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幽霊の演劇:仲田恭子作・演出『現代版・蔦紅葉宇都谷峠』

マーヴィン・カールソンが『お化け舞台』(The Haunted Stage: The Theatre as Memory Machine, 2003)で提出した概念に「ゴースティング」がある。テレビのゴースティングにヒントを得たこの概念は、と説明しても、劣悪な電波状況のせいでものや人が二重あるいはそれ以上になって画面に映る現象はもうすでに馴染みのないものとなっているかもしれない。舞台に登場した俳優に以前演じた役柄を重ねたり、学校演劇などで上演のたびに玉座として使われる小道具を見て過去の公演を思い出したりする、上演の受容において観客の記憶が大きな役割を果たす一つの例だ。

二〇一四年三月二十一・二十二日、静岡県藤枝市にある岡部宿大旅籠_^柏屋【かしばや】^_隣・内野本陣史跡広場で上演された仲田恭子作・演出『現代版・蔦紅葉宇都谷峠』を見て最初に思い出したのが、このゴースティングのことだった。それは(「_^文弥【ぶんや】^_殺し」として知られる)河竹黙阿弥の原作『蔦紅葉宇都谷峠』の主人公・按摩文弥の幽霊が作品冒頭に現れ、現代人のカップルの片割れ菊枝を姉のお菊だと思い込んでつきまとうからだけではない。仲田の大幅な加筆によって、「文弥殺し」にくわえジャン・ジュネの『バルコン』『女中たち』そして『四谷怪談』までもが私の記憶に甦ってきたからだ。意図的で知的な創作行為としての引用ではなく、ちょうどシラー『群盗』が『リチャード三世』を想起せざるを得ないように、作り手の無意識に取り憑き、棲み込んだ「幽霊」が作品の上演の場に現れてくる驚きと面白さ。
そしてその驚きと面白さは、作者も意識してない「元ネタ」を見つけることができた演劇研究者がちっぽけな自負心を満足させたゆえに生まれるのではない。次々と「幽霊」を引き寄せてしまう仲田の、心の弱さであり、心の広さでもあるものは、たとえ演劇的記憶=「教養」の持ち合わせがそれほどない観客にとっても『現代版・蔦紅葉宇都谷峠』全体に感じ取られたはずだ。私たちの大半が他者との境界を慎重に引いて「自分」を守ることに汲々としているのに対し、ごく限られた人たちはごく気軽に他者を取り憑かせる。その中には霊能者と言われたり、精神病だと判断されたりする人もいるが、アーティストにもそういう人がいる。『現代版・蔦紅葉宇都谷峠』で観客が味わう感情は、口寄せしているイタコを見守っているときの言葉にできない期待と不安に似たものであり、ともすれば「難解」だととられかねない書き替え狂言に対する地元の観客の好意的な反応は、そうした仲田の他者に対する「_^無防備さ【ヴァルネラビリティ】^_」が露呈していたことに向けられていたものだ。
先走りすぎたので話をもとに戻そう。今回の『現代版・蔦紅葉宇都谷峠』は二〇一二年十一月、隣の大旅籠柏屋・中庭で上演された同名の野外劇を大幅に改訂したもの。藤枝市出身の作家・小川国夫の作品を上演したことなどが縁で、同市出身の仲田恭子が黙阿弥の御当地ものを現代版として改作上演することを市から依頼された。原作では文弥は座頭の官位をとるためにお菊が身売りして作った百両をもって京都に上ろうとする。昔の東海道である国道一号線をたどると、文弥が胡麻の灰・_^提婆【だいば】^_の_^仁三【にさ】^_に危うく百両を奪われそうになる_^鞠子【まりこ】^_宿(五十三次で二十番目の宿場)を通り、そして提婆の仁三を取り押さえた元武家の若党・伊丹屋十兵衛が大恩ある主君のためにその百両を奪おうと考えを変え、文弥を殺す宇都谷峠へと行きつく。今回の舞台となった岡部宿はその次の宿場町で、大旅籠柏屋はそのうちの一つの宿屋だから、正確には御当地ものではないが、地元の観客にとっては馴染みのある地名が登場する作品だ。
仲田恭子は、一九七五年生まれ。二〇〇二年に早稲田大学を中退後、二〇〇四年に利賀演出家コンクールの課題の一つイヨネスコ『授業』で最優秀演出家賞を受賞、その後ク・ナウカで清水邦夫『ぼくらが非情の大河をくだる時』の外部演出などを経て、二〇〇五年に現在のユニット・空間アート協会ひかりを結成。現在は長野県在住で、東京での公演もあるが、藤枝市や長野市、そして二〇〇七年から三年間急な坂レジデント・アーティストだったことから横浜市などでワークショップ形式の公演に多く携わってきた。私は二〇〇二年、ガーディアン・ガーデン演劇フェスティバルというかつてリクルート社が実施していた若手小劇場劇団の登竜門の役割を果たしたフェスティバルで二次公開審査に出場した、当時の仲田が率いていたシャユカイの短いプレゼンテーションを審査員として見たきりで、今回がほぼ初めてだ。ちなみに公開審査の場でシャユカイに票を入れたのは私一人だったので、当時から何らかの親和性を感じていた可能性はあるが、そのこと自体を忘れていたくらい、仲田の名前は記憶から薄れていた。私の興味は、共同体の紐帯を維持強化するための野外劇という、二〇世紀初頭のルイス・N・パーカー/パーシー・マケイ/坪内逍遙らの試みが現在でも継続していることに対するものだった。
極寒の冬が去り、春めいた陽気が続いていたとはいえ、日が落ちると相当に冷え込む本陣史跡で行われる無料公演にやってきたのはあらかじめ応募した観客約二〇〇人。その大半が地元民だろう。高齢者が若干多いような印象も受けるが、老若男女が取り揃えて集っているのを見ると、逍遙が理想としていた野外劇が今上演されているのだ、という感慨を抱く。逍遙『熱海町のページェント』をはじめ、静岡は野外劇の伝統があるのだ。今回の公演は史跡が四月に一般公開されるのを記念したもので、二日間の上演だったこともあってか、観客の集中度は高く、二時間二〇分という長丁場でも真剣に見入っていた。
仲田は今回の改作のポイントを黙阿弥作品のコラージュだと語るが、原作にない部分も多くあった。「鞠子宿」「宇津谷峠」の場、すなわち原作でもっとも盛り上がる盗難未遂と殺人の場面はほぼ忠実に演じられる。だが前述のように、現代のカップルの物語が書き加えられるほか、やって来ない大名の宿泊を待ちわび、そのときのことを女中に何度も予行演習させる本陣の主人と、芝居の稽古に余念のない女中二人が登場する。そう、ジュネ『バルコン』『女中たち』の書き換えにもなっているのだ。だが仲田によれば、これは意図しての本歌取りではない(聞き忘れたが「ゴドー待ち」は意識していそうだ)。そもそも、イルマにあたる宿の主人は男だし、女中が稽古する芝居は、十兵衞が文弥の幽霊に取り憑かれた妻のおしずを誤って殺してしまう「伊丹屋」の場。「奥さま」ごっこならぬ、「殿様」ごっこに打ち興じるのは宿の客たちである。いくつもの芝居の筋が歪曲・加工されて一つの物語を作り上げている。というより、仲田によって吹き寄せられたいくつもの芝居の筋が、ゴースティングのように多重の像になって舞台に出現する、といったほうがよいか。
これという作品は特定できないものの、既視感あふれる場面は他にもある。いかにも贋物くさいペリー提督が日本人の随行員(浦賀奉行を称して対応した与力・香山栄左衛門のようだ)を伴って現れる。現代のカップルは心中し損ない、言い争いの末に男が女を殺すと、次の場面では堤婆の仁三となって登場する。十兵衛が複数の亡霊に悩まされる『四谷怪談』に似た場面の後、「鈴ヶ森」の粗筋がラウドスピーカーで説明される。十兵衛が切腹し、これで終わったかと思うと、ちんどん屋の演奏とともに花魁道中がはじまり、登場人物が一列に並んで舞台から退場して暗転する。
仲田の演出も巧みで、この夢のような脈略のない物語でも観客をついてこさせる。といっても、影響を受けたと語る鈴木忠志作品のような強度のある演出ではなく、錯綜する筋という点ではいちばん似ている唐十郎のように音と光でケレン味を出すわけでもなく、「弱いテンション」でずるずると引きずっていく点がユニークだ。間口三十メートル、奥行五十メートルという広大な野外の舞台のあちこちに俳優たちを出没させる。俳優はわずか八人だから空間が埋まるというわけではないが、点景のように存在している彼らはなぜか目を引きつける。歌舞伎ふうになるところも含め、俳優の練度は高いが、それをこれ見よがしに見せつけることもない。言ってみれば、幽霊のようにふわふわしてとらえどころのない演出なのだが、それも含め『現代版・蔦紅葉宇都谷峠』は「幽霊」に取り憑かれた芝居だった。

写真キャプション
『現代版 「蔦紅葉宇都谷峠」』原作=河竹黙阿弥 脚本・演出=仲田恭子
2014年3月 藤枝市岡部宿内野本陣史跡 撮影=与那覇政之

 

ものみな歌でおわるーアメリカのポストドラマ演劇の誕生に関する一考察

 二〇一二年六月静岡芸術劇場で上演されたネイチャー・シアター・オブ・オクラホマ『ライフ・アンド・タイムズ』は、ロバート・ウィルソン『浜辺のアインシュタイン』(一九七六)の中の自閉症の詩人クリストファー・ノウルズの作品や、ガートルード・スタイン台本、ヴァージル・トンプソン作曲のオペラ『三幕の四人の聖人』(一九二八)と同様、散文で書かれているテキストを使いながらも、観客の身体に働きかけてその時間感覚に変容をもたらす音楽劇の傑作だった。散文の台詞をメロディにのせて歌うだけで「ミュージカル」と称する見かけ上の無造作さとは裏腹に、『ライフ・アンド・タイムズ』は、ミュージカルという形式が本来持っている演劇的可能性を利用し尽くし、アメリカにおけるポストドラマ演劇の発展の方向性を示していた。

 そもそも、西洋においても戯曲の言葉は長いこと韻文だった。韻文では語順は変更され、省略が起こり、言葉の多義性が強調される。かつて舞台の時間はこのような韻文の特性を反映して、自在に伸縮し、複数に分裂し、ときには円環を描いて回帰していた。だが十九世紀末に近代劇が誕生すると、西洋における詩劇の伝統は途絶し、定められた語順のとおり各構成要素を落とさずに話していくことで意味が生まれる散文が戯曲の言葉として採用された。近代劇は視覚的なリアリズムを重んじ、日常生活の細部を舞台に忠実に再現することからはじまったとよく言われるが、時間の「リアリズム」、つまり、あらかじめ決定されている結末に向かって直線的に流れるという、日常生活で私たちが経験する(ことになっている)時間を舞台に持ち込んだことも忘れてはならない。その結果、因果関係によって完全に支配された筋と、登場人物の心理の連続性(=性格の首尾一貫性)が極端に強調された、息苦しいまでに緻密な「全体性」を備えた構築物が演劇である、ということになった。
 ポストドラマ演劇とは、このような時間のリアリズムの桎梏から逃れるための試みの総体のことだと私は考えている。ハンス=ティース・レーマンはテキストと身体という古典的な二項対立を導入して説明しているようにも見えるが、ポスト構造主義以降の知見によれば身体もまた可読性をもった構造化されたテキストにすぎないのだから、身体の演劇がポストドラマ演劇だと主張するのは単純すぎる。「ポストドラマ演劇においては、理性的な_^言葉【ロゴス】^_よりも呼吸やリズムといった身体の肉体的現存の現在が重視される」(『ポストドラマ演劇』同学社、一九四頁)とレーマンが書くとき、単線的ではない時間構造を舞台に持ち込む媒体として身体が呼び込まれていることに注意したい。身体とは「読む」ことは可能でも、読もうとするたびに別の意味を生成するので一貫性を保持しにくいゆえに、ドラマ=「はじめ→中→終わり」という全体性に抵抗する存在である。ポストドラマ演劇は、俳優の呼吸やリズムによって作り出される「固有の時間体験」(同書二二二頁)を観客に味あわせ、散文の統語構造が要請する単線的で均質な時間体験と拮抗させるための戦略なのだ。
 ということは、俳優の身体を介在させなくてもドラマの全体性を解体し、回帰し分裂し伸縮する時間を舞台に表象させることはできるのだ。その際のもう一つの有力な手段は音楽である。ワーグナーの楽劇のような、音楽の構築性を利用して舞台に全体性を賦与するものはのぞき、大抵の音楽劇では、非連続的に用いられる音楽が観客の時間感覚を切断し、分裂させる。舞台上で演じられている散文のドラマが単線的な時間を表象していたとしても、導入される音楽が象徴的に担う永遠性・普遍性は、「今・ここ」という時間を相対化し宙づりにする。
 この意味で、アメリカン・ミュージカルは、ポストドラマ演劇が誕生する前からポストドラマ演劇だった。西ヨーロッパ各国の演劇に比べるとアメリカ演劇はリアリズムに偏重している、という比較演劇論的把握は、その反対物としてのミュージカルの存在に言及してはじめて正鵠を射たものになる。むしろミュージカルが「拡散する時間」を存分に表象するからこそ、アメリカのストレート・プレイは日常生活の散文的リズムに傾注するしかなかったのだ。そして『ライフ・アンド・タイムズ』に先行する、スタインやウィルソンの作品において観客の持っている日常の時間意識が解体されるのは、アメリカン・ミュージカルという壮大な実験場での試行錯誤があったからこそなのだ。
 『ライフ・アンド・タイムズ』は、構成・演出を担当するパヴォル・リシュカとケリー・コッパーが、「あなたのライフストーリーを聞かせてもらえる?」と電話で友人のクリスティン・ウォラルに問いかけたあと、延べ十六時間にわたって答えた彼女の話をそのまま再現するというプロジェクトだ。今回上演されたエピソード1では、彼女が生まれてから八歳までのことを二時間かけて語った内容を、三時間の「ミュージカル」に仕立てている。語られた言葉は一言一句残さずに再現されるものの、振付がつき、メロディにのせて語られるので、差し引き一時間の長さ分「間延び」し、「間抜け」になる。「間隙」を埋めることになる音楽は、バロックのオラトリオからR&Bミュージカルまで、西洋音楽劇の歴史から融通無碍に借用される。とはいえ、ウクレレ、バンジョー、ギター、ピアノ、ハモンドオルガン、鉄琴、ピアニカ、フルート、オーボエ、ソーバイオリンなど多種多様な楽器を三人の演奏者が目まぐるしく持ち替えて演奏するという珍妙な編成だから、「本格的」な音楽劇の音楽には聞こえない。ウクレレやバンジョー、オーボエなどの「間の抜けた」音色と相まって、この作品が音楽劇のパスティーシュであることを自ら明らかにする。
 つまり「間隙」は残っているので、日常生活の時間に比べて間延びした舞台上の時間に退屈してしまう観客もいるかもしれない。それでも、英語を聞き慣れている人々は、俳優たちのナンバーを聞くと、もっと早いテンポで話される実際の会話が二重写しになってくる体験をする。”and the like” “and the stuff” のような、冗長な会話の口ぶりがそのまま再現されているのをきっかけにして、一人の女性が電話で淡々と、しかし自分の過去を語るときにありがちな一種取り憑かれた調子でもって、話している口調がまざまざと蘇ってくる。
 時間はすでにここで二重になっているわけだが、つぎに観客は、そもそもこの二時間の話は、ウォラルの八年間の人生を圧縮したものだということに気づく。正確に言えば、あらかじめ作品紹介を読んできてそのことを知っていたはずなのに、「つぎつぎに、粒が粒に積み重なって、ある日、突然、堆積に、小さな堆積に、どうしようもない堆積になる」という『勝負の終わり』のクロブの台詞よろしく、八年間という時間の「重み」が突如意識される。
 九〇年代のアメリカでは、ソロ・パフォーマンス・アーティストたちが自分たちのライフ・ヒストリーを語っていた。彼(女)らが語る自分史を聞いていて私が耐えがたかったのは、性や暴力、死といった「リアル」なものとの邂逅、イノセンスの喪失といった陳腐でお定まりの物語が繰り返されるからだけではなく、彼(女)たちが無意識のうちに前提としていた語りの直線的な時間構造が、「私が私であること」という自己同一性を担保するものとして当然視されていたからだ(それを埴谷雄高は「自同律の不快」と言ったのではなかったか)。だが『ライフ・アンド・タイムズ』では、ライフ・ヒストリーが統一された自己という幻想を作り上げる装置として用いられる可能性は周到に排除されている。まず、ウォラルの人生は複数の俳優によって語られる。しかも、僅かに残っている線形性も歌や振付によって切断される。振付は視覚に訴えかけるゆえに、しばしば首尾一貫した「意味」を俳優に貼り付けてしまうのだが(「アステアの優雅で華麗な足さばき」といった具合に)、『ライフ・アンド・タイムズ』では「プロンプター」が毎回異なる振付が記された九枚のカードをシャッフルして俳優たちに提示するので、それが起きない。Life and Times という語句は本来The Life and Times of Kristin Worrall(クリスティン・ウォラルの人生とその時代)のように用いるのだが、of以下を省略することは、クリスティン・ウォラルという固有名が作品から消去されることに対応している。
 そんなわけで、ウォラルが八年間生きてきたことの「重み」は当初感じられない。だが音楽や振付によって分断され、複数の俳優の存在によって分裂させられた彼女の生きてきた時間は、観客の意識のなかで次第に凝集し、一つの流れを作り始める。ふとしたきっかけで幼い子供の言動に一貫した「性格」を見出して驚くように、自らの意識の中で複数の「ウォラル」が一つの像を結ぶようになると、観客はその存在を身近に感じるようになる。ソロ・パフォーマンス・アーティストが「私」という神話を押しつけてくるときの不快さと対極にあるこの経験は、八年間—二時間—三時間という長さの異なる三つの時間が重ね合わされて舞台に立ち上がってくるという感覚を作り出す。日常的な時間感覚を狂わされるという意味で混乱であるとともに、単線的時間の桎梏から逃れるという意味で解放であるようなこの知覚こそ、私たちが演劇に求めてきたものだった。
 近代劇が日常生活の忠実な再現をめざすために韻文と手を切ったことで失った演劇としての基本的機能を、アメリカン・ミュージカルは日常会話とナンバーを接続させるという手法で維持してきた。全ての台詞が歌われるという意味では『ライフ・アンド・タイムズ』はいわゆる「アメリカン・ミュージカル」とは異なる。だが韻文を使わず音楽によって観客の時間感覚を変容させるという手法を見事に使いこなせるのは、アメリカにミュージカルの伝統が根づいているからだ。ポストドラマ演劇が多様な展開を示すなか、アメリカ独自の展開として『ライフ・アンド・タイムズ』が出てきたことは興味深いし、今後のネイチャー・シアター・オブ・オクラホマの活動も引き続き注目したい。

 

『シアターアーツ』第52号(2012年秋)

だから平田オリザは嫌われる:『芸術立国論』(集英社新書、二〇〇一年)

 平田オリザについての否定的な言辞は、たとえ論理的な裁断のかたちをとっていたとしても、その底にある種の生理的な反撥が秘められていることが多い。そのもっともあからさまな例の一つは、小谷野敦「平田オリザにおける『階級』」(「シアターアーツ」八号、一九九七年五月)だろう。百の予断と偏見にまみれた一つの真実を売り物にする小谷野は、長いこと平田オリザの芝居を見に行く気にならなかったのは「十六歳の自転車で世界一周したという(中略)『伝説』が、『健全少年』の印象を私に与えたから」だという、真剣にとるにはあまりにも馬鹿馬鹿しい理由を述べて論をはじめている。あるいはそこまで極端ではなくとも、「シアターアーツ」三号(一九九五年十月)で平田の『現代口語演劇のために』を書評する瀬戸宏は、内容についての的確な批判を加えながらも、九三年の『ソウル市民』韓国公演はこの本の中で平田が語っているほど大成功したものではなかったという、直接内容とは関係のない暴露話じみたオチを最後に付け加える。

 なぜ人は平田オリザの作品を、あるいは言動を、冷静に語れないのか。一言でいってしまえば、それは平田が「芸術家」らしくないからである。健全少年あらため今や日本現代演劇界の学級委員長存在の平田は、孤高の芸術家/破滅型の天才といったロマン派的イメージと見事なまでに合致しない。優等生的発言にくわえて、「商売」のうまさもまた、平田のうさん臭さの所以である。五、六年前のことだったか、平田が今ほど有名ではない頃、出入りしていたとあるパソコン通信のフォーラムで、いつものように自作の宣伝を行い、○日にはチケットが○枚残っていますという書き込みをしたところ、「唐や寺山であればチケットが何枚残っているかなどという発言はしないだろう、演劇人らしからぬ振る舞いをするこの平田オリザとは何者なのか」というようなことを書き込んだ人間がいた。唐や寺山だって雲や霞を食って生きている(いた)わけではなし、チケットの売り上げに一喜一憂することもあるだろうにと思ったものだが、優秀なプロデューサーとしての平田の振る舞いはある種の人々のお気に召さないことは確かなようだ。

 もちろん、平田の(エセ)啓蒙的姿勢や政治的手腕、あるいは端的にいって口のうまさに反感を抱く人々は、それが平田のポーズであることに気づいているからこそ、いっそう苛立つのかもしれない。平田の作品に示された繊細な感受性は、平田の表面的な言動が前提としているある種の鈍感さとは相容れないものである。鴻上尚史が同じようなことをやっていてもさほど反感を買わないのは、鴻上のキャラクターがその手の鈍感さ、粗雑さに釣り合っているように見えるからだ。鴻上の「下品さ」は地だが、平田は「わかっていて」そういうポーズをとっている。言葉にはしなくても、そう感じるからこそ、ある種の人々は平田の主張をよく検討もせずに不誠実で上っ面だけのものだと思いこんで斥けるのかもしれない。

 もちろんそのような事態は平田本人にとっても、アンチ平田派の人にとっても不幸なことである。とりわけ、唐や寺山、あるいは平田があこがれて演劇活動をはじめたという野田秀樹らが、平田とは対照的に河原乞食/芸能者のポーズをとることで人気を得たことを考えると、いっそう複雑な思いを抱かざるを得ない。野田秀樹がこの国に未だに根強く残るマレビト信仰に依拠することで自らについての物語を紡ぐのと、同じ東京山の手の中流家庭で育った平田が文化人のポーズをとるのと、いったいどちらが「誠実」なのだろうか。

 前置きが長くなった。『芸術立国論』はだから、「芸術家が考える、あっと驚く“構造改革”。」という出版社の薄っぺらな惹句に拒否反応を示すような人にこそ、じっくり読んでほしい本である。もちろん、この手の新書にありがちな、一般向けの啓蒙的論調がベースではあるが、同時期に出された『対話のレッスン』(小学館)ほどは平田の文化人ぶった悪のりポーズが目立つわけではない。二〇〇一年一一月三〇日に成立した文化芸術振興基本法の直前に出版された本書はその成立を側面から援護するという目的を持っており、その意味では常識的な主張が大半を占めるが、ときどきドキリとするような過激な/斬新な提案や批判がまじっている。たとえば第五章では今や制度疲労を起こしている地方の演劇鑑賞会の正鵠を射た批判がなされているが、これがもともと『赤旗』で連載されていたものであり、関係者に正面切って苦言を呈したものであることを知るといっそう興味深いものになる。

 だが本書のいちばんの読みどころは、第四章・第五章で提出される平田独自の文化行政観だろう。欧米、とりわけアメリカにおける芸術教育では「芸術は万人のためのもの」という建前を浸透させることに力点が置かれ、結果として芸術作品の意義を理解できない人間にもそのような観念は刷り込まれる。だがそのような教育によって本当に芸術は振興されるのか。一つ例を出そう。昨夏私は、ノースカロライナ州で毎年上演されている野外劇『ロスト・コロニー』を見に行き、「公のための芸術」というスローガンによって洗脳されたアメリカ人大衆が、「公のための芸術」以上のものにはなっていない作品にたいして示す反応を目の当たりにした。アメリカのリージョナルシアターの先駆的作品の一つというだけが今や売りのこの作品を見て、観客は退屈も興奮もせず、ただ「この世の中には文化という素晴らしいものがあって、その維持や生産に自分も一役買っているのだ」という自己満足を抱いて家路につく。だがかの地の文化行政官にとってみれば、人々が抱くそのような思いこそが重要なのであって、作品の質などはどうでもよいに違いない。あるいは作品の質なぞを云々したとたんに、そのブルジョア的思い上がりを批判されてしまうのかもしれない。

 この手の公共性の論理にからきし弱い日本も早晩同じような状況に見舞われるのではないか、と暗澹たる思いを抱く私のような人間にとって、「芸術はそもそも万人受けするものではないのだから、それを庇護する論理を作り出すのには一筋縄ではいかないのだ」と平田が主張することは救いに思える。そつはないが、どこか無神経なところのある公共性の論理からの距離を語る平田は、たんなる「優等生」ではないのだ。