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蘇るアメリカン・モダニズムの系譜

劇作家ポール・グリーンの長らく絶版になっていた代表作The Lost Colony (1937)が今年ようやく再版されるようだ。しかし編者はアンソロジーA Paul Green Reader (1998)と同様ローレンス・エイヴリーで、前作と同じくグリーンがかつて教鞭をとっていたノースカロライナ大学の出版局から出版されると聞くと、どうやらご当地出身有名人の記念出版のようで、かつてはオニールと並び称されたこともある、一八九四年生まれのグリーン再評価の気運が生まれつつあるわけではなさそうである。そもそもグリーンは日本でもアメリカでもずっとマイナー扱いをされてきた作家だ。だが不思議なことに完全に忘れ去られた存在になることはなかった。前期の人種・階級問題を扱った一幕物であれ、後期のスペクタクル性の高い野外歴史劇(あらゆる要素が融合するという点で「シンフォニック・ドラマ」と本人は呼んだ)であれ、たまに夢中になる人間が現れて旗を振る。しかし人気再燃というわけにはいかない。いつの間にか熱は冷めてしまう。その繰り返しである。七、八年ほど前にも『演劇研究』(早稲田大学演劇博物館紀要)一七号〜二〇号で佐和田敬司氏が日本滞在時のグリーンの日記を翻訳して紹介し、あわせてグリーンが日本で忘れ去られていることに悲憤慷慨していたが、その後グリーンについての論文が書かれたということは寡聞にして聞かない。すると私がここで何度目かの紹介をするのも同じ轍を踏むことになりそうだ。それでは余りにも芸がないので、どうすればグリーンが内輪受け以上のものになるのかについても考えてみたい。

といっても結論はすでに出ている。唐突なように聞こえるかも知れないが、モデルニテやモデルネのように、アメリカン・モダニズムを一つの時代風潮として捉える視点が出てくればよいのだ。ロスト・ジェネレーションや社会参加の文学やハーレム・ルネサンスといった個々の集団や運動につけられた名称ではなく、現在の合衆国の社会・経済体制を作った二〇〜三〇年代の文化を一望の下におさめることのできる視点。グリーンはそのような文脈でこそ真価を論ずることができる作家であり、二十世紀初頭にパーシー・マッケイが唱えたCivic Theatreの理念を継承する演劇人というこれまでの捉えかたではグリーンの作品が抱える様々な問題が抜け落ちてしまう。

話を『ロスト・コロニー』に戻そう。たいていの日本人はこの題名にピンとこないだろうが、合衆国で初等教育を受けた人間であればウォルター・ローリー卿が送り込んだ最初の植民団がノースカロライナ州ロアノーク島で忽然と姿を消し、それ以来Lost Colonyと呼ばれるようになったという話は誰でも知っている。合衆国史上類を見ない大規模な国家による演劇助成計画であったフェデラル・シアター・プロジェクト(FTP)—昨年日本でも公開された映画「クレイドル・ウィル・ロック」ではその栄光と崩壊の歴史が語られて感動的だった—華やかなりし頃の一九三七年、グリーンはこの「失われた植民地」を題材にした野外劇を制作することを地元新聞の編集長に依頼された。そこでグリーンは初期植民者たちがイギリス本国では得られなかった自由と平等をすでに享受していたという大胆な仮説—アーサー・ミラーが『クルーシブル』で開陳する初期植民地についてのシニカルな見方となんと対照的なことか!—をもとに、音楽、ダンス、歌、照明効果を用いた一大スペクタクルを書いたのだった。二幕劇の大詰めで植民者たちはインディアン・クロアトアン族の襲撃にあい、またイギリスがスペインと交戦状態になって交易が途絶えることで貯蔵していた食料が尽きかける。しかし彼らは敵でカトリックの宗主国スペインの庇護を求めることより自由を選び、自力で食料の補給が可能な南へと移動を開始する。こうしてグリーンは歴史上名高い謎の集団失踪事件の背景に、悲劇にふさわしい気高い植民者たちの意識的な選択があったということにして、アメリカ民主主義万歳を唱えるのだ。当時盛んに喧伝されていた建国神話の言説を強化することになったこの作品が受けないわけはない。一六三三年からはじまり、その頃すでに多くの観光客を集めていた南ドイツのオーバーアマガウの受難劇の向こうを張ろうという『ロスト・コロニー』上演計画は、当初の資金難という問題をFTPの援助によって乗り越えて成功を収め、第二次世界大戦中の三年間の中断をのぞき、現在まで毎夏ロアノーク島で地元住民の参加のもと上演されるようになったのである。

オーバーアマガウ受難劇がユダヤ人への差別を助長しかねない内容を含んでいると批判されたのと同様、現在のPCの立場から『ロスト・コロニー』を読んでいくとキリスト教の普遍性の強調やインディアンの差別的描写など、幾つかの問題点が指摘されよう。だがブロードウェイの商業主義を批判し、『ロスト・コロニー』に続く一連のシンフォニック・ドラマによって村おこし、町おこしという観点からのコミュニティ・シアターの理念を早々に実現した点、あるいは南部にあって黒人差別や囚人の人権侵害の現状を鋭く告発したグリーンの先見性はもう少し高く評価されてよいはずだ。

しかしまた同時にドス・パソスのU.S.A.(1938)を読むときと同様の退屈さをこの『ロスト・コロニー』に感じることも事実である。曰く、壮大にして空虚。あるいは思いつきだけの形式上の実験に頼ることのつまらなさ、という点ではソートン・ワイルダーを思い浮かべてもらってもよいかもしれない。しかしそれを彼らの才能のなさに帰するのは間違っている。むしろアメリカン・モダニズムとはそういう退屈さ・空虚さを前提にした運動だったのではないか。二十世紀に入ると、テクノロジーの発展によって知覚が拡大し、これまでになかったある種の(恐怖の対象としての)「リアルなもの」が感得されるようになる。芸術家たちはその「リアルなもの」に接触することで生じた集団的トラウマのようなものから回復するために創作活動を行うようになる、というのが今とりあえず提出できる仮説で、そしてそれは第一次世界大戦の影響について言われてきたことを拡大解釈したにすぎない。だがこれが案外当たっていそうに見えるのは、人は空虚な形式に依存することによってのみある種の恐怖から逃れることができるのは真理だからである。もちろん恐怖から逃れようとしている者にとってそれは「空虚」などではなく、意味で充満した枠組みに見える。だからこそ『ロスト・コロニー』では建国神話が語られ、理想郷としての「始原」が設定される。民衆参加というお題目(もちろんこれ自体がロマン・ロランの「民衆演劇」の理念を経由した古代ギリシアの市民劇という始原回帰の物語である)や演劇の公共性が称揚される。しかしそれらは決して「リアルなもの」の代替品にはならないのだ。そのメカニズムを説き明かすことがアメリカン・モダニズムを、ポール・グリーンを理解する早道である。

『ユリイカ』第33巻9号(2001年8月1日)

演劇博士バルトロメウスの日本探訪

バルトロメウスI …つまりイリュージョン化とは非イリュージョン化のことであり、告白とはかくしだてをすることであり、信用とは乱用であり…背信行為である。
バルトロメウスII これはなかなか深遠だぞ!
バルトロメウスIII (バルトロメウスIIに)いや、むしろその逆ですよ。
イヨネスコ作、大久保輝臣訳『アルマ即興—羊飼いのカメレオン—』
全著作の十字路に、おそらく<演劇>がある。『彼自身によるロラン・バルト』
0.
 おそらく演劇批評の困難さとは、批評家としての敗北のしるしをいかに掲げておくかということにある。すぐれた上演に出会ったときの、言葉にならない衝撃、圧倒されたという思いを、いかに書くものに刻みつけるか。批評とは文章で相手をねじ伏せる技術であるが、同時に分析しきれない残余が言語の地平の彼方にあることをほのめかす技術でもある。もちろんそれはあらゆる分野の評論で言えることなのだが、とりわけ演劇の観客が劇評家の敗北のしるしを確認したがる傾向があるのは、演劇の与える衝撃が共同体験的なものだからだろう。舞台から受ける、深く生々しい「傷」は、その場でみながいっせいにつけられるものだ。自分だけは傷一つ負っていないような顔をして、明晰な言葉で作品を語る劇評家は「仲間」として信用がおけない。
 演劇評論家に太鼓持ちが多いのもそのせいだ。「ただ素晴らしかったとしか言えません」と自分の無能さを示す演劇評論家を必要としているのは興行主だけではない。作品を見て感動した観客は、作品の成り立ちや俳優の芸についての解説ではなく、自分がなぜあれほど夢中にさせられたかについての説明を求めている。この二つは内容として重なることが多いが、「【ルビ開始(メタ・ランガージュ)】超言語【ルビ終了】」において異なる。「自分はこんなことを知っていたり見抜いたりできるんだ、すごいんだぞ」と「この作品(俳優)は実はこんなすごいことをやっているんですよ」。鋭利な分析で知られる劇評家よりも、ファンの発言と何一つ変わらないたわごとをまき散らす劇評家のほうが受けたりするのも、観客/読者が分析の内容よりもメタ・ランガージュを重視するからだろう。作品をあらゆる角度から切り刻む、【ルビ開始(ポストモーテム)】死体解剖【ルビ終了】の嗜虐的な満足感ではなくて、「とてつもないものを見てしまった」という驚きをそっくりそのまま肯定してくれることを演劇の観客は求めている。
 批評における「作者の死」。分析する主体—対象を分析することでしか自らを確定できない主体—が、最後のところでおのれの存在証明を放棄して対象との合一を求めること。それこそがバルトの著作の究極的な魅力ではなかったか? だとすれば、私たちはバルトに理想の演劇評論家を見てもよいはずである。だが実際にバルトの演劇論に私たちが見出すものはそれとはほど遠い。『アルマ即興』(一九五八)において、ベルナール・ドルトとともにバルトを「似非学者」バルトロメウスとして登場させたウージェーヌ・イヨネスコは、さらにクロード・ボヌフォアとの対話で「バルトロメウス㈵と㈼はドグマティックな批評家である。彼らにとって演劇は存在しないし、関心をひくものでもない。演劇はそれが一つの宣伝の道具となるかぎりにおいてのみ、彼らの関心をひくだけだ」とこき下ろす。もちろん、のちに『テル・ケル』誌に発表された、フィリップ・ソレルスのアンケートに対する回答である「文学と記号作用」(一九六六)の中で、バルトはこの『禿の女歌手』(一九五〇)や『義務の犠牲者』(一九五三)の作者について、「イヨネスコがやって見せた愚弄が相手取っているのは、常套句であり、知識ないし政治の番人としての言語であり、要するにエクリチュールなのであって、言語を相手取ったものではありません」と正しく反撃を加えることになるが、だからといってイヨネスコの批判が当たっていないわけではない。
1.
 話をわかりやすくするために時系列に沿った語りをあらためて導入することにしよう。ロラン・バルトの演劇的関心は、時代順に四つに分類される。ギリシア演劇、ブレヒト、ラシーヌ、文楽。ギリシア演劇への関心は、一九三五年、古典文学専攻の大学一年生のとき、ソルボンヌ古代演劇グループを結成しアイスキュロスの『ペルシア人たち』を上演して以来のこと—もっとも古代ギリシアへの言及に満ちた短い戯曲「アリオンの旅」は高等中学卒業後、肺結核の療養中に書かれている—であるが、一九六五年、プレイアード百科事典の「ギリシア演劇」の項を執筆するまで、この分野について目立った著作はない。(『第三の意味』に再録されているこのギリシア演劇についての記述は、バルトにしては体系立っているものの、客観的事実の羅列を目指す百科事典の体裁からはほど遠く、興味深いものであるが、紙面の都合上ここでは触れずにおく。)
 その名を一躍高からしめた『零度のエクリチュール』が出版される一九五三年、バルトはドルトに誘われて刊行されたばかりの『テアトル・ポピュレール』誌の編集に携わるようになる。その二年前の一九五一年、国立民衆劇場(TNP)の芸術監督にジャン・ヴィラールが就任し、高い芸術水準の舞台を安い料金で提供する民衆演劇の理念を現実のものにしつつあったが、『テアトル・ポピュレール』誌はそれを理論面から援護する役割を担っていた。しかしバルトやドルトがもっとも熱心に行ったのは、ブルジョア演劇に対立するものとして、ブレヒトの演劇とその理論を紹介することであった。一九五四年、ベルリナー・アンサンブルの渡仏公演がきっかけとなって生まれた「ブレヒト革命」は、二人を「ドグマティックな批評家」へと変貌せしめる。バルトは一九六〇年までに「ブレヒト革命」をはじめとするブレヒト関連の記事や論文を『テアトル・ポピュレール』誌を中心として盛んに発表する。
 バルトが当時ブレヒトのどんなところに魅力を感じたのか、これまで多くの評者が論じてきたが(注一)、十年あまり後に書かれた「文学と記号作用」にある、「第一に彼は演劇行為が【ルビ開始(エモーティフ)】情緒的【ルビ終了】なものとしてではなく【ルビ開始(コニティフ)】認識可能な【ルビ終了】ものとして扱い得るものであることを理解しました」「かれの演劇においてこの能記の体系の役割は、一つの積極的なメッセージを伝達することではなく(所記の演劇ではなく)、世界が一つの解読さるべき対象であることを理解させることなのです(能記の演劇である)」といった記述をおさえておけばひとまず十分だろう。バルトは既存の演劇に飽き飽きしていたし、ベケット、イヨネスコ、アダモフらのアンチテアトルとよばれた当時の前衛演劇がさほど新しいものとは思えなかった。「周知のようにブルジョア演劇では、俳優は、その人物に《食い入られ》て、情熱の火災で全く燃え上がっているように見えなければならない。何が何でも《煮え立》たねばならない」「様式は観客を純粋の形式主義の屈従の中に閉じ込め、《様式》の革命がそれ自体形式的でしかないようにしてしまう。前衛的な演出家とは、あえて一様式を他の様式で置き代える者のこととなろう」(「若い演劇の二つの神話」(一九五五))。ブレヒトの演劇(とくにその異化効果と社会的【ルビ開始(ゲストゥス)】身振り【ルビ終了】の理論)は、情念や様式を押し売りすることがない「第三の演劇」として彼の目の前にやってきたのだ。
 二項対立を解消するために第三項を導入する、というやりかたは、十五歳年下の友人ジャック・デリダに後年影響を受けながらも、その脱構築の方法論を本当の意味で学ぶことのなかったバルトの得意技だった。だがその手癖は時として思いも寄らぬ「痕跡」を彼のエクリチュールに残す。同じく「文学と記号作用」にある「彼の演劇は心情的でもなければ頭脳的でもありません、それは【傍点開始】根拠のある【傍点終了】演劇なのです」(傍点はバルト)という記述はその一つの例だ。根拠のある演劇? ルイ=ジャン・カルヴェはその大部の『ロラン・バルト伝』において、ヒステリー嫌いのバルトがブレヒトに見たのは「反ヒステリー」の演劇だと記す。ヒステリー患者に見出されるのは、表象と表象を備給する情動の「偽の結合関係」であるとフロイトが説いたことを思い出せば、バルトが考えていた「ブルジョア演劇」のヒステリー、根拠のなさとは何であったか想像がつくというものだ。表象と表象を備給する情動との対応関係の無根拠性は、記号表現と記号内容との対応関係の恣意性と同様、普段は隠蔽されている。近代劇の唱える自然主義とは、心理というブラックボックスの中で、いかに自然を装ってこの二つを結びつけるか、ということに過ぎない。
 だがブレヒトの演劇に「根拠がある」とするのは勇み足だろう。ブレヒトはせいぜい心理主義(「アリストテレス的演劇」!)の無効性を指摘したに過ぎない。のちにバルトは『表徴の帝国』(一九七〇)における文楽の分析を通じて、自分がブレヒトに魅せられていた本当の理由を確認することになるが、この時点でのバルトにとって、ブレヒトは意味を「受け取る」のではなく「読み込む」のに都合がいい素材としてまずあったことは否めない。それゆえ「ブレヒトの衝撃」を繰り返し語るわりに、その—『神話作用』における篠沢秀夫の訳者解説が一部評者の言として引用した言葉を借りれば—「冷やかで巧みな筆」はバルトが受けたはずの「傷」を覆い隠してしまう。
 しかしその著述を注意深く読めば、伝記作者カルヴェが見て見ぬふりをした、抑圧されたヒステリーの徴候をバルトに見出すことは可能だろう。イヨネスコではないが、「つまり反ヒステリーとはヒステリーのことである」のだ。『テアトル・ポピュレール』誌に発表した「盲目の肝っ玉おっかあ」(一九五五)で、バルトは「ブレヒトは結局、ロマン主義、誇張、【ルビ開始(ヴィリスム)】真実主義【ルビ終了】、上っ面の激しさ、芝居がかり、美学主義、オペラ」といった「【傍点開始】埋没【傍点終了】あるいは同化のあらゆる様式を斥ける」と書きながら、それでも同化は起きてしまうことを認めている。
こうしてこの劇作は、われわれ観客のうちに、決定的な二元化を惹き起す。われわれは同時に「肝っ玉おっかあ」であり、彼女について説明する人たちである。われわれは「肝っ玉おっかあ」の盲目性を分かちもちながら、この同じ盲目性を【傍点開始】見ている【傍点終了】。われわれは戦争の宿命のなかに塗りこめられた受身の俳優であり、そしてまた自由な観客として、この宿命の真実をあばくことになる。
バルトにとって、ブレヒトの演劇はたしかに「心情的でもなければ頭脳的でも」ない。その両方を兼ね備えたものなのだ。しかし異化の理論について、そしてまた自らの読みの作業について、雄弁に語る一方で、同化について、「盲目性」について、すなわちヒステリーについて、口をつぐむことが、バルトの演劇論におけるアキレス腱になった。そしてこの「抑圧」は、『表徴の帝国』において文楽が与える「昂揚」をバルトが口にするまで、解けることがない。
2.
 上演に接してもそうだったのだから、戯曲の分析、ましてや嫌いなラシーヌについて論じるのにあたって、バルトロメウス博士が熱を込められないのはもちろんである。フランス図書クラブが刊行する古典劇集のうち、ラシーヌ作品集の序文を依頼されたバルトは、「ラシーヌ的人間」(一九六〇)を書き、TNPで上演された『フェードル』の劇評である「ラシーヌの台詞」(一九五八)と『アナル』誌に発表した「歴史か文学か」(一九六〇)を併せて一九六三年に『ラシーヌ論』として出版する。これに対して、一九六五年にソルボンヌのラシーヌ学者レーモン・ピカールが『<【ルビ開始(ヌーヴェル・クリティック)】新しい批評【ルビ終了】>か新手の詐欺か?』という小冊子を出して、バルトが俎上に載せた「講壇批評」—歴史的実証主義と印象批評の折衷—の立場から、バルトの「構造論的でもあり分析的でもある一種のラシーヌ人類学」を攻撃する。ここから一連の論争がはじまり、構造主義的批評がフランスに根づくきっかけを作る。
 こうした事情を考えると、渡辺守章が指摘するように「バルトの<ラシーヌ読み>がある人々には、甚だ【傍点開始】危険な、挑発的かつ偶像破壊的【傍点終了】なもの」であり、この書物の持つ「【傍点開始】戦略的な【傍点終了】重要さ」(渡辺守章訳「ラシーヌ論」解説、『現代思想』一九八〇年六月)を否定することはできないものの、肝心のラシーヌ論としての出来はどうかといえば、作品に存在しないものを読み込む手腕の強引さのほうが目立つ。『テル・ケル』誌に掲載されたジャン・チボドーによるインタヴューで、バルトは「恋愛疎外についての個人的問題をそこにむりやり注入せずには、ラシーヌに興味をもつことができませんでした」(杉本紀子訳「虚構としてのわが半生」『海』一九八〇年六月特別号)と語るが、「ラシーヌ的人間」の面白さとは、バルトがラシーヌから受けた衝撃ではなく、自らの恋愛において体験していたであろう自己疎外の感覚をラシーヌのテキストに転写するところにあると言えるのではないか。
 それでも演劇についてのバルトの思考の深まりという観点からは、「ラシーヌ的人間」に表われた二つの方向性を見てとることができるだろう。一つはあらゆる種類の舞台表象を独立したエクリチュールだととらえ、物質性と意味作用という両義性を持つことを強調すること。「顔赤らめること、色を失うこと、あるいはこの二つが突然にいれかわる様子、吐息、そしてそのエロティックな力がよく知られている涙。そこで常に問題になるのは、表現であるとともに行為であり、逃避であるとともに脅迫であるような、両義的な現実である」。「演劇のための小【ルビ開始(オルガーノン)】思考原理【ルビ終了】」(一九四八年)においてブレヒトが書きつけた「俳優がロートンであると同時にガリレイでもあるという二重の姿で舞台に立っているということ、示す人としてのロートンが示される人としてのガリレイの中に消え去ってはならないということ」という記述の明らかな反映であるこの一節は、すでに「舞台衣装の病」(一九五五)において、「良い舞台衣装とは、表示をなしうるだけ物質的でなければならず、その表示するものを寄生的なものにしてしまわないだけ透明でなければならない。衣装は一種のエクリチュールであり、このもののもつ両義性をもっている」というかたちで変奏されていたが、身体表現における二重性がここではじめて確認されることになる。
 もう一つは時間芸術としての演劇の連続性を否定し、【ルビ開始(タブロー・ヴィヴァン)】活人画【ルビ終了】の断続的な連なりとして演劇を(再)構想することだ。そもそも、ルネサンスに発達したイタリア式額縁舞台は演劇を絵画として見るという発想を胚胎していたわけであるが、心理の一貫性という近代劇の桎梏からラシーヌを解き放つために、バルトはあらためて「ラシーヌ的【ルビ開始(テレブローゾ)】明暗法【ルビ終了】とは…絵であると同時に演劇であり、言わば活人画であって、つまり、無限に繰り返えされる読解に差し出された、凝固した運動にほかならない」と書く。後年、演劇の現場から離れて久しくなると、このことはいっそう強調される。「ディドロの全美学は、周知のように、演劇の舞台と絵画のタブローとを同一視することを土台としている…ブレヒトの叙事詩的舞台、エイゼンシュタインのショットはタブローである」(「ディドロ、ブレヒト、エイゼンシュタイン」(一九七三))。「ブレヒトは【ルビ開始(コンカテナシオン)】連鎖【ルビ終了】、すなわち連続した言説を疑問視する。言説のあらゆる疑似論理—連結、遷移、趣ある語り口、つまり語りの連続性—は、一種の力を放出し、確からしさの錯覚を生み出す。連鎖した言説は不滅であり、勝ち誇っている。従って最初の攻撃はそれを不連続なものにする—連続性を断ち切ることである。文字通り、誤りを含んだテキストをばらばらにすることが議論を巻き起こすのだ」(「ブレヒトとディスクール」(一九七五))。
3.
 しかしこのような演劇観は現実の舞台との齟齬しか生み出さない。国立高等研究院の第六部門、経済・社会科学の研究主任に任命された一九六〇年以降、演劇についての著述は目に見えて減っていたが、一九六五年、プレイアード百科事典のギリシア演劇の項を執筆したあと、バルトは「私はこれまでずっと演劇が好きだったが、もうおそらく劇場には行かないだろう」(「演劇についての告白」)と書き、演劇評論家としてのキャリアを終らせる。マイケル・モリアーティはバルトの政治的立場の変化をそこに見てとるし(注二)、ティモシー・シャイエは、記号論では読み解けない【ルビ開始(ジュイサンス)】快楽【ルビ終了】の源としての身体への関心が次第に高まってきた結果だと考える(注三)が、要するにバルトにとってもはや「演劇は存在しないし、関心をひくものでもな」くなってしまったのだ。
 ところがバルトは日本の人形浄瑠璃に自分の理想の演劇を見出すことになる。一九六六年から六七年にかけて三度来日したバルトは、一九七〇年に『表徴の帝国』を出版し、その中の三章をさいて文楽と西洋演劇の相違について語る。西洋演劇は「秘められていると世間から見なされているもの(《感情》、《状況》、《確執》)を明示してみせる」一方で、そのような明示の仕掛けそのもの(舞台機構、背景、メイキャップ、光源)を観客から隠す。ルネサンス以来のそうした「嘘」の空間は「神学的」である(「内部と外部」)。それに対して、文楽は操り人形、人形遣い、浄瑠璃語りと三味線弾きという「舞台の三個所から、同時に読みとってもらうようにと別々に表出された」三つのエクリチュールそのものが明示される(「三つの表現体」)。西洋において演劇は「その根源が一つであって分類できない数々の表現(演じられる、歌唱される、身ぶりでおこなう))の同時的な総合である」「動作と声の統一が、表現する【傍点開始】人間【傍点終了】を生み出す」と考えられているが、実際には私たちの幻想の滋養分となるのは、文楽のように「ここでは声が、あそこでは目が、もう一つ向こうでは身のこなしが、それぞれ肉体の一つ一つであるかのように、しかもそれぞれが【ルビ開始(フェティッシュ)】呪物【ルビ終了】の一つ一つであるかのように、別々の【ルビ開始(エロス)】行動原理【ルビ終了】の性格を与えられて存在すること」(「魂あるものと魂なきもの」)なのだ。
 文楽について語るなかで、バルトはこれまで紡いできた演劇についての自らの原理的思考をほぼ全て投入したといってよい。エクリチュールの両義性、各舞台表象の分離と統合、「書きうる」テキストと「読みうる」テキスト、同化と異化。とりわけ最後の問題で、バルトが文楽の「昂揚」(exaltation)について語ったことは目を引く。
声から遠く離れて、しかもほとんど身ぶりなしに、一方は人形に移された【ルビ開始(エクリチュール)】表現体【ルビ終了】、他方は動作による【ルビ開始(エクリチュール)】表現体【ルビ終了】、という二つの沈黙の【ルビ開始(エクリチュール)】表現体【ルビ終了】が、特別の昂揚をうみだす。それは、ある種の薬物によって生じるといわれる知覚の超感受性とたぶん同じである(「三つの表現体」)。
バルトロメウス博士はついに「同化」を公然と語ることにしたのだろうか? だがこの昂揚はヒステリーとは異なる。ヒステリーとは、表象と表象を備給する情動との結合が自然なもののように見せかけることであり、表象に過ぎないものを存在の根源であるかのように装うことである。文楽においては、浄瑠璃語りという役割と語りの内容、声と動作、人形遣いの動きと人形の所作、という三つのレベルにおいて、情動と表象は分離されている。これらを統合し、意味を読み込む作業は観客に委ねられている。「薬物によって生じるといわれる知覚の超感受性」とは、覚醒感を伴った興奮状態のことだろうが、一種の催眠術を観客にかけて「ここに起きていることは本当のことだ」と信じ込ませようとする西洋の演劇と異なり、「ここで起きていることはたんなるお芝居ですよ」と常に語りかける人形浄瑠璃においては、たしかに「ノリつつ醒め、醒めつつノル」(浅田彰)ことが可能になる。
 とはいえ、バルトは「もちろん、これらのことはすべて、ブレヒトの強調した効果にみごとに一致する」(「三つの表現体」)とつけ加えることを忘れない。さらに前述したように、バルトはこの後「ディドロ、ブレヒト、エイゼンシュタイン」「ブレヒトとディスクール」において、文楽には認められなかった、タブローとしての演劇、分断された場面の意味について考察し、ブレヒトとの関連において自らの反ヒステリーの美学を完成させたように思われる(「ディドロ、ブレヒト、エイゼンシュタイン」においては、ルプレザンタシオンと幾何学—空間の「切り取り」—の関係についての考察もなされており、興味深いのだが、これも紙面の都合上省略する)。その意味では、文楽との出会いはバルトの演劇論に決定的な深みをもたらしたが、通過点でしかなかったことも確かである。
 だが問題は、人形浄瑠璃をはじめとする日本の伝統芸術において反復される、「作りごとだと知るゆえにいっそう耽溺する」という美学をバルトがどこまで理解していたのか、ということだろう。バルトがブレヒトに見ていた批評性は、遊戯性と裏腹の関係にある。「距離」があるからこそ、冷静に眺めて批判もできるのだし、傍から見ているとふざけているのではないかと思われるほど過剰な思い入れもできる。人形浄瑠璃の代表的作者、近松門左衛門の世話物の影響で実際に心中事件が増え、徳川吉宗が心中事件の出版・上演を禁止した一件などを知っていたら、「ノリつつ醒め、醒めつつノル」ことの快楽が現実原則を無視するまでに到ることがあるとわかっていたら、バルトはブレヒトへと戻るのではなく、文楽についてもっと語っていたかもしれない。
 カルヴェの『バルト伝』によれば、一九七九年、自動車事故による不慮の死の一年前、バルトはジャン=ルー・リヴィエールが演劇に関するバルトのあらゆる著述を集め、序文をつけ、出版することを許可していた。しかしリヴィエールによって集められたものをいざ読み直してみると、かつての自分の古くさい文体にいささか閉口し、「たぶん二、三篇つけ加える必要があるだろうが、当面それを書いている閑がない」と言ったという。バルトの死によってこの計画は途絶し、リヴィエールによる『演劇論集』が出版されるのは二〇〇一年—しかも『ラシーヌ論』「演劇についての告白」をはじめかなりのものが落とされた—まで待たなければならなかった。生前、『ミシュレ』と並んで自分の気に入りの著作に『表徴の帝国』を挙げていたバルトの、ついに書かれなかった演劇についての著述とは、文楽についての再考ではなかったか、と想像してみるのは楽しい。「全著作の十字路に、おそらく<演劇>がある」にもかかわらず、バルトが演劇について散発的にしか語らなかったのは、同化=ヒステリーに魅せられる自分を認めたくなかったからではなかったか。演劇という、かくも馬鹿馬鹿しく単純な表象の仕掛けに理屈抜きで夢中になれる時期を過ぎると、人は自分が劇場通いをする口実を考え出さなければならなくなる。たいていの人間にとって、社交や息抜きが格好の言い訳になるが、バルトが必要としたのはもっと「科学的な」理由づけだった。だがそこで見出されたブレヒトという隠れ蓑は、バルトの演劇に対するそもそもの関心を抑圧してしまうことになる。舞台を複数の「読みうる」テキスト群に変換することと、熱狂し圧倒されたあと、敗北のしるしをみなに見えるように掲げて「ただ素晴らしかったとしか言えません」と言うこととは、滅多に両立しない。だが文楽はその可能性を提供するし、バルトはそのことに気づいていた。バルトがもう少し長生きしていれば、文楽をたんなる(自己を照らす鏡としての)他者の表象ではなく、自らの裡にある原理をそのまま体現するものとして捉える機会が訪れたかもしれない。そのときこそ、演劇における「テキストの快楽」が公然と語られたに違いない。
 

管見によれば、ロラン・バルトの演劇論の全体像を論じた日本語文献は見当たらないが、各論については以下のようなものがある(ただし文楽についてはやはりまとまった記述はないようだ)。ギリシア演劇:篠田浩一郎「演ずるひとと覗くひと—ロラン・バルト覚書」(『海』第十二巻第六号<一九八〇年六月>)。ラシーヌ:渡辺守章訳『ラシーヌ論』(抄訳)の訳者による解説(『現代思想』第八巻第七号<一九八〇年六月>)。ブレヒト:秋山和夫「ロラン=バルトのブレヒト論」(『テアトロ』第三四四号<一九七一年一一月>)、佐藤康「『テアトル・ポピュレール』とロラン・バルト」(『フランス文学』第四号<一九八四年>)。引用したバルトの演劇についての論考は、翻訳のあるものはそれを参照し(ここではいちいち挙げない)、適宜改訳を施した。翻訳のないもの(「ブレヒトとディスクール」「演劇についての告白」)については原語と英訳を参照して筆者が訳出した。
(一)たとえばジョナサン・カラーは『ロラン・バルト』(富山太佳夫訳、青弓社)において、バルトがブレヒトのうちに発見した「三つの大きな教訓」について述べていて便利なのだが、バルトのブレヒト理解が時代とともに深まっていくことを無視した、超時代的な要約になってしまっているという欠点がある。
(二)Michael Moriarty, Roland Barthes (Stanford Univ Press, 1992). この見解は『演劇論集』(二〇〇一)刊行以前に単独で発表されていた、ジャン=ルー・リヴィエールの序文における見解と一致する。
(三)Scheie, Timothy. 2000. Performing Degree Zero: Barthes, Body, Theatre. Theatre Journal 52.2: 161-81. ティモシーはまたバルトの演劇論における身体の抑圧をホモセクシュアリティの隠蔽と結びつけて考察しており、興味深い。

ダークな二人

芸術家が年をとるということはどういうことだろうか。ごくわずかの例外を除けば、作品に豊穣さをもたらしていた想像力は衰え、ばらばらの着想を強引に一つにまとあげる腕力もなくなる。そのかわり、老練な芸術家は技巧と表現の間の巧みな綱渡りによって精緻ではあるがどこか空虚な作品を作り上げる。音楽でいえばベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲、ドビュシーのヴァイオリン・ソナタのようなもの。では演劇ではどうだろう?
 半年ぶりのニューヨークで見た二つの作品がそれぞれ答えを出していたように思う。エドワード・オールビーのThe Play About the Baby とリチャード・フォアマンのNow That Communism Is Dead I Feel Empty である。
 デビュー作『動物園物語』以来ひたすら世界に対して呪詛の言葉を吐き続けているという点でオールビーは希有な作家である。今度の新作(ただしロンドンでの世界初演は九八年)もまた、彼の真骨頂を表すような作品だった。若くて無知だが善良さだけがとりえというような夫婦の間に子供が産まれる。そこへやってくる正体不明の老夫婦。二人とも六〇過ぎだが、値段の高そうな服をぱりっと着こなし、肌つやもよい。だが彼らには年相応の落ち着きというものがない。男のほうは劇場つきの道化よろしく、しきりに観客に話しかけて歓心を買おうとするし、女のほうは若い頃のエロチックな回想をわざと下品な言葉や仕草をまじえて語る。若いカップルはこの胡散臭い二人が何者なのか、何のためにやってきたかを不審がる一方で、愚にもつかぬ戯言を繰り返し、裸でじゃれ回る。
 永遠に続く暇つぶしという点ではベケットを思わせなくもない第一幕は、正直いって退屈だ。老夫婦を演じたブライアン・マレーとマリアン・セルデスの達者な演技に観客は大笑いをしていたが、その笑いの大半がアメリカの劇場でよくある観客と俳優の馴れ合いからくるものだと感じてしまうと少々白けてしまう。最後に老夫婦がやってきた意図が明らかになって物語はようやく展開する。彼らは「子供を奪いにやってきた」のだ。
 だが正体不明の邪悪な意志を隠し持った人物が、平穏と思われていた日常に侵入するという不条理劇おなじみのモチーフがいよいよはじまるのかと思うと肩すかしを食う。第二幕は第一幕の最後の部分をわざとらしく繰り返すというシアトリカルな導入に引き続き、いつの間にか赤ん坊が消えていることを発見してパニックに陥った若い夫婦を老夫婦がさんざんに言葉でなぶる。再び暇つぶし。最後にようやく彼らはタオルにくるんだ赤ん坊を二人に返すが、その中身は空っぽ。そして「赤ん坊は最初からいなかった」ということを若夫婦に納得させて幕が下りる。
 すべての快楽は味わい尽くしたといったふうの老夫婦たちが明かす真実が、赤ん坊という形象に託された希望や明るい未来といったものはすべて幻想にすぎないということなのであれば、今年七三歳になるオールビーの若い世代に向けられた悪意は明らかである。俺たちはさんざん楽しんだが、お前たちはただ空虚な時間を過ごして死んでいくのだ、ざまあみろ。枯淡の境地どころか、いつまでも衰えぬ邪悪さに感嘆はしたものの、そのことを言うためだけに二時間はやはり長いと見た直後には思った。だが時間が経過し印象が凝縮されるにつれ、意識の裡でオールビーの悪意がいわば結晶化していき、ああ面白かったなと思っている自分がいる。これも一つの「老い」の芸術のありかたなのだろうか。
 六四歳と一回り若いフォアマンも同じように「ダーク」な作風を特徴とするとはいえ、ある意味オールビーとは対照的な作家である。なぜなら彼の作品においては世界のほうが根拠のない悪意を抱いており、世界の邪悪な意志を託された人物たちが作者の分身とおぼしき主人公をみんなでよってたかって迫害するからだ。彼の劇団オントロジカル・ヒステリック・シアターは先頃来日して公演を行ったが、さほど注目を浴びなかったと聞く。いくつかの理由でそれは当然である。第一に、フォアマンは六〇年代から自分のスタイルをほとんど変えていない。どの作品もよく似通っている。「永遠のワンパターン」という意味では唐十郎にも比することができるかもしれない。人は新しいものを見い出すために彼らの芝居を見に行くのではない。いつまでも変わらないもの、そして時には申し訳ばかりのヴァリエーションを楽しむために見に行くのだ。そんなフォアマンのマンネリズムの独特の生ぬるさ/心地よさを味わうことができなければ、今のフォアマンを見て面白いはずがない。第二に、フォアマンの被害妄想的・唯我論的世界はユダヤ文化のShelemiel(ダメ男)の伝統を受け継いだものである。ソウル・ベロウが読まれなくなり、一時期圧倒的な人気を誇った古谷三敏の「ダメおやじ」(もちろん、ひたすら悲惨な前期「ダメおやじ」である)が日本漫画史の忘れ去られた一ページとして片づけられようとしている現在、この種のマゾヒズムとそれを支える「万人に愛されたい」という愚かだが切実な思いは町田康の読者ぐらいにしか理解されないのではないか。第三に、新宿花園神社で見ないと唐組を見た気がしないように、オントロジカル・ヒステリック・シアターの根拠地セント・マークス教会に行かないとフォアマンは見た気がしない。透明なアクリル板で仕切られた舞台と客席、床といわず天井といわず舞台のあちこちに置かれた不可思議なオブジェの数々、わざとらしくしかし正確な抑揚をつけて話す俳優たち、客席の中央にどかっと腰を下ろして上演を見守るフォアマン、こういったものはセント・マークス教会二階の薄汚く狭い空間にあってこそ魅力を放つのだ。
 しかし今回のフォアマンは少々趣を異にしていた。そもそも主人公が二人いる。まあその名前がフレッドとフレディーというのだから結局同じ人間、いつもと同じコギトのコギトによるコギトのための劇であることにはかわりはないが、ローレル&ハーディ以来のアメリカ喜劇伝統のコンビの道化芸を見事に演じてみせるジェイ・スミスとトニー・トーンのおかげで「遅れてきたモダニスト」フォアマンの自意識への執着ぶりが薄まったように感じる。相変わらず語るべき筋はないし、題名は内容と関係がない。だがおなじみの形而上学的ドタバタ劇は一種の「軽み」を備えたぶん、いつもより面白く感じられた。これもまた一つの道なのだ。
(ひびの けい・アメリカ演劇・映画)

『ユリイカ』第33巻第5号(2001年5月)掲載