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テキストの豊饒さを引き出す蜷川の融通無碍さ

蜷川幸雄は公演パンフレットに収録された北野武との対談で、「泥臭いって言われれば、ホントに泥臭くってですね。僕の演出が大っ嫌いな人は、大嫌いだと思うんですよね」と語っている。何を隠そう、私もその一人だった。平幹二郎主演の『王女メディア』は傑作だと思ったが、シェイクスピアとなるとその「泥臭さ」に辟易していたクチだ。心理描写の粗雑さ、論理性を無視して朗々と歌い上げる台詞術、どう作品を解釈すると出てくるのかわからない、意味不明の「演出」。「偉大な文学作品」をメロドラマに仕立て上げるその手腕は興味深いものの、シェイクスピアは勘弁してくれ、と思っていた。
ところが今回の『ハムレット』はそんなに悪くない。というより、三時間半の長丁場、退屈しないで楽しめている自分にとまどった。もとより、その「泥臭さ」が消え去ったわけではない。前半は登場人物たちが巨大な金網の檻を出入りしながら演ずるが、これなどは自らの思いつきに拘泥する蜷川の悪癖の例だ。俳優の表情が見えなくなるだけで、さしたる効果を上げてない。主演の藤原竜也を褒める人はたくさんいるはずなのであえて苦言を呈するが、自己表出体としての才能は大したものだが、今回は一本調子が目立つ。
では何がよかったのか?おそらく河合祥一郎の訳を採用したことだろう。日本語の意味がこれほど明快に立ち上がってくる『ハムレット』の翻訳は他に類を見ない。台詞を棒読みするだけでも、登場人物の内面や性格がくっきり浮かび上がる。今回の演出はこうした台本の特性をうまく利用し、丁寧に物語を語ることに力を注いでいた。大胆な舞台造形で知られる蜷川だが、語り口のテンポやリズムに細心の注意を払い、俳優の呼吸に合わせて所作をつけていく融通無碍さにこそ、その真骨頂がある。余計な解釈をせず、テキストの語るままに任せてその豊穣さを引き出したことを今回評価すべきなのだろう。

『レプリーク RÉPLiQUE』第47号(2004年2月)「クロスレビューII」シアターコクーン蜷川幸雄演出『ハムレット』長谷部浩(演劇評論家)×外岡尚美(アメリカ演劇研究)×山登敬之(演劇評論/精神科医)×日比野啓(比較演劇/演劇理論)