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ニール・サイモン作品のユダヤ性について

ニューヨーク市立大学大学院演劇学科に留学していた四半世紀ほど昔のことだ。博識をもってならすマーヴィン・カールソンが「日本でニール・サイモンが大人気と聞くが、あんなユダヤ的なものの考え方や文化が反映されている作家の作品がなぜ日本人に好まれるかわからない」と授業で言ったことがあった。

そのことをしばらく前にツィッターに書いたら、『悲劇喜劇』編集部から「ニール・サイモンの作品における「ユダヤ的なものの考え方や文化」について解説してください」という連絡をいただいた。「はい、書きます」と返事をしてから気づいたのだが、日本のこともよく知っているカールソンの発言の前提にある、「日本人はニール・サイモンの本質をわからずにもてはやしている」という想像は全く間違っているというわけではない。日本におけるニール・サイモン受容は、あらゆる異文化の受容と同様、誤解にもとづいているところもある。「ユダヤ的なものの考え方や文化」のなかには、その本質を日本人が(ひょっとしたら非ユダヤ系の白人たち以上に)理解し受け入れている部分と、日本人がよく理解できてない部分がある。この論考では、双方について触れたい。

ユダヤ人的なものの考え方や文化で、日本人がその本質を_¨それとは知らずに¨_もっともよく理解し受け入れているのは、お涙頂戴を厭わない、ベタな感情表現だ。ユダヤ系というと、ハリウッド映画によく出てくるロイド眼鏡をかけた頭の良さそうな―しかし人付き合いは下手だったり、運動神経はなさそうだったりする――科学者、あるいは、お前はシャイロックの子孫かと言いたくなるような、人を人と思わない、数字だけが友達のトレーダーや投資家を思い浮かべる人もいるかもしれないが、「典型的」(だと大抵のアメリカ人が考える)ユダヤ系の人々の大きな特徴は、情が深いことだし、ユダヤ系の作り手が圧倒的に多いブロードウェイの舞台は、そういうベタな情愛を好んで描いてきた。主人公は身内との愛憎関係に苦しむ(いうまでもなく、憎しみは深い愛情の裏返し、ないしは同一のものだ)。自分が愛する程には相手は自分を愛していないと思い込んで暴走するが、結局はそれが錯覚だとわかって、あるいは相手にとって自分がそれだけの存在でしかないことを受け入れて、ハッピーエンド。『裸足で散歩』であれ、『おかしな二人』であれ、ニール・サイモンの多くのコメディは、笑いのオブラートに包まれてはいるものの、本質的にはそのようなドラマを描いている。

愛情をたっぷりかけて子供を育てることが重要視されるユダヤ系の家庭に育った人にとって、親子や恋人、友人と気持ちの上でしっかり繋がってない、ということはことさら不安を覚えるものだし、ニール・サイモンの作品の魅力は、自分たちが抱いているような不安が舞台上でうまく解消されるところにあった。日本人もまた、血縁共同体内の情愛の大切さを主題とするお涙頂戴の物語が大好きだ。大正期から戦後にかけての新派、長谷川伸をはじめとする人々が新歌舞伎や新国劇に書いた戯曲、松竹新喜劇、菊田一夫の芝居はどれも、「身内」の情愛の薄さや濃さが主人公にとり大きな意味を持っていることを示すところにドラマツルギー上の要諦がある。

比較対象が菊田一夫や松竹新喜劇では、お涙頂戴といってもいささか古くさいのはないか、と思われる読者もいるかもしれない。だがニール・サイモンもまた、古くさい作家だった。『ニューヨーク・タイムズ』の劇評家ハワード・タウブマンは、デビュー作となった『カム・ブロー・ユア・ホーン』(一九六一年二月初演)を昔懐かしいブロードウェイ・コメディだ、と評価している。ラジオやテレビのスキットで売れっ子だったサイモンが、当時最新のギャグを盛り込んではいるものの、その骨子は昔ながらの人情喜劇であることを見抜いたタウブマンはさすがに慧眼だった。

ちなみに、タウブマンが『カム・ブロー・ユア・ホーン』の古風さに言及したときに頭にあったのは、第二次世界大戦前にブロードウェイで七年あまりのロングランを続け、今でもミュージカル以外の作品としては最長ロングラン記録を保つ『父と暮らして』だったかもしれない。脚本を書いたハワード・リンゼイとラッセル・クローズはユダヤ系ではないし――『エニシング・ゴーズ』や『サウンド・オブ・ミュージック』の脚本も書いたコンビとしてのほうが有名だ――原作者クラレンス・デイの自伝的内容を反映してカトリックの教理問答が登場したりするのだが、不機嫌でいつもガミガミ小言を言うので恐れられ、嫌われている父親がユーモラスに描かれているところなど『カム・ブロー・ユア・ホーン』とそっくりだ。

ところが、戦後間もない時期にテネシー・ウィリアムズとアーサー・ミラーが登場し、(少なくとも表面的には)感傷的な甘さがブロードウェイの舞台から一掃された随分後になって登場したニール・サイモンの_¨時代遅れの古風さ¨_は、戦前からのユダヤ系の作り手たちが作るお涙頂戴の舞台を見て飽き飽きしていた年上の観客が年齢的に退場する時期と重なったことと相まって、しばらくは新鮮に見えた。同時期に『屋根の上のバイオリン弾き』(一九六四年九月初演)がヒットしたのも同じ理由だ。とはいえ、もっと「クールな」自己像をアメリカ演劇に見出したい観客や批評家や研究者が、ニール・サイモンの生み出すユダヤ系の古くさい人情喜劇をアメリカ演劇の代表だと思われたくないと考えはじめるようになるのも時間の問題だった。

この点こそ、多くの日本人が「ユダヤ的なものの考え方や文化」について_¨わかっていない¨_がじつはもっともよく_¨わかっている¨_ところだ。本国では「昔ながらのユダヤ系人情喜劇」とみなされていることを知らずに、アメリカから来たお洒落なコメディだと思ってニール・サイモンの芝居を観に行く。家族の情愛を描く古くて懐かしい筋立てに、さんざん笑って最後にホロリとする。かつて長谷川伸や菊田一夫や藤山寛美の芝居をもてはやした私たちはそういう芝居が大好きだからなのだが、非ユダヤ系白人のカールソンのような人は、なぜ日本人があんな田舎くさい、ベタな人情喜劇を好むのか不思議に思うわけだ。

その意味で、日本におけるニール・サイモン戯曲の受容は、同じくユダヤ系であるウディ・アレンの映画の受容と似ているところがある。表面上の新奇さと芯にある古風さが同居しているところにニール・サイモンやウディ・アレンの魅力があるのだが、私たちはなかなかそのことを認めたがらず、舶来のモダンなコメディとして楽しんでいるのだと思い込もうとする。

一方で、私たちがよく理解できてないニール・サイモン作品のユダヤ性もある。たとえば『ニール・サイモンを理解する』(サウス・カロライナ大学出版局、二〇〇二年)のなかでスーザン・コープリンは、ユダヤ系の物語によく出てくる、自分の不運を嘆いてばかりいるダメ男の伝統や、ユダヤ系特有の自虐ギャグに言及している。これらもまた、非ユダヤ系アメリカ人にはユダヤ色が強いというか、自分たちの文化にはない要素として抵抗を覚えるものなのだが、日本人観客はその「エグ味」を感じない。そもそも、自意識過剰なユダヤ系の人々の自己言及の多さに普段から辟易していると、舞台で同じものを見せられたくない、と思うものだが、多くの日本人はそういう体験をしていないからだ。それに、自らのユダヤ性をことさらに強調するというユダヤ性は、一種の自家中毒なので精神的に不健全なものを何となく感じるけれど、自らの民族的アイデンティティを強く主張する態度でもあるので、それを表立って批判することはできない、という(ユダヤ系自身を含めた)アメリカ人観客が感じるモヤモヤした気分も、日本人には無縁だ。

あらゆる異文化の受容はつまみ食い的に起きる。自国の社会慣習が受け入れやすいものだけを取り入れ、その全部を受け入れることはない。だがそれでもその他者の文化への「理解」は進むし、わけもわからずにもてはやすということはない。ニール・サイモン作品のユダヤ性もその一例といえる。『悲劇喜劇』第七二巻第一号(二〇一九年一月)二五—二七頁。

ドキュメンタリーとメロドラマの複合体:太陽劇団『最後のキャラバンサライ(オデュッセイア)』

 二〇〇一年の太陽劇団の来日公演『堤防の上の鼓手』は正直言ってあまり感心しなかった。美しく繊細な詩情に富んだ舞台であった、といえば褒めたことになるのかもしれないが、新国立劇場中劇場内にしつらえた仮設舞台の上で俳優たちが文楽の人形を模した所作をするのを見ても、観客に訴えかけてくるエネルギーを感じられなかった。目の眩むような視覚的効果が次から次へと示されるのに感心しながらも、私は「だから、なに?」という問いを胸の内で何度も反復せざるを得なかった。
 観劇後しばらくしてフランス演劇研究者の畏友小田中章浩氏に会ったときに、上記のような感想を言うと、「太陽劇団はヘタウマだからよかったんですよ。文楽なんかの下手な物真似を荒削りなままやっているうちはわけのわからない面白さがあったんだけど、だんだん上手くなっちゃって、昔に比べるとパワーも落ちちゃったから、文化帝国が植民地の演劇を搾取する典型みたいな芝居になっちゃった」という答えが返ってきて腑に落ちた。同時に、手作り感覚のアマチュアリズムが売り物だった演劇集団が、時の経過とともに洗練と自己反復に向かわざるを得ないという宿命を、太陽劇団もまた負わされていたのだと知って悲しくなった。演劇愛好者とは、つねに遅れてきた存在である。名舞台はつねに過去にあり、名優たちはすでに鬼籍に入っているか全盛期を過ぎている。今見ているのはそれらの残滓に過ぎない。『一七八九』『アトレウス一族』など数々の伝説が語り継がれてた太陽劇団の現在を知るということはこういうことなのか、と嘆息した。
 そんなわけで、ニューヨークで毎年夏に行われるリンカーン・センター・フェスティバルの今年のラインナップに太陽劇団の新作『最後のキャラバンサライ(オデュッセイア)』が入っているのを見つけたときにも、それほど心が騒いだわけではなかった。これは二〇〇三年四月に太陽劇団の本拠地ヴァンセンヌのカルトゥーシュリー(弾薬工場)跡地で世界初演されたあと、同年のアヴィニヨン演劇フェスティバルでも上演される予定であったが、舞台芸術労働者のストライキで中止になるという曰くつきの作品であり、リンカーン・センターの敷地内にあるダムロッシュ・パークに巨大なテントを建てての興行が北米初演となる。だが、大学の仕事を中途で放りだして(夏学期の講義は終わっているが試験やら会議やらが残っていた)、リンカーン・センター・フェスティバルに久しぶりに行こうという決心を固めたのは、ほかにもロバート・ウィルソンがインドネシアの叙事詩『ラ・ガリゴ』のエピソードから作りあげた『イ・ラ・ガリゴ』や、マーサ・カニングハム+ジョン・ケージの『オーシャン』再演など、いつにない充実したプログラムが編まれていたからだった。
 結論から言えば、『イ・ラ・ガリゴ』は美しいが退屈で、ウィルソンのマンネリズムが悪いほうにでてしまった。『オーシャン』は、コロンバスサークル再開発計画の目玉であった巨大なガラス張りの建物、タイムワーナーセンターの中に作られたローズシアターの特性を存分に生かし、ケージの構想どおりオーケストラを円形に配置して客席を取り囲む(ただし同一平面ではなくオーケストラは一段高い場所に位置する)など、興味深い試みであったが、歴史的な意義以上のものを見いだすことはできなかった。ピッコロ・テアトロの『アルレッキーノ』では、齢七十をこえたフルッチョ・ソレーリが一九九九年の日本公演とほぼ同じ運動量をこなしているのを見て感動したが、これまた二十世紀演劇史の復習という域を出なかった。だが、『最後のキャラバンサライ』には圧倒された。第一部・第二部あわせて約六時間という長丁場であったが、上演されている間、私はただひたすら舞台に魅入られ、釘付けになっていた。
 『最後のキャラバンサライ』がそこまで衝撃的だった理由の一つは、題材の今日性があるだろう。この作品は、コソボ自治州のアルバニア系住民、クルド人、チェチェン人といった、周辺国家・民族による迫害や虐殺から逃れるために難民として国境を越えた人々や、イラン、イラク、タリバン政権下のアフガニスタン、ロシアなどの祖国を政治上・経済上の理由で亡命した人々が、定住先を求めて放浪を続けるなかでどのような危険や苦労に遭遇するか、あるいは難民キャンプや難民収容所でいかに差別的な待遇に処せられているかを群像劇ふうに描いたものである。題名の一部となっているキャラバンサライ(Caravanserail)には、隊商宿、すなわちキャラバンが休息し、水や食料を補給するための広大な中庭を持った宿という意味と、外国人でにぎわう場所という意味がある。二〇〇一年、ムヌーシュキンたちは、フランス北部の港町カレー近辺にあり、イギリス亡命希望のクルド人、アフガニスタン人、イラク人などが一六〇〇人ほど生活していたサンガット難民収容所などで難民たちに直接インタビューを行った。オーストラリア、ニュージーランド、インドネシアの同様の施設でも取材をしたが、これは『堤防の上の鼓手』世界ツアーの合間を縫ってのことだったという。「最後の」(Dernier)という形容詞に、希望が込められているのかそれとも痛烈な皮肉なのかは定かではないが、キャラバンサライが難民キャンプや難民収容所のことを言及していることは明らかだろう。さらに、かっこで括られた複数形のオデュッセイア(Odyssees)には、故国を離れ苦難に満ちた生涯を送る英雄たちの物語、という意味が込められている。もちろん、神話のオデッセウスと違ってこの「英雄たち」が故国に帰ることは、おそらくない。
 作中フランス語だけが話される場面は多くない。難民はクルド語、ペルシア語、チェチェン語などを話す。難民を迫害し、搾取し、あるいは官僚として非人間的に扱う側はフランス語のほかに、英語、セルビア語、ロシア語、ドイツ語などを話す人物たちで構成されている。アメリカ公演では、本国公演で用いられたフランス語の字幕のほかに、英語の字幕が重ね合わされた。登場人物は一部二部合わせて一〇〇人以上。それを三十六人の、さまざまな国の出身の俳優たち(スタッフも合わせると二十二カ国にのぼるという)が演じる。中東・ロシア・アフリカからの難民の大量流入と、多言語・多文化の共存という状況は、西ヨーロッパ諸国が日々向き合う現実であり、東南アジアや中南米から流出する難民が数に入れられていない点に一抹のヨーロッパ中心主義を感じなくはないものの、作り物の物語にはない迫力があった。
 こうした現実の裏付けがあると、この劇団特有のあざといまでのシアトリカルな仕掛けも納得がいく。とはいえ、「過酷な大河」(Le Fleuve Cruel)と名づけられた第一部の幕開きの場面では、私はまだ魔法にかかることができないでいた。嵐の中、キルギスタンとカザフスタンを隔てる川を、向こう岸から渡された一本のロープを伝わってなんとか渡ろうとする難民たち。降りしきる雨によって水かさを増し轟々と逆巻く大河を、舞台全体を覆う巨大な布一枚で表現するその技術は見事だが、ここまで完成されていると、技術を可能にさせた思いはかえって見えてこない。『堤防の上の鼓手』のとき感じた、ある種の空虚さの感覚が甦る。
 しかし短いものであれば十分程度、長くても二十分もない場面が次々と目の前で展開されていくにつれ、私は徐々に舞台に引き込まれていった。一つには、目まぐるしくなされる場面展開のたびに、俳優やスタッフたちが小道具を抱えたり、移動可能な大道具を押しながら、幅二十メートル、奥行き十メートルはあるかと思われる広大な舞台の周囲を駈け回る、その機敏な動きに感じ入ったということもある。俳優たちが舞台を登退場するときは、小さな台車の上に乗り、出演していない俳優やスタッフからなる黒衣がその台車を押すのだが、舞台の縁まで来ると、俳優も台車から降りてスタッフとともに駈け出す。つい先ほどまで舞台の上で愁嘆場を演じていた俳優が、素に戻って次の場面の準備をしている、ただそれだけのことなのだが、同化と異化との間を絶えず往還するブレヒト的な演劇の最良の瞬間がそこにあった。演じる対象(役)と演じている俳優自身の姿を同時に示す、というブレヒトの定理は、むしろこのような形で実現されるべきではないか、とすら思った。演じている自分を示すためには、舞台の上のイリュージョンの生産過程に従事する自分を示すだけで十分であって、「演じる対象の行動に注釈をつけくわえる」必要はないのではないか。観客は、自分たちに何かを信じさせようと一生懸命になっている俳優の姿を見て、その場面に引き込まれつつ立ち止まって考えるのだから、俳優が観客を「啓蒙」する必要はないのではないか。
 もっとも、公式ブレヒト主義者(なるものが今でもいるのかは疑問だが)から見れば、『最後のキャラバンサライ』で語られる物語も、リアリズムにもとづいた俳優たちの演技も、お涙頂戴のメロドラマに堕していると批判される余地が大いにある。むしろムヌーシュキンたちの戦略には、ブレヒト的であることよりも、ピクセレクール以来のメロドラマの手法を堂々と利用することで民衆演劇の系譜に連なる、というところにあるのかもしれない。故国の家族に宛てた難民たちの手紙がペルシア語で読まれ(同時に端正な筆記体で綴られたフランス語の字幕が舞台の背景幕に投影される)、美しく感動的な旋律の音楽が演奏され、人目を驚かせるスペクタクルが示される。人物であれ、装置であれ、舞台上の形象は明晰であり、一意的な意味を指示している。
 メロドラマはまた反復を利用して一種の催眠効果を作り出すことがあるが、この作品でも互いに似通ったエピソードが幾度も語られる。ヨーロッパにたどり着いた難民はたいてい、難民認定が比較的簡単に取れて、身分証明書の携帯を義務づけられてこなかったイギリス行きを希望する。彼らがドーバー海峡下のユーロトンネルを通過する貨物列車のコンテナに潜り込んで密入国する様子は、日本でも公開されたマイケル・ウィンターボトム監督の『イン・ディス・ワールド』(二〇〇〇)でも描かれていた。『最後のキャラバンサライ』では、ピカレスク的魅力をそなえた密入国業者のボス、セルビア人ヨスコの指揮のもと、さまざまな国籍の難民が、カーブのせいで列車のスピードが落ちる場所に潜んでコンテナに飛び乗るという主題が変奏されて描かれる。国境警備兵に見つかって失敗する家族。金が工面できずにヨスコに罵声を浴びせられる兄弟。あるいは費用を調達するためにヨスコの言うままに売春をする少女。そしてお定まりの内輪もめと裏切りによってヨスコは殺され、新しいボスが実権を握る。
 「起源と運命」(Origins et Destines)と題された第二部になると、断片的に語られてきた物語がこうして次第に組み合わさり、メロドラマとしてのうねりを持つようになっていく。その一方で、当事者にしかわからない細部も描かれ、ドキュメンタリーとしての迫真性は保ち続ける。このドキュメンタリーとメロドラマの混交こそ、作品に力強さを与えていたもっとも大きな要因だろう。ムヌーシュキンは最初に俳優たちに自らの想像力と経験をもとに即興で場面を作り上げるように要求し、そのあとでインタビューや証言の記録を示したという。現実と想像の複合体は、剥き出しの事実よりも私たちの内なる生に食い込んでくる。なぜなら私たちの内なる生とは、まさしく現実と夢を混ぜ合わせてできたものに他ならないからだ。ムヌーシュキンはそのことをよく知っていたし、またそれを表現する媒体として、集団創作の手法が作り上げる俳優の身体が最適であることも理解していた。その結果が『最後のキャラバンサライ』だったのだ。一九六四年に創立された伝説の演劇集団はまだ「伝説」にはなっていなかった。

P4について私が知っている二、三の事柄

0.P4とはなにか
 P4とは加納幸和(花組芝居)、平田オリザ(青年団)、宮城聡(ク・ナウカ)、安田雅弘(山の手事情社)の四人の演出家からなる集団だ。Pはプレイの頭文字でもあり、四人の名字の最初の一文字を英語にするとすべてPからはじまる単語(Plus「加える」/Plain「平地」/Palace「宮城」/Peace「平安」)になる、という言葉遊びでもある。
 一九九五年、宮城が平田に話を持ちかけたのをきっかけに結成されたP4は、同年四人が利賀・新緑フェスティバルの企画・運営を任されたことから集団としての実質的な活動を開始することになる。九七年彩の国さいたま芸術劇場で上演された平田オリザ作・安田雅弘演出『Fairy Tale』はその一つの結実であるが、毎年初夏に開催される新緑フェスティバルにおいて、他の三劇団のメンバーと一緒に寝泊まりし、互いの上演を見ることによって、自らの演出の方法論を問い直す機会を得たことが大きい、と平田は述べている。
 利賀・新緑フェスティバルの性格が変化してきたこともあり、現在P4は活動休止状態にある。だがそれは、現在四十代前半の、同世代に属する四人の演劇人に共通する方向性が異なってきたからではない。以下、個別に見ていきながら、四人の演出の方法論に共通する特徴を考えてみたい。
1.平田オリザと青年団
 P4のメンバーのうちでもっともジャーナリズムに取り上げられる回数の多いのは平田オリザだろう。自らを「河原乞食」に擬し反社会性を売り物にしていたアングラ以降の世代と異なり、演劇人は社会ともっと関わりをもつべきだと考えている点でP4のメンバーは意見を同じくするが、中でも平田は演劇という制度を社会に認知させるためにさまざまな努力を払ってきた。自身が経営するこまばアゴラ劇場における演劇フェスティバルを通じての各地のリージョナル・シアターとの連携、教鞭を執る桜美林大学での演劇教育や地域との共同作業、あるいは今年からはじまったアゴラ劇場のレジデント・カンパニー制の採用など、演劇を「開かれた」ものにするために平田が行ってきたことは(巧みな自己宣伝のおかげもあって)よく知られるようになった。平田はまた劇作家でもあり、その作品は事件性のほとんどない日常を淡々と描写するところから、九〇年代小劇場演劇の代名詞である「静かな演劇」の旗手として認知されるようになった。
 ただし、「静かな演劇」とは九〇年代小劇場演劇の独創ではない。秋田雨雀の「静劇」あるいは岸田国士門下『劇作』同人たちの作品にも見られる、日本近代劇の一潮流である。時代を超えてそれらの作品に共通するのは、表面的に醸し出される平穏さ、静謐さとは裏腹に、主人公は軽い心理的な圧迫を周囲から受け続けており、しかし彼(ないし彼女)はこの正体不明の「いやな感じ」と戦うでもなくそれから逃げるでもなく、ただ困惑して佇んでいる、という状況だ。すなわち、西洋古典劇におけるドラマとは、明確な意志や欲望を持った個人と、その個人を抑圧するものとしての神あるいは共同体との対立であり、近代劇はこれに加えて個人の内面における葛藤を劇に仕組んだのに対し、自他の区別が曖昧な日本社会においては、抑圧を与えるものが社会なのかそれとも自らの無意識に潜む超自我なのか主人公にも観客にも(そしておそらく劇作家自身にも)よくわからないまま事態が進展してゆき、主人公は無力感を感じつつも見えない相手に向かって抵抗の真似事だけしてみる、という様子がドラマとして描かれてきたのである。
 主人公が感じているこの漠然とした「居心地の悪さ」を観客により効果的に伝えるために、平田はドラマを唐突にはじめて唐突に終える。開演前から舞台上では登場人物たちは演技をはじめており、劇中で示されるいくつかの謎は解決されないまま舞台は暗転する。すなわち、物語ははじめと中と終わりがある完全なものではなく、「断片」としてしか示されないのだ。伝統的な演劇の機能とは、ある一つの物語が語られ、俳優によって生きられることによって、あたかもそれが世界全体を表象するかのような印象を観客に与えるものであった。だが平田が示す断片的な物語は、世界表象としての不完全さを自ら露呈することで、もっとリアルで不気味なものが語られぬまま背後にあることを指し示す。それがすなわち、共同体にも自分の裡にもその出自を見出すことのできない、なんとはなしの「いやな感じ」であり、平田の観客はその存在を作品の内容と構造の両方で体験することになる。
 劇作家としての名声に比して演出家としての平田はそれほど評価されていないが、いくつかの理由で注目に値する。井上優氏によれば、青年団の俳優の演技は、リアリズムではなく、「リアリズム演技」の演技を行っているのだという。現実の模倣ではなく、現実の模倣の模倣を行うこと。ブレヒトのゲストゥス同様、対象を描きつつ異化してみせるこの態度は、平田の意識的な戦略というよりも、とりわけ初期において俳優の練度が低いために自然と生じてきたものであったかもしれない。しかし平田はその後も俳優に「うまくなる」のを許さず、一種の「ヘタウマ」状態を維持させることで、リアリズムという制度に批評的距離をとってみせる(これは後述の加納幸和にも共通する態度である)。それゆえいまだに青年団の俳優は、演技することに照れているかのような、ぎこちない演技を見せるのだ。
 さらに、こうした演技は作品内の人間関係の構築のされかたにも一役買う。小田中章浩氏は、平田作品の登場人物たちは連歌や俳諧の付句をしているようにコミュニケーションをとっていると指摘する。つまり、とりたてて親しい仲でもない人間同士が同じ場所に居合わせることで、自分のものでも相手のものでもない感情や感覚を共有し、やりとりしあう、という連歌や俳諧の世界と同様、平田の舞台は間主観性が支配している。それゆえに役者は過度の「自己表現」を慎まなければならない。我を張ることは「場の雰囲気」を乱すことになるからだ。したがって、個人の感情や感覚を的確に言葉で説明することに重点を置くリアリズム演技は、平田の世界にはふさわしくない。演技をすることに躊躇しながら表現せよと教える平田メソッドこそ、共同体の内部におけるコミュニケーションに見合うものなのだ。
2.加納幸和と花組芝居
 P4のメンバーのうちで、行っていることと受け取られかたのギャップがいちばん大きいのは加納幸和かもしれない。ホームページによれば、花組芝居の目的は「高尚になり堅苦しく難解なイメージになってしまった歌舞伎を、昔のように誰にでも気軽に楽しめる最高の娯楽にと、歌舞伎の復権を目指す」ことであり、アングラ全盛期に掲げられた「芸能への回帰」というお題目を加納が信じていることがわかる。そして実際、公演で(主として女性の)ファンが贔屓の役者の登場に歓声をあげ、役者は役者で楽屋落ちのギャグを連発する、といった様子を見ると、高級芸術から大衆芸能への回帰に見事に成功した、とため息まじりに言いたくなる。
 しかし加納が「ネオかぶき」という名のもとに実践していることは、たんに古典歌舞伎の物語を現代の嗜好に合わせて作り替えたり、上演のテンポを早めたりすることではない。歌舞伎の様式をなぞりながら、その様式に対してパロディというかたちで批評的距離をとるというきわめて知的な作業である。たとえば、これは児玉竜一氏が指摘した例であるが、『身毒丸』でカーリーという玉手御前にあたる役が刺されるところで義太夫の語りが「グッと突っこむ氷の切っ先、あっと魂消(たまぎ)る声にびっくり戸をめりめり」と入る。加納演ずるカーリーは、「グッと突っこむ」の「グッ」で既に刺されているにもかかわらず、何の反応も示さない。ところが「あっと魂消る」の「あっと」で、急に「わあっ」と叫んで痛がる。刺されてから痛むまでの時間差を作ることで、義太夫の語りがその人物の順番に回ってくるまでは、痛いものも痛くないことにしてしまう、歌舞伎という制度の奇妙さを加納は示してみせる。
 この意味で、加納が渡辺守章の演出作品に対するシンパシーを表明しているのは興味深い。というのも、渡辺もまた西欧演劇の「型」をなぞりつつ、同時に西欧演劇という制度の奇妙さを異化する意図的な試みを続けているように思われるからである。さらに二人は、異化する対象の制度を熟知しながら、その制度のもとで育てられた俳優の身体や声という自らにとっての表現手段を持たないために、その制度からいわば疎外されている、という点でも共通している。歌舞伎俳優を、あるいはフランス古典劇の訓練を受けたフランス人俳優を、自分の手駒として使えないから、メタレベルに立って歌舞伎なり西欧演劇がアウトサイダーにはいかに奇妙に見えるものなのかを示そうとするのか、それとも自分がなじんでいる歌舞伎や西欧演劇がある時いかに奇妙なものかを認識したからこそ、あえてその制度の外に出て、批評的行為として作品を提出することを決意したのかは、この場合さして重要なことではない。(とはいえ、加納は歌舞伎役者は身体が完全に型にはまってしまい、型から故意にずれた所作をさせることが難しい、ということを指摘し、自らの方法論が制度からの疎外ゆえに生まれてきたのではないことを示唆している)。重要なのは、制度を知れば知るほどそこから疎外されるという逆説(歌舞伎役者で加納ほど歌舞伎について「知っている」ものがどのくらいいるだろうか? だがそれにもかかわらず、彼らは制度の内部にいるのだ)を誰よりもよく認識している加納にとって、歌舞伎とは自らの作品を対象化するための基準として存在するものであって、一体化する対象ではない、ということである。活歴物や新派といったかつての「ネオかぶき」と花組芝居が決定的に異なるのは、前者は自分たちは「歌舞伎」になれる、と考えていたという点なのだ。
3.宮城聡とク・ナウカ
 加納ほどではないにせよ、宮城もまた誤解されている。宮城の演劇的教養の豊かさはよく知られているが、宮城はそうした教養をもとにテキストを読み解き、舞台に重層的な意味の世界を構築する、西洋的な意味での演出家ではない。あるいは、それだけの存在ではない、というべきか。なるほど、戦前の日本統治下の朝鮮を舞台にした『王女メデイア』はテキストの大胆な読み替えとポストコロニアリズムへの目配りという点で世界の第一線に出してもおかしくはないすぐれた舞台だったし、研ぎ澄まされた美意識が生む洗練と形式へのこだわりという点ではP4の中で安田と並んで、西欧現代演劇と同じ土俵で勝負しているように思われる。
 だが西洋の演出家たちがその過剰な職業意識のあまり、時として図式的で、スタイルとして完成されてはいるが空虚さを感じずにはいられないような舞台を生み出すことがあるのに対し、あくまでも個人的な営みとしての演出にこだわる宮城の表現は、「失敗作」も含め、もっと迂遠で他人には容易に理解しがたい要素を含んでいる。たとえば、ク・ナウカの「スタイル」として認識されている、舞台の上で所作を行う俳優と台詞を語る俳優が二人で一役を演じるという方法論も、宮城が日頃痛切に感じている、情念と理性の両極に引き裂かれて生きるしかない自分という主題を外面化したものであり、文楽における人形遣いと義太夫語りの分離が生み出す表現の強度を借用するというその「意味」は後づけのものだ。ク・ナウカの「スタイル」とは、宮城の個人的な動機に還元せざるを得ないような微妙なあやを表現する方法なのだ。
4.安田雅弘と山の手事情社
 P4のメンバーの中で、もっとも実験的で先鋭的な身体表象の試みを行っているのが安田雅弘である。安田の提唱する「四畳半」という型は、俳優が身体を動かす時のいくつかの規則をもとに作られている。「俳優は重心をずらして立つ」「イメージ上のせまい通路を動く」「せりふは舞台上の誰かに語り、その際は語る人も受ける人も止まる」「それ以外の人はスローモーションで動く」。
 これらの規則をもとに安田は作品を解釈していくが、細かな所作は稽古場で劇団員とともに即興的に作り上げられる。即興といっても単なる思いつきではなく、連想をもとに役柄や状況についての一貫した解釈の体系が作り上げられていく(だが所作が決まると、その解釈の体系は忘れ去られる—その意味でこの作業はレヴィ=ストロースが言う「ブリコラージュ」だといえる)。
 自然主義的な演技とは、言葉の意味と身体の所作の慣習的な結びつきを舞台の上で正確に再現しようという試みであるが、「四畳半」の型で台詞を語ることは、この慣習的な結びつきを断ち切ることになる。山の手事情社の俳優は「私は悲しい」と語るときに、悲しいとすぐにわかるような表情や身振りをしない。観客は自然な感情移入を妨げられるだけでなく、舞台の上で起きていることを理解するために、語られる台詞に耳をこらし、身振りや表情に見入り、両者を自分の中で結びつけることを要求される。知覚に異化作用を引き起こし、組み替えを迫るという点で、それはキュビズムの絵画を鑑賞することに似ている。
 安田のテキスト解釈も、宮城と同様独特のものである。『夏の夜の夢』で恋人たちが逃れるアテナイ郊外の森は日本の銭湯へと変貌を遂げる。安田によれば、森が象徴する混沌や葛藤を自らの生活史の中でリアルに感じられるものに置き換えると、銭湯になるのだという。『アントニーとクレオパトラ』『ジュリアス・シーザー』をもとにした花組芝居の『悪女クレオパトラ』では、加納はアントニーによるシーザー追悼演説をラップに仕立て、アントニーがいかにローマ市民の支持を得ていくかを、ラップのリズムとライムが作り出す共感共同体の力を借りて舞台化してみせた。加納も含め、この三人は、江戸文芸以来の見立ての手法を用いて、自らの文化的・社会的文脈に古典劇や近代劇のテキストを引き寄せ、物語を大胆にデフォルメしていく手腕に長けている。
 そしてそのことはまた、西洋の演出家たちの(聖書の教義解釈に端を発する)「解釈競争」—神の言葉であるテキストの権威には盲目的に従い、それをどれだけ奇抜に解釈できるかを競う、ということが二十世紀「演出家の時代」に定着した慣行であった—とは彼らの演出の方法論は一線を画している、ということも意味している。本歌取りや世界決めといった日本の伝統的な手法は、元テキストに依拠しつつもその改変を大胆に試みることを許し、テキストの作者ではなく、引用で結ばれた複数のテキストが織りなす間テキスト性にこそ文化の本質がある、ということを前提としている。三人の演出家の手法は、このような伝統に基づいているのだ。

ポスト近代劇としての『みみず』

 第七回読売演劇大賞最優秀演出家賞などを受賞した『天皇と接吻』(一九九九年)、そして昨年の『最後の一人までが全体である』、さかのぼっては第三五回岸田國士戯曲賞受賞作品の『ブレスレス』(一九九〇年)まで、坂手洋二の作品の中でとりわけ注目を浴びてきたのは、政治・社会問題という「パブリックなもの」を正面切って扱ったものが多い。また、坂手の率いる劇団燐光群は「ララミー・プロジェクト」(二〇〇一年)「CVR チャーリー・ヴィクター・ロミオ」(二〇〇二年)といった海外のドキュドラマの上演も熱心に行ってきた。それゆえ、坂手にはしばしば「社会派」というレッテルが貼られ、坂手もそれを積極的に否定しようとはしていない。
 だが坂手作品の大きな特徴として、(上述のドキュドラマと比較すればよくわかるように)、そこで扱われる「パブリックなもの」は(一)プライヴェイトな領域へと浸透していき、本来政治的人間ではない登場人物との軋轢を生むこと、(二)しばしばそのドラマはエロスの抑圧というサブテーマを包含していること、が挙げられる。もちろん「問題劇」「社会劇」とよばれた近代劇のジャンルも社会と個人の対立を描いたわけだが、これらはどちらかといえば個人が社会の因習や無理解に対して挑戦する、という筋書が多かったし、たとえそうでなくても登場人物たちは強烈な個性を持っていることが多かった。それに対して坂手の戯曲の主人公は無名の市井の人物である。それゆえ必然的に、劇の焦点は社会に対する個人のヒロイックな反抗から、私たちの生活空間に「パブリックなもの」がなし崩しに入り込んでくることそのものの恐怖に移ることになる。
 さらに、その過程ではしばしば性愛の欲望が脅かされ、場合によっては否定し去られる。フリーランスのライターとカメラマンの不倫カップルの恋愛模様をもっぱら描いているように見えながら、その背後に蠢く地下鉄サリン事件や阪神大震災など「パブリックなもの」の圧倒的な存在を陰画のように写しだしてみせた『とかげ』(二〇〇〇年)がそのもっともわかりやすい例だろうし、レズビアンたちの共同体を描いた当時としては画期的な『カムアウト』(一九八八年)はそのもっとも初期の試みであるといえる。
 したがって、時代を見据えるそのジャーナリスティックな感覚を別にすれば、坂手を(たんなる)「社会派」と呼ぶのは間違っているように私には思える。もっと言ってしまえば、「社会派」と見える作品が世間であれほど高く評価される理由が私にはわからない。『天皇と接吻』に典型的に見られるように、「パブリックなもの」との対立を描くことに重点がおかれた作品においては、「プライヴェイトなもの」が(あたかも抑圧されたものは回帰する、というかのように)前後の文脈とはあまり関係がなく書き入れられ、しかも型どおりの陳腐な人間関係に堕しているものが多い。『天皇と接吻』でも、高校生の主人公とその(レイプされて以来学校の授業に出て来なくなったらしい)恋人との関係は、掘り下げられて書かれてはおらず、また物語の展開上どうしても必要だとも思えない。そのように考えると、坂手は「パブリックなもの」を正面切って描くのではなく、プライヴェイトな人間関係が「パブリックなもの」と接触することで微妙に変化していく物語を書いたほうがすぐれた作品を生み出しているのではないかという気がする。
 このような坂手のもう一つの傾向を代表する作品として、文学座アトリエの会で上演された『みみず』(一九九八年)が挙げられる。一九世紀終わり近くになってヨーロッパに登場する近代劇が、十八世紀の啓蒙思想によって整えられる近代的価値観—たとえば理性/言葉への信仰—を批判するものとして、つまり自らの存立基盤を自ら否定するような衝動を内包するものとして、捉えられるのならば、この作品は(遅ればせながら)日本が生み出したもっともすぐれた近代劇の一つだと言えるだろう。イプセンの『野がも』との題名の類似がすぐに想起されるこの作品(イプセン作品における野がもと同様、みみずは主人公の家族たちによって飼育されているという現実であるとともに、象徴的な意味をも担っている)は、明確に言語化され(得)ない衝動や欲望を舞台上に俳優の身体を通して具現するという、近代劇が到達した表現の高みがどのようなものであったかをあらためて確認させてくれるよい機会を与えてくれた。とはいえ『みみず』はたんなる先祖返りや反動ではない。アングラの洗礼をくぐり抜けた近代劇がどのように変貌するのかを示したという意味で「ポスト近代劇」という名がよりふさわしいのかもしれない。
 『みみず』は十一階建てマンションの七階に住む、家族四人の物語である。一人暮らしをしていた二八歳の息子・淳一が、盛岡へ転勤することになり、いったん実家に帰ってくるところから物語がはじまる。家族と離れて住んでいた息子(あるいは娘)が、異なった価値観を身につけて帰ってきて、家族のタブー(大抵は隠されていた過去)を暴き、家族が崩壊していく、という物語はイプセン『幽霊』やショー『ウォレン夫人の職業』といった近代劇がお得意とするところのものだ。淳一もまた、家族を解体しに帰ってくる。だがそのやりかたは近代劇とは異なっている。言葉によって家族の価値観を批判するかわりに、年下のガールフレンドの君子をともなって帰ってきた淳一は、家族たちが留守なのを見るとセックスをはじめてしまうのだ。
 この幕開けの場面がどぎつく感じられるのは、ただ若い男女がセックスの最中に交わすあけすけな会話がそのまま舞台に持ち込まれているからだけではない。一組の家族の誕生には必ず性行為が介在しているにもかかわらず、家庭ではあたかもそれが存在しないかのように振る舞わなければいけない、という近代社会における暗黙の了解がそこで破られているからだ。しかもこの近代的(ブルジョワ)家族に関わる根幹的なタブーは、オールビー『ヴァージニア・ウルフなんか怖くない』においてそうであるように、言葉によって侵犯されるわけではない。セックスという身体を伴う具体的な行為によって、あっけなく破られる。「家庭という場において封じ込められていたエロスを解放する」、近代劇であれば、登場人物の誰かがそのような台詞を言うだろう。だが『みみず』では誰もそのような問いかけを言語化しないまま、行為だけが観客の前に提出される。
 しかし、家族とエロスの関係を語るのに、家族以外の部外者は結局のところ不要である。物語が進む中で、淳一にはもう一人、和美という恋人がいることがわかるが、結婚をちらつかせる二人の恋人たちに対して、淳一は煮え切らない態度をとっている。実際のところ、盛岡への転勤は、同棲している和美との関係に決着をつけるために淳一から会社に言い出したことなのだということもわかる。本当に淳一が関心を持っているのは姉の千恵に対してである。千恵は三〇歳になるが家に引きこもり、何かと世話を焼いてくれる恋人の哲男にも素っ気ない態度しか示さない。姉もまた、弟の存在に惹かれており、中学生の頃のお医者さんごっこを今更のように話し合う姉弟の妖しい関係は、結末近くで近親相姦へと至る。
 しかもそれはきわめて甘美なものとして描かれるのだ。
 
チエ あなたよ。…あなたが後悔するから。
ジュンイチ、静かに首を振り、ゆっくりとチエの中に入る。
チエ、一瞬硬直し、やがて深い吐息を漏らす…。
チエ …動かないで。
ジュンイチ …。
チエ 動かないで…。そのまま…。
二人、しばらくそのままじっとしている。
チエ じっとしていましょう、このまま…。なにも考えないで…。地面に引っ張り出されたミミズが二匹取り残されている…、それだけ。
ジュンイチ …。
チエ …ああ。(官能が走る)
ジュンイチ このまま死ぬのかもしれない…
チエ …。
ジュンイチ 日が昇って、干からびて…
チエ わかってたわ、いつかこうなるって…。
二人、接吻する。
(『みみず』文学座アトリエ上演台本(未刊行)一八五〜一八六頁)
 今更レヴィ=ストロースを持ち出すまでもなく、近親姦タブーが存在するのは、生物学的な要請ではなく、結婚を通じて部族間の交換・贈与を行うことで、社会を成立させるためだ。ということはぎゃくに、近親姦は社会というものを成り立たせることを拒否する行為であると言える。近親姦を題材とする作品において、これほどまでにその甘美さを強調したのはめずらしく、反社会的性格が際立っている。
 たしかに、この家族はみな、社会と協調して生きることを拒否している。父親はゴルフのコンペの景品のズボンプレッサーを、道を譲ろうともせず歩道の真ん中に立っていた若い男にわざとぶつけ、警察沙汰になる。母は、マンションの住人たちの反対にもかかわらず、みみずの養殖をこっそり行っている。とはいえ、そこに一分の理がないわけではない。元々ベトナム反戦運動を通じて知り合ったという設定のこの夫婦は、社会の理不尽な要求に対して個人はきちんとノーと言うべきであると考えており、その意味では社会の存在そのものを拒否しているわけではない。
 しかし姉弟たちはどうだろうか。姉は過去に誘拐・監禁されてレイプされるという過去を持つ。すでに千恵はその体験を客観的に恋人の哲男に語ることはできるが、それを克服したとは言い難い。哲男との結婚に踏み切れないのも、一つはそのせいだ。そして弟も、姉と同様強い衝撃を受けて立ち直れていない。淳一はレイプの際破られた姉の赤いワンピースを自分で繕い、アパートの押入れに隠し持っている。ある意味で、社会によって手ひどく傷つけられた姉弟は、現実の生活を生きながらもずっと「あの時」に感じた恐怖を二人で否定する機会を窺っている。それが二人をして近親相姦に至らしめる理由である。
 社会という「パブリックなもの」を成り立たせることを拒否し、血縁関係を唯一の支えとして生きること。そういう姉弟は自分たちを日の光を避けて交尾するみみずにたとえる。だが同時に二人の行為は「家庭では性行為というものは存在しないかのように振る舞わなければいけない」というタブーを犯すことによって、近代的な家族の枠組みを壊すことでもある。社会を拒絶し、家族をも解体するというのはどういうことか? しかし近代的な(ブルジョワ)家族とは、親族関係に由来しながらも、法によって規定された社会制度であることに注意してほしい。ジュディス・バトラーは『アンティゴネーの主張』(Antigone’s Claim)でヘーゲル以来の国家/親族関係という二項対立を脱構築し、『アンティゴネー』において対立しているように見えるクレオーンとアンティゴネーの言説が、実は互いの言説に汚染されていることを示した。だが近代劇ではこれは当たり前のことである。社会に反抗する個人は、まず社会の言説を複製する家族の言説によって抑圧される。こと近代劇においては、家族は個人の味方ではなく、社会の手先なのだ。ノーラに対するトルヴァルしかり、ヴィヴィーに対するウォレン夫人しかり。したがって姉弟の行為は法制度に守られた近代的な家族をも否定するという点で徹底的に反社会的であり、また近代への内側からの批判という意味で近代劇的である。
 だが社会は規範的な親族関係からの逸脱を許さない。イプセン『幽霊』におけるオスヴァルの発狂は、家族のタブーは触れずにおかれるべき正当な理由があること、そして父親の放蕩という忌まわしい過去を暴いた者にはしかるべき罰が与えられること、を示すものだった。『みみず』においても罰は下される。姉弟の近親相姦の場面に続く幕切れは、盛岡にいる淳一からの電話を母・文江が受けている間に、玄関の鋼鉄の扉を叩く音が激しく鳴り続けて暗転、というものだが、これはもちろん千恵の飛び降り自殺を示唆している。
 だが言うまでもなく、この幕切れは、坂手が近代的家族観を擁護し、そこから逸脱するものへ批判の目を向けているということではない。坂手がたんなる「社会派」劇作家ではない理由はここにある。社会に対する安手の反抗を感傷的に描くのではなく、社会の圧倒的な力(しかもそれは言説化できない何かとして立ち現れる)によって滅ぼされる個人という現実をそのまま描くこと。坂手洋二の真価はこのイプセンばりの手腕にある。