劇作家ポール・グリーンの長らく絶版になっていた代表作The Lost Colony (1937)が今年ようやく再版されるようだ。しかし編者はアンソロジーA Paul Green Reader (1998)と同様ローレンス・エイヴリーで、前作と同じくグリーンがかつて教鞭をとっていたノースカロライナ大学の出版局から出版されると聞くと、どうやらご当地出身有名人の記念出版のようで、かつてはオニールと並び称されたこともある、一八九四年生まれのグリーン再評価の気運が生まれつつあるわけではなさそうである。そもそもグリーンは日本でもアメリカでもずっとマイナー扱いをされてきた作家だ。だが不思議なことに完全に忘れ去られた存在になることはなかった。前期の人種・階級問題を扱った一幕物であれ、後期のスペクタクル性の高い野外歴史劇(あらゆる要素が融合するという点で「シンフォニック・ドラマ」と本人は呼んだ)であれ、たまに夢中になる人間が現れて旗を振る。しかし人気再燃というわけにはいかない。いつの間にか熱は冷めてしまう。その繰り返しである。七、八年ほど前にも『演劇研究』(早稲田大学演劇博物館紀要)一七号〜二〇号で佐和田敬司氏が日本滞在時のグリーンの日記を翻訳して紹介し、あわせてグリーンが日本で忘れ去られていることに悲憤慷慨していたが、その後グリーンについての論文が書かれたということは寡聞にして聞かない。すると私がここで何度目かの紹介をするのも同じ轍を踏むことになりそうだ。それでは余りにも芸がないので、どうすればグリーンが内輪受け以上のものになるのかについても考えてみたい。
といっても結論はすでに出ている。唐突なように聞こえるかも知れないが、モデルニテやモデルネのように、アメリカン・モダニズムを一つの時代風潮として捉える視点が出てくればよいのだ。ロスト・ジェネレーションや社会参加の文学やハーレム・ルネサンスといった個々の集団や運動につけられた名称ではなく、現在の合衆国の社会・経済体制を作った二〇〜三〇年代の文化を一望の下におさめることのできる視点。グリーンはそのような文脈でこそ真価を論ずることができる作家であり、二十世紀初頭にパーシー・マッケイが唱えたCivic Theatreの理念を継承する演劇人というこれまでの捉えかたではグリーンの作品が抱える様々な問題が抜け落ちてしまう。
話を『ロスト・コロニー』に戻そう。たいていの日本人はこの題名にピンとこないだろうが、合衆国で初等教育を受けた人間であればウォルター・ローリー卿が送り込んだ最初の植民団がノースカロライナ州ロアノーク島で忽然と姿を消し、それ以来Lost Colonyと呼ばれるようになったという話は誰でも知っている。合衆国史上類を見ない大規模な国家による演劇助成計画であったフェデラル・シアター・プロジェクト(FTP)—昨年日本でも公開された映画「クレイドル・ウィル・ロック」ではその栄光と崩壊の歴史が語られて感動的だった—華やかなりし頃の一九三七年、グリーンはこの「失われた植民地」を題材にした野外劇を制作することを地元新聞の編集長に依頼された。そこでグリーンは初期植民者たちがイギリス本国では得られなかった自由と平等をすでに享受していたという大胆な仮説—アーサー・ミラーが『クルーシブル』で開陳する初期植民地についてのシニカルな見方となんと対照的なことか!—をもとに、音楽、ダンス、歌、照明効果を用いた一大スペクタクルを書いたのだった。二幕劇の大詰めで植民者たちはインディアン・クロアトアン族の襲撃にあい、またイギリスがスペインと交戦状態になって交易が途絶えることで貯蔵していた食料が尽きかける。しかし彼らは敵でカトリックの宗主国スペインの庇護を求めることより自由を選び、自力で食料の補給が可能な南へと移動を開始する。こうしてグリーンは歴史上名高い謎の集団失踪事件の背景に、悲劇にふさわしい気高い植民者たちの意識的な選択があったということにして、アメリカ民主主義万歳を唱えるのだ。当時盛んに喧伝されていた建国神話の言説を強化することになったこの作品が受けないわけはない。一六三三年からはじまり、その頃すでに多くの観光客を集めていた南ドイツのオーバーアマガウの受難劇の向こうを張ろうという『ロスト・コロニー』上演計画は、当初の資金難という問題をFTPの援助によって乗り越えて成功を収め、第二次世界大戦中の三年間の中断をのぞき、現在まで毎夏ロアノーク島で地元住民の参加のもと上演されるようになったのである。
オーバーアマガウ受難劇がユダヤ人への差別を助長しかねない内容を含んでいると批判されたのと同様、現在のPCの立場から『ロスト・コロニー』を読んでいくとキリスト教の普遍性の強調やインディアンの差別的描写など、幾つかの問題点が指摘されよう。だがブロードウェイの商業主義を批判し、『ロスト・コロニー』に続く一連のシンフォニック・ドラマによって村おこし、町おこしという観点からのコミュニティ・シアターの理念を早々に実現した点、あるいは南部にあって黒人差別や囚人の人権侵害の現状を鋭く告発したグリーンの先見性はもう少し高く評価されてよいはずだ。
しかしまた同時にドス・パソスのU.S.A.(1938)を読むときと同様の退屈さをこの『ロスト・コロニー』に感じることも事実である。曰く、壮大にして空虚。あるいは思いつきだけの形式上の実験に頼ることのつまらなさ、という点ではソートン・ワイルダーを思い浮かべてもらってもよいかもしれない。しかしそれを彼らの才能のなさに帰するのは間違っている。むしろアメリカン・モダニズムとはそういう退屈さ・空虚さを前提にした運動だったのではないか。二十世紀に入ると、テクノロジーの発展によって知覚が拡大し、これまでになかったある種の(恐怖の対象としての)「リアルなもの」が感得されるようになる。芸術家たちはその「リアルなもの」に接触することで生じた集団的トラウマのようなものから回復するために創作活動を行うようになる、というのが今とりあえず提出できる仮説で、そしてそれは第一次世界大戦の影響について言われてきたことを拡大解釈したにすぎない。だがこれが案外当たっていそうに見えるのは、人は空虚な形式に依存することによってのみある種の恐怖から逃れることができるのは真理だからである。もちろん恐怖から逃れようとしている者にとってそれは「空虚」などではなく、意味で充満した枠組みに見える。だからこそ『ロスト・コロニー』では建国神話が語られ、理想郷としての「始原」が設定される。民衆参加というお題目(もちろんこれ自体がロマン・ロランの「民衆演劇」の理念を経由した古代ギリシアの市民劇という始原回帰の物語である)や演劇の公共性が称揚される。しかしそれらは決して「リアルなもの」の代替品にはならないのだ。そのメカニズムを説き明かすことがアメリカン・モダニズムを、ポール・グリーンを理解する早道である。
『ユリイカ』第33巻9号(2001年8月1日)