ」であり、平田の観客はその存在を作品の内容と構造の両方で体験することになる。
 劇作家としての名声に比して演出家としての平田はそれほど評価されていないが、いくつかの理由で注目に値する。井上優氏によれば、青年団の俳優の演技は、リアリズムではなく、「リアリズム演技」の演技を行っているのだという。現実の模倣ではなく、現実の模倣の模倣を行うこと。ブレヒトのゲストゥス同様、対象を描きつつ異化してみせるこの態度は、平田の意識的な戦略というよりも、とりわけ初期において俳優の練度が低いために自然と生じてきたものであったかもしれない。しかし平田はその後も俳優に「うまくなる」のを許さず、一種の「ヘタウマ」状態を維持させることで、リアリズムという制度に批評的距離をとってみせる(これは後述の加納幸和にも共通する態度である)。それゆえいまだに青年団の俳優は、演技することに照れているかのような、ぎこちない演技を見せるのだ。
 さらに、こうした演技は作品内の人間関係の構築のされかたにも一役買う。小田中章浩氏は、平田作品の登場人物たちは連歌や俳諧の付句をしているようにコミュニケーションをとっていると指摘する。つまり、とりたてて親しい仲でもない人間同士が同じ場所に居合わせることで、自分のものでも相手のものでもない感情や感覚を共有し、やりとりしあう、という連歌や俳諧の世界と同様、平田の舞台は間主観性が支配している。それゆえに役者は過度の「自己表現」を慎まなければならない。我を張ることは「場の雰囲気」を乱すことになるからだ。したがって、個人の感情や感覚を的確に言葉で説明することに重点を置くリアリズム演技は、平田の世界にはふさわしくない。演技をすることに躊躇しながら表現せよと教える平田メソッドこそ、共同体の内部におけるコミュニケーションに見合うものなのだ。
2.加納幸和と花組芝居
 P4のメンバーのうちで、行っていることと受け取られかたのギャップがいちばん大きいのは加納幸和かもしれない。ホームページによれば、花組芝居の目的は「高尚になり堅苦しく難解なイメージになってしまった歌舞伎を、昔のように誰にでも気軽に楽しめる最高の娯楽にと、歌舞伎の復権を目指す」ことであり、アングラ全盛期に掲げられた「芸能への回帰」というお題目を加納が信じていることがわかる。そして実際、公演で(主として女性の)ファンが贔屓の役者の登場に歓声をあげ、役者は役者で楽屋落ちのギャグを連発する、といった様子を見ると、高級芸術から大衆芸能への回帰に見事に成功した、とため息まじりに言いたくなる。
 しかし加納が「ネオかぶき」という名のもとに実践していることは、たんに古典歌舞伎の物語を現代の嗜好に合わせて作り替えたり、上演のテンポを早めたりすることではない。歌舞伎の様式をなぞりながら、その様式に対してパロディというかたちで批評的距離をとるというきわめて知的な作業である。たとえば、これは児玉竜一氏が指摘した例であるが、『身毒丸』でカーリーという玉手御前にあたる役が刺されるところで義太夫の語りが「グッと突っこむ氷の切っ先、あっと魂消(たまぎ)る声にびっくり戸をめりめり」と入る。加納演ずるカーリーは、「グッと突っこむ」の「グッ」で既に刺されているにもかかわらず、何の反応も示さない。ところが「あっと魂消る」の「あっと」で、急に「わあっ」と叫んで痛がる。刺されてから痛むまでの時間差を作ることで、義太夫の語りがその人物の順番に回ってくるまでは、痛いものも痛くないことにしてしまう、歌舞伎という制度の奇妙さを加納は示してみせる。
 この意味で、加納が渡辺守章の演出作品に対するシンパシーを表明しているのは興味深い。というのも、渡辺もまた西欧演劇の「型」をなぞりつつ、同時に西欧演劇という制度の奇妙さを異化する意図的な試みを続けているように思われるからである。さらに二人は、異化する対象の制度を熟知しながら、その制度のもとで育てられた俳優の身体や声という自らにとっての表現手段を持たないために、その制度からいわば疎外されている、という点でも共通している。歌舞伎俳優を、あるいはフランス古典劇の訓練を受けたフランス人俳優を、自分の手駒として使えないから、メタレベルに立って歌舞伎なり西欧演劇がアウトサイダーにはいかに奇妙に見えるものなのかを示そうとするのか、それとも自分がなじんでいる歌舞伎や西欧演劇がある時いかに奇妙なものかを認識したからこそ、あえてその制度の外に出て、批評的行為として作品を提出することを決意したのかは、この場合さして重要なことではない。(とはいえ、加納は歌舞伎役者は身体が完全に型にはまってしまい、型から故意にずれた所作をさせることが難しい、ということを指摘し、自らの方法論が制度からの疎外ゆえに生まれてきたのではないことを示唆している)。重要なのは、制度を知れば知るほどそこから疎外されるという逆説(歌舞伎役者で加納ほど歌舞伎について「知っている」ものがどのくらいいるだろうか? だがそれにもかかわらず、彼らは制度の内部にいるのだ)を誰よりもよく認識している加納にとって、歌舞伎とは自らの作品を対象化するための基準として存在するものであって、一体化する対象ではない、ということである。活歴物や新派といったかつての「ネオかぶき」と花組芝居が決定的に異なるのは、前者は自分たちは「歌舞伎」になれる、と考えていたという点なのだ。
3.宮城聡とク・ナウカ
 加納ほどではないにせよ、宮城もまた誤解されている。宮城の演劇的教養の豊かさはよく知られているが、宮城はそうした教養をもとにテキストを読み解き、舞台に重層的な意味の世界を構築する、西洋的な意味での演出家ではない。あるいは、それだけの存在ではない、というべきか。なるほど、戦前の日本統治下の朝鮮を舞台にした『王女メデイア』はテキストの大胆な読み替えとポストコロニアリズムへの目配りという点で世界の第一線に出してもおかしくはないすぐれた舞台だったし、研ぎ澄まされた美意識が生む洗練と形式へのこだわりという点ではP4の中で安田と並んで、西欧現代演劇と同じ土俵で勝負しているように思われる。
 だが西洋の演出家たちがその過剰な職業意識のあまり、時として図式的で、スタイルとして完成されてはいるが空虚さを感じずにはいられないような舞台を生み出すことがあるのに対し、あくまでも個人的な営みとしての演出にこだわる宮城の表現は、「失敗作」も含め、もっと迂遠で他人には容易に理解しがたい要素を含んでいる。たとえば、ク・ナウカの「スタイル」として認識されている、舞台の上で所作を行う俳優と台詞を語る俳優が二人で一役を演じるという方法論も、宮城が日頃痛切に感じている、情念と理性の両極に引き裂かれて生きるしかない自分という主題を外面化したものであり、文楽における人形遣いと義太夫語りの分離が生み出す表現の強度を借用するというその「意味」は後づけのものだ。ク・ナウカの「スタイル」とは、宮城の個人的な動機に還元せざるを得ないような微妙なあやを表現する方法なのだ。
4.安田雅弘と山の手事情社
 P4のメンバーの中で、もっとも実験的で先鋭的な身体表象の試みを行っているのが安田雅弘である。安田の提唱する「四畳半」という型は、俳優が身体を動かす時のいくつかの規則をもとに作られている。「俳優は重心をずらして立つ」「イメージ上のせまい通路を動く」「せりふは舞台上の誰かに語り、その際は語る人も受ける人も止まる」「それ以外の人はスローモーションで動く」。
 これらの規則をもとに安田は作品を解釈していくが、細かな所作は稽古場で劇団員とともに即興的に作り上げられる。即興といっても単なる思いつきではなく、連想をもとに役柄や状況についての一貫した解釈の体系が作り上げられていく(だが所作が決まると、その解釈の体系は忘れ去られる—その意味でこの作業はレヴィ=ストロースが言う「ブリコラージュ」だといえる)。
 自然主義的な演技とは、言葉の意味と身体の所作の慣習的な結びつきを舞台の上で正確に再現しようという試みであるが、「四畳半」の型で台詞を語ることは、この慣習的な結びつきを断ち切ることになる。山の手事情社の俳優は「私は悲しい」と語るときに、悲しいとすぐにわかるような表情や身振りをしない。観客は自然な感情移入を妨げられるだけでなく、舞台の上で起きていることを理解するために、語られる台詞に耳をこらし、身振りや表情に見入り、両者を自分の中で結びつけることを要求される。知覚に異化作用を引き起こし、組み替えを迫るという点で、それはキュビズムの絵画を鑑賞することに似ている。
 安田のテキスト解釈も、宮城と同様独特のものである。『夏の夜の夢』で恋人たちが逃れるアテナイ郊外の森は日本の銭湯へと変貌を遂げる。安田によれば、森が象徴する混沌や葛藤を自らの生活史の中でリアルに感じられるものに置き換えると、銭湯になるのだという。『アントニーとクレオパトラ』『ジュリアス・シーザー』をもとにした花組芝居の『悪女クレオパトラ』では、加納はアントニーによるシーザー追悼演説をラップに仕立て、アントニーがいかにローマ市民の支持を得ていくかを、ラップのリズムとライムが作り出す共感共同体の力を借りて舞台化してみせた。加納も含め、この三人は、江戸文芸以来の見立ての手法を用いて、自らの文化的・社会的文脈に古典劇や近代劇のテキストを引き寄せ、物語を大胆にデフォルメしていく手腕に長けている。
 そしてそのことはまた、西洋の演出家たちの(聖書の教義解釈に端を発する)「解釈競争」—神の言葉であるテキストの権威には盲目的に従い、それをどれだけ奇抜に解釈できるかを競う、ということが二十世紀「演出家の時代」に定着した慣行であった—とは彼らの演出の方法論は一線を画している、ということも意味している。本歌取りや世界決めといった日本の伝統的な手法は、元テキストに依拠しつつもその改変を大胆に試みることを許し、テキストの作者ではなく、引用で結ばれた複数のテキストが織りなす間テキスト性にこそ文化の本質がある、ということを前提としている。三人の演出家の手法は、このような伝統に基づいているのだ。

「怪しうこそ物狂ほしけれ」:語り部=ヒステリー患者としての樋口一葉──井上ひさし『頭痛肩こり樋口一葉』論

夏子 ……これからは紙の上に筆の力で婦人の宿を建てるしかないのよ。だって世の中はあれはだめ、これはするなというだけで、わたしになにもやらせてくれそうもないもの。これをしたい、あれをしたという欲はみんな捨てるしかないのよ。そしてたった一つ欲をのこして、その欲を成就したいと願うばかり。
花蛍 その欲って、筆の力で婦人の宿を建てるってことね。
夏子 (頷いて)もう心は死んでしまっているの。ただ、墨をすり筆を動かすために身体をこの世界においてあるだけ。
花蛍 なんてまあ厭世的で、すばらしい考え方なんでしょう。やはり盆礼にうかがってよかった。(『頭痛肩こり樋口一葉』『井上ひさし全芝居 その三』五六五頁)
 「二十一歳の若さで自分に戒名をつけたところに、あなたの文学を解読する鍵がある。あなたは生きながら死んでいたのですね。だからこそこの世がよく見えたのでしょう」自ら聞き手に扮した架空インタビュー「樋口一葉に聞く」(文春文庫『樋口一葉に聞く』所収)で、井上ひさしはこう述べる。同じ本にも収録されている前田愛との対談「一葉についての『噂』」では、井上はふたたびこの説を持ち出し、前田もそれに応じて「一葉という人は絶えずこの世だけではなくて……あの世へ自分をずらしたところから明治の社会を見つめ返している」と語る。両者が言及しているのはいわば、現実から一歩引いた観想者として樋口一葉を捉える立場であると言ってよい。だがその後に続く前田愛の発言も読み落としてはならない。
【引用開始】処女作の「闇桜」、【傍点開始】これはあまりうまい小説じゃないけども【傍点終了】、ヒロインが恋患いで死の床に横たわっていると、夕闇の桜がはらはら散りかかってくる。【傍点開始】これはたしかに発想からいえばどうもいただけませんが【傍点終了】、でもああいうところで、なにか生の世界からずれた視点を早い段階でもっていたような気がするし、それから【傍点開始】僕はあまり好きじゃないけれども【傍点終了】、丸山福山町へ移ってからは自分でも近い将来の死というものを予感して、なにか悟ったようなところがありますね。ところが、【傍点開始】あまりきれいに悟ってしまうと小説などは書けるわけのものじゃない【傍点終了】ので、その微妙なあわいのところで、先ほど井上さんのおっしゃった、和田[芳恵]さんのいう奇蹟の期間が成り立ったのじゃないかなということを、このごろとくにしみじみと感じるのですよ。(傍点は引用者)【引用終了】
 つまり前田は、樋口一葉が常日頃から死あるいは来世といったものを意識していたという点では井上に同意するものの、同時にそのことは彼女の作品に決してプラスになっていない、むしろ悟りすましたような態度が表に出ず、断ち切れない現世や生への執着が示されるときに『大つごもり』『にごりえ』『十三夜』『わかれ道』『たけくらべ』といった傑作が書かれている、という認識を示している。たとえばそれは『にごりえ』においては、お力の以下のような述懐と、彼女の最期を語る作者一葉の叙述の鮮やかな対比によく表れている。
【引用開始】 お力は一散に家を出て、行かれる物なら此まゝに【ルビ開始(からてんぢく)】唐天竺【ルビ終了】の果までも行つて仕舞たい、あゝ嫌だ嫌だ嫌だ、何うしたなら人の聲も聞えない物の音もしない、靜かな、靜かな、自分の心も何もぼうつとして物思ひのない處へ行かれるであらう、つまらぬ、くだらぬ、面白くない、情ない悲しい心細い中に、何時まで私は止められて居るのかしら、これが一生か、一生がこれか、あゝ嫌だ嫌だ……【引用終了】
「靜かな、靜かな、自分の心も何もぼうつとして物思ひのない處」へ行きたいと切望しつつも、かつての情人源七に無理心中を迫られたお力の最期は「切られたは【ルビ開始(うしろげさ)】後袈裟【ルビ終了】、【ルビ開始(ほゝさき)】頬先【ルビ終了】のかすり疵、頸筋の突疵など色々あれども、たしかに逃げる處を遣られたに相違ない」と語られる。死への憧憬と生への執着とに引き裂かれた両義的な存在のありかたこそが、一葉とその作品の登場人物の魅力だと前田は説いているように思える。
 もちろん、ここで問題なのは、井上と前田の主張のどちらが一葉文学の本質を正しく捉えているか、ということではない。あるいは、そもそもの井上の目のつけどころにケチをつけて、戒名とは死者への諡り名のようなものではなく、もともと仏道修行の途上にある人に与えられるものなのだから、一葉が「一刻もはやくその執着心を断って成仏解脱をとげよ」と日記に書きつけ自らに戒名を与えたといっても、それは悟りをひらいて仏陀(すなわち覚者)になりたいという彼女の気持ちの表れであって、必ずしも死を早く迎えたいと思っていたわけではない、と指摘することでもない(対談の中で前田は井上のこの誤解に気づいているが、あえて言及せずに、「悟り」と言葉を巧みに言い換えることで話がつながるようにしている)。大切なことは、井上が『頭痛肩こり樋口一葉』を書くにあたって、人一倍死を身近に感じていた一葉は「生きながら死んでいた」「だからこそこの世がよく見えた」と考え、そこから作品の世界を作り上げていったという事実である。さらに、これから見ていくように、井上のこのような見立ては作品全体を支配しているわけではない。前田の指摘するような、悟りきれずに現世に執着し、あがき苦闘する一葉もちゃんと描かれている。本稿の目的は、作者が考えていた観想者としての一葉が、『頭痛肩こり樋口一葉』という作品が書かれる中でどのように変貌を遂げ、語り部としての一葉に変わっていくかを見ることである。
 井上ひさしは小林一茶、宮沢賢治、夏目漱石、松尾芭蕉、魯迅、石川啄木、太宰治といった文人についての評伝劇を書きついできた。といっても、それは気分的な芸術至上主義のもと作者を顕彰しようとしたり、一代記の名を借りてよく知られたエピソードをつなげていく類のものではない。『イーハトーボの劇列車』のように、作品の登場人物を劇中に登場させて作者と会話を交わさせたり、『人間合格』のように、作者の周囲にいた比較的無名の人物たちに焦点をあて、彼らの目に映る作者のすがたを描くといった手法を使って、対象を描きつつ批評の俎上に載せる。『泣き虫なまいき石川啄木』において、「事実を追ふより啄木の真実を探し求めようといふのが、われわれの主たる関心事」であるとト書きに記す井上にとって評伝劇とは、諧謔味あふれた異化によって、よく知られた人物についての事実ではなく詩的真実を描く装置だとひとまず言うことができる。
 こうした異色の評伝劇を書き続けてきた井上だが、中でも一九八四年四月、東京・紀伊国屋ホールでこまつ座の旗揚げ公演として初演された『頭痛肩こり樋口一葉』はとりわけ特異な作品といえるだろう。まず目につくことは、歌人中島歌子の私塾萩の舎での精進ぶりや半井桃水との恋愛などのような樋口一葉本人の物語はほんのおしるし程度に語られるだけであり、またその家族である一葉の母【ルビ開始(たき)】多喜【ルビ終了】と妹邦子の物語も井上が言うほどには語られないことである。実在もせず一葉作品の登場人物でもない、幽霊【ルビ開始(はなぼたる)】花蛍【ルビ終了】の「恨み探し」の物語が大きく扱われているが、このような構造はほかの評伝劇には見られない。まずそのことから考えてみよう。
 いったい井上はなぜ、樋口一葉の生涯を語る際に、一見したところまるで無関係な幽霊の仇討ち物語を組み入れたのだろうか。吉原の女郎であった花蛍は、大工の佐助と二世の契りをかわし、佐助の親方が工面してきた二百五十円で身請けされることになる。ところが佐助は途中で財布を落とし、悲嘆のあまり神田川に飛び込み、花蛍は絶食してあとを追う。こうして幽霊になった花蛍は、夏子のところにやってくる。彼女が花蛍を見ることができるのは、入水自殺をはかろうとした過去があるからで、「一度あの世へ踏み入れたことのある人」だからだ、と花蛍は説明する。したがって幽霊の導入は「生きながら死んでいた」と井上が考える一葉の特質を表すことになる。花蛍と一葉は以下のような会話を交わして、そのことを観客に知らしめる。
【引用開始】夏子 ここは実際妙なところよ。北からは人を焼く匂い。東からは吉原女郎衆のお白粉の匂い。また、すぐそこの大音寺前の四ツ辻では火葬場へ往復する葬式の行列が一組か二組、きっと一休みしている。そしてその葬式の行列を蹴散らすように走り抜ける吉原がよいの人力車。ここは【ルビ開始(このよ)】明界【ルビ終了】と【ルビ開始(あのよ)】幽界【ルビ終了】とのつなぎ目ね。
花蛍 ええ、ここでは生と死とが仲よく重なり合っているんですよ。わたしがここに住みついたのもそこが気に入ったからでした……(『井上ひさし全芝居 その三』五六三頁)【引用終了】
 さて花蛍は生前の記憶を喪失しており、身許が判明するのは夏子が調べたからである。夏子の調べで佐助の財布を拾ってネコババしたのは酒井ステという婆さんだとわかるが、花蛍が彼女のところに化けて出て行くと、孫娘を高利貸しの借金のかたにとられるので仕方なくネコババしたという。その借金は呉服屋を営んでいたステの息子が、尾形ぶんという三味線の師匠に入れあげたあげく身上をはたいてしまったのがもともとの原因だと知って、尾形ぶんのところに化けて出て行くと、彼女は幼なじみの恋人の大工の棟梁を男にしてやりたかったからだという。その大工の棟梁はお茶の水橋の架橋工事に参加するために、東京府土木局の役人の奥さんにワイロを送ったのだった。そこでその奥さんのところに化けて出て行くと……といったふうに、「次の【ルビ開始(わる)】悪【ルビ終了】に当ってみると、さらに向うに【ルビ開始(わる)】悪【ルビ終了】がいて、もう一つ先にも【ルビ開始(わる)】悪【ルビ終了】がいて」「因縁の糸でみんな鎖のようにつながっている」。結局、花蛍は恨みを抱くとしたら、「酒井ステという婆さんからさかのぼって皇后様までその全部を恨まなくちゃならない。これはもう世の中を丸ごと恨め、というのと同じ。いくらなんだって世の中全体に取り憑くなんてことはできやしない」ので諦めたと夏子に語る。
 罪の連鎖という主題は一葉の作品にも通底するものであるが、花蛍の恨み探しでは、人が罪を犯すのは貧しさや階級の壁のせいではなく「世の中全体に張りめぐらされた因縁の糸の網」のせいだ、ということになる。ところがそれを聞いた夏子は「わたし小説で世の中全体に取り憑いてやったような気がする……」「わたし小説でその因縁の糸の網に戦さを仕掛けてやったような気がする」と花蛍に向かって言う。一葉と花蛍の立場の違いがもっともはっきりするのはこの場面だろう。すなわち、一葉は悟ること、世の中の不条理をそのまま受け入れることを拒絶する。一方で花蛍は、恨みを抱いていたはずなのに、この世がよく見えるようになるとその恨みをはらすことを諦めてしまう。明治二十三年(一八九〇)から明治三十一年(一八九八)にかけて、それぞれの年の盆の十六日に起きた出来事を描くこの作品では、場が進むにつれ登場人物たちが次第に死んで幽霊になっていき、最後には邦子一人だけが残ることになるが、死者たちはいずれも生前のわだかまりを忘れ、互いに許し合うようになる。花蛍はいわばそうした優しい死者の代表として描かれるのだ。だがこのような寛恕の構図は井上作品には、あるいは井上作品を愛する観客にはふさわしいとはいえ、一葉作品に登場する我執に取り憑かれた人物たちには似合わない。その間隙を埋めるために、幽霊花蛍の物語が挿入され、大きく取り扱われることになったのである。
 花蛍の失敗に終わった復讐物語に次いで劇中でたっぷり語られるのは、士族の妻で、多喜が乳母として奉公していた関係で付き合いのある【ルビ開始(いなばこう)】稲葉鑛【ルビ終了】と、一葉の亡父の同僚の娘で、兄哲太郎とともに開明小学校を経営する中野八重の身に起きた出来事である。鑛の夫は士族の商法を地でいき商売を何度か替えたあげく死んでしまい、鑛は再婚することになる。一方、八重の兄哲太郎は、米の値段があがっていることに憤って渋沢栄一と大倉喜八郎に決闘状を送りつけたことから、逮捕されたのち、市ヶ谷監獄で餓死する。八重はその裁判を行った東京裁判所の春日判事の妻になって玉の輿にのったものの、その妾が子供を生んだことをきっかけに邪険にされるようになり、遊郭に売られてしまう。お八重改め双葉屋のお角となって新開地で働くようになった彼女は、それとは知らずに双葉屋にやってきた鑛の夫を骨抜きにしてしまう。鑛、その夫、八重の三角関係には、『にごりえ』におけるお初、源七、お力の関係があてこまれ、先ほど引用したお力の台詞も八重の台詞として語られる、というような仕掛けはあるものの、彼女たちもまた架空の存在であり、その言動によって一葉の性格や生活が浮き彫りにされることはないかのように思われる。
 井上が『頭痛肩こり樋口一葉』において一葉その人をあまり描かず、その周囲ばかり描いた理由はいくつか考えられるだろう。「樋口一葉に聞く」で井上は「私は男と女との関係にはまったく興味がないのです。その証拠に、これまで一編も恋愛小説を書いたことがありません」と告白し、さらに一葉に「小説家としては致命的な欠陥ね。婦人がこわいの」と問われると「かも知れません。あるいは女性になんの夢も抱いていないというのか。自分もよくわかりません」と答える。一葉についてもっとも多く語られる恋愛遍歴について深く立ち入ることをしない、という自らに課した禁じ手のために、一葉本人を語る材料に事欠いた、ということはあるかもしれない。さらに「一葉についての『噂』」で、井上は自らも一時期一葉に「狂った」ということを認めつつ、それは当時の好子夫人や出演予定の女優たちがみな「一葉体験がある」ことを知り「いったいなぜ女性は一葉にこんなに夢中になっているのだろう」と不思議に思ったことがきっかけであると語り、また一葉についての評伝、作家論、作品論について「熱っぽくて面白いものが圧倒的に多い」「どなたも一葉に、学者の域をこえて、危険なほど肩入れしておられる」と解説してみせる。井上はおそらく、ある時点で戯作者特有の本能から「危険なほど肩入れ」しては自分の一葉像を描けない、ということを見極めたのだろう。しかし同時に、醒めた目で一葉を突き放して書いたとしても、観客の共感を得られないばかりか、薄っぺらい造形で上演に耐えられるようなものではなくなる、と考えたのかもしれない。
 あるいはほとんど同じことだが、悟りすましたように見える人間の虚偽を暴く、偉いとされている人間の意外な愚かさ加減を明らかにする、という井上が評伝劇でしばしば用いる手法が、一葉には適用できなかった、ということもあるはずだ。『泣き虫なまいき石川啄木』についての自作解説で、啄木は自分を甘えさせてくれていた人々が明治四十三年後半ごろから次々と離れていったことから『実人生の白兵戦』を見いだすようになる、と井上は述べているが(「前口上」『the座』第七号、『悪党と幽霊』所収)、そのような観点からすれば一葉ははじめから「実人生の白兵戦」を戦っていたのであり、茶化す余地などそこにはなかった。
 だがいちばん重要なのは、一葉に自らの物語を語らせないことによって、一葉を聞き上手に仕立て上げたことではないか。そうすることで、男の身勝手な行動や(その男たちが作り出した)社会の理不尽な構造によって振り回される女たちの身の不幸せに同情し、女たちのための、historyならぬ彼女の物語(her-story)を紡ぎだす、語り部としての一葉という、一種民俗学的な発想のもとで井上が打ち出した一葉像が示せることになる。さらに言えば、観想者としての一葉という、井上の当初の構想は、アリストテレス=キリスト教的な系譜ではなく、小林秀雄の論じる兼好法師の系譜に位置づけることによって、語り部としての一葉と接続することになる。「兼好は、徒然なるままに、徒然草を書いたのであって、徒然わぶるままに書いたのではないのだから、書いたところで彼の心が紛れたわけではない。紛れるどころか、目が冴えかかって、いよいよ物が見え過ぎ、物が解り過ぎる辛さを、『怪しうこそ物狂ほしけれ』と言ったのである」(「徒然草」)。
 井上は一葉を、この「物狂ほしさ」が身体化された存在として描く。すなわち、頭痛肩こり樋口一葉。ヒステリーの症状として、まず頭痛や肩こりがあらわれ、熱が出て、胴震いが止まらなくなる。花蛍が恨み探しを諦めたといい、一葉がそれに対して「わたし小説で世の中全体に取り憑いてやったような気がする」と応えるさきほどの場面は、ヒステリーに陥った一葉の幻視という仕組みになっている。おそらく、「ものが見える」ことによる亢奮が身体にまで及んだのか、身体が亢奮状態になってものが見えるようになったのか、という順番はそれほど重要ではない。ここで示されているのは、身体化された認識のありようである。女たちの不幸をわがこととして受け止め、語り継ぐ語り部は、すでに悲しみのために「心は死んでしまっている」のかもしれない。だが「墨をすり筆を動かすため」の身体は残っている。身体が直接悲しみや苦しみを伝える、そんな語り部として、井上ひさしの一葉は存在している。