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反復衝動としてのパスティーシュと「同一化」の失敗——中原昌也『知的生き方教室』

「模倣は独創の母である。唯一人のほんとうの母親である。二人を引き離してしまったのは、ほんの近代の趣味に過ぎない。模倣してみないで、どうして模倣できぬものに出会えようか。僕は他人の歌を模倣する。他人の歌は僕の肉声の上に乗る他はあるまい。してみれば、僕が他人の歌を上手に模倣すればするほど、僕は僕自身の掛けがえのない歌を模倣するに至る」。言わずとしれた小林秀雄「モオツァルト」の一節だ。戦後間もなく『創元』にこのエッセイを発表したとき、小林は「今日の芸術の世界では、こういう言葉も逆説めいて聞える」と大見得を切ってみせたけれど、以来七〇年近く経った現在では、テクスト論や大衆文化研究の進展もあずかって、天才の独創性なるものが幾多の他人の模倣や剽窃の上に成り立っているということは、当然視されている感がある。

一方、天才とは_¨真似せずにはいられない¨_才能だ、ということはそれほど多くの人に了解されているわけではない。小林はモーツァルトが努めて模倣に励んだように書いているし、事実そうだろうが、天才のなかには(あるいは天才の資質を持っている人間のなかには)意図せずして模倣してしまう人がいる。誰だってそうではないか? むしろ真似ばかりして独自のものを生み出せない人間は凡庸と言うのでは? そうではないのだ。天才とは模倣の対象を、オリジナルより上手に模倣してしまう人間のことだ。立川談志の「野ざらし」は、三代目春風亭柳好の「唄い調子」と呼ばれる独特の節を模倣するのだが、本家よりもっと面白い。もっとノっていて、もっと浮かれている。八五郎が、夜に女の幽霊が訪ねてくることを期待して、野ざらしのしゃれこうべを釣ろうとはしゃいでいる感じがよく出てる。

でも談志も柳朝を意識的に真似て演じたのでは? もちろん真似していることを談志はわかっている。だがその模倣の出発点には、自分の聞いてきた名人たちの芸を真似せずにはいられない、という談志の衝動のようなものがある。ウィリアム・バロウズばりの、古典落語の名作のカットアップ「落語チャンチャカチャン」もそうだ。談志が取り憑かれたかのような迫力で「道具屋」「火焔太鼓」「大工調べ」といった作品のさわりを一気に続けて喋るのを聞いていると、この人は落語の制度に取り憑かれているのだ、そして制度をこうやってできるだけ正確になぞってみせることで、制度に忠誠を誓い、そのことによって自己確認をしているのだ、ということがわかる。

アンナ・フロイトはそのメカニズムを「攻撃者との同一視」と名づけた。「攻撃者を擬人化し、その属性を潜取し、攻撃を模倣する」ことで不安から逃れようとする心の働きは子どもだけでなく大人にも見られるものだ。天才は、芸術の制度、伝統、歴史といったものがもたらす重圧感に恐怖を感じ、それを模倣するしかないと思い込む。それが天才が「真似せずにはいられない」理由だ。自分の存在を脅かされるほどの恐怖を感じているから、必死になって模倣する。だからその模倣は時として本物よりすぐれたものになる。

『知的生き方教室』に収録された短編群は、他人の言葉に取り憑かれ、恐怖から逃れるために他人の言葉を反復し、同一化をはかろうとする天才・中原昌也による、失敗した試みの集大成となっている。中原の努力が報われないのは、同一化に失敗するからだ。中原が他人の言葉を上手に模倣すればするほど、中原は中原自身の掛けがえのない言葉を模倣するに至るからだ。それはたとえばこんなふうに。

朝、出勤するなり横になって、まったく起き上がる様子のない同僚の小さなうめき声が、耳にこびりついて離れない。そして、自分のデスクの脇にビニールシートをかけられて横たわる、一向に誰のものだか判らない死体のようなものが、長らく置かれたままである。そして、間違いなくそこから漂う異臭。「彼らは人肉で生きのびた」『知的生き方教室』152

井伏鱒二『黒い雨』のような原爆文学、或いはもっと広く、戦争による死傷者を描く文学作品のパスティーシュとして、主人公山本三津子の勤める文芸誌編集部の情景を描く、というここでの趣向を、中原じしんはほとんど意識していないだろう。なぜなら第一に、この緊張感溢れる描写からは、自らの趣向を悦に入って眺める作者の精神的余裕は感じられないからだ。むしろ、かつて似たような描写を作者が読んだときに感じた衝撃=精神的外傷が執筆時点でも残っており、批評的距離がほぼゼロの状態でそれを反復しているかのような切実さが伝わってくる。第二にこの描写は、「退屈極まりない文芸誌の仕事」を「ぜんぜん好きでない」三津子がつかの間見る幻想ということになっており、趣向としての効果を読者にたいして十分アピールしないうちに終わってしまうからだ。彼女は「心身共に消耗する」自分の仕事を「生きるためには仕方がない」と考えることから第二次世界大戦での人肉食の経験に思いを馳せ、やがて『人肉食による類似療法的呪術』なる架空の書物からの引用が延々と続けられることになる。

ある言説を巧みに模倣し、しかし読者がそのことをはっきりと悟る前に放棄して次の言説の模倣に移る、という中原の筆の運びは、「落語チャンチャカチャン」にも似ている。そこで生じているのは、笑いではない。自分に取り憑いている制度から逃れようと悪魔祓いにも似た仰々しさで制度をなぞってみせる人間を見守る者たちの顔に浮かぶ、強ばった半笑いだ。他人事だからその必死さは滑稽に思えるが、だからといって笑い飛ばすにはあまりにも真剣に真似をしているようにみえる。「これわからない客には何もわからないからね。何やってるのかと」と談志は「落語チャンチャカチャン」の終わりで語るが、それは二重の意味で正しい。引用されている元ネタがわからないとわからないし、談志がカットアップして落語を語るその動機の核に恐怖があることがわからないとわからない。

中原作品も同じだ。引用元のテクストが何かと想像を働かせ、無数の引用の織物たる中原のテクストの背後に、他人の言葉を模倣しなくてはという強迫観念を読み取ること。天才が天才たるゆえんは、文学という制度に中原が恐怖を感じ、「攻撃者との同一視」をはかろうとして、自分を文学の制度に偽装しようとするところにあること。文学への呪詛、小説が書けないことの焦り、それでも生活のために書かなければならない自分の状況にたいする絶望、中原文学にお馴染みのモチーフはすべて、いかに中原が文学という制度に重圧感を人一倍感じているかの証左だ。それがわかれば、中原の繊細さを、そして真剣に「文学」を真似しようとして失敗するその滑稽さを、私たちは慈しみ愛でるようになるだろう。

『文學界』第69巻第1号(2015年1月)

ニール・サイモン作品のユダヤ性について

ニューヨーク市立大学大学院演劇学科に留学していた四半世紀ほど昔のことだ。博識をもってならすマーヴィン・カールソンが「日本でニール・サイモンが大人気と聞くが、あんなユダヤ的なものの考え方や文化が反映されている作家の作品がなぜ日本人に好まれるかわからない」と授業で言ったことがあった。

そのことをしばらく前にツィッターに書いたら、『悲劇喜劇』編集部から「ニール・サイモンの作品における「ユダヤ的なものの考え方や文化」について解説してください」という連絡をいただいた。「はい、書きます」と返事をしてから気づいたのだが、日本のこともよく知っているカールソンの発言の前提にある、「日本人はニール・サイモンの本質をわからずにもてはやしている」という想像は全く間違っているというわけではない。日本におけるニール・サイモン受容は、あらゆる異文化の受容と同様、誤解にもとづいているところもある。「ユダヤ的なものの考え方や文化」のなかには、その本質を日本人が(ひょっとしたら非ユダヤ系の白人たち以上に)理解し受け入れている部分と、日本人がよく理解できてない部分がある。この論考では、双方について触れたい。

ユダヤ人的なものの考え方や文化で、日本人がその本質を_¨それとは知らずに¨_もっともよく理解し受け入れているのは、お涙頂戴を厭わない、ベタな感情表現だ。ユダヤ系というと、ハリウッド映画によく出てくるロイド眼鏡をかけた頭の良さそうな―しかし人付き合いは下手だったり、運動神経はなさそうだったりする――科学者、あるいは、お前はシャイロックの子孫かと言いたくなるような、人を人と思わない、数字だけが友達のトレーダーや投資家を思い浮かべる人もいるかもしれないが、「典型的」(だと大抵のアメリカ人が考える)ユダヤ系の人々の大きな特徴は、情が深いことだし、ユダヤ系の作り手が圧倒的に多いブロードウェイの舞台は、そういうベタな情愛を好んで描いてきた。主人公は身内との愛憎関係に苦しむ(いうまでもなく、憎しみは深い愛情の裏返し、ないしは同一のものだ)。自分が愛する程には相手は自分を愛していないと思い込んで暴走するが、結局はそれが錯覚だとわかって、あるいは相手にとって自分がそれだけの存在でしかないことを受け入れて、ハッピーエンド。『裸足で散歩』であれ、『おかしな二人』であれ、ニール・サイモンの多くのコメディは、笑いのオブラートに包まれてはいるものの、本質的にはそのようなドラマを描いている。

愛情をたっぷりかけて子供を育てることが重要視されるユダヤ系の家庭に育った人にとって、親子や恋人、友人と気持ちの上でしっかり繋がってない、ということはことさら不安を覚えるものだし、ニール・サイモンの作品の魅力は、自分たちが抱いているような不安が舞台上でうまく解消されるところにあった。日本人もまた、血縁共同体内の情愛の大切さを主題とするお涙頂戴の物語が大好きだ。大正期から戦後にかけての新派、長谷川伸をはじめとする人々が新歌舞伎や新国劇に書いた戯曲、松竹新喜劇、菊田一夫の芝居はどれも、「身内」の情愛の薄さや濃さが主人公にとり大きな意味を持っていることを示すところにドラマツルギー上の要諦がある。

比較対象が菊田一夫や松竹新喜劇では、お涙頂戴といってもいささか古くさいのはないか、と思われる読者もいるかもしれない。だがニール・サイモンもまた、古くさい作家だった。『ニューヨーク・タイムズ』の劇評家ハワード・タウブマンは、デビュー作となった『カム・ブロー・ユア・ホーン』(一九六一年二月初演)を昔懐かしいブロードウェイ・コメディだ、と評価している。ラジオやテレビのスキットで売れっ子だったサイモンが、当時最新のギャグを盛り込んではいるものの、その骨子は昔ながらの人情喜劇であることを見抜いたタウブマンはさすがに慧眼だった。

ちなみに、タウブマンが『カム・ブロー・ユア・ホーン』の古風さに言及したときに頭にあったのは、第二次世界大戦前にブロードウェイで七年あまりのロングランを続け、今でもミュージカル以外の作品としては最長ロングラン記録を保つ『父と暮らして』だったかもしれない。脚本を書いたハワード・リンゼイとラッセル・クローズはユダヤ系ではないし――『エニシング・ゴーズ』や『サウンド・オブ・ミュージック』の脚本も書いたコンビとしてのほうが有名だ――原作者クラレンス・デイの自伝的内容を反映してカトリックの教理問答が登場したりするのだが、不機嫌でいつもガミガミ小言を言うので恐れられ、嫌われている父親がユーモラスに描かれているところなど『カム・ブロー・ユア・ホーン』とそっくりだ。

ところが、戦後間もない時期にテネシー・ウィリアムズとアーサー・ミラーが登場し、(少なくとも表面的には)感傷的な甘さがブロードウェイの舞台から一掃された随分後になって登場したニール・サイモンの_¨時代遅れの古風さ¨_は、戦前からのユダヤ系の作り手たちが作るお涙頂戴の舞台を見て飽き飽きしていた年上の観客が年齢的に退場する時期と重なったことと相まって、しばらくは新鮮に見えた。同時期に『屋根の上のバイオリン弾き』(一九六四年九月初演)がヒットしたのも同じ理由だ。とはいえ、もっと「クールな」自己像をアメリカ演劇に見出したい観客や批評家や研究者が、ニール・サイモンの生み出すユダヤ系の古くさい人情喜劇をアメリカ演劇の代表だと思われたくないと考えはじめるようになるのも時間の問題だった。

この点こそ、多くの日本人が「ユダヤ的なものの考え方や文化」について_¨わかっていない¨_がじつはもっともよく_¨わかっている¨_ところだ。本国では「昔ながらのユダヤ系人情喜劇」とみなされていることを知らずに、アメリカから来たお洒落なコメディだと思ってニール・サイモンの芝居を観に行く。家族の情愛を描く古くて懐かしい筋立てに、さんざん笑って最後にホロリとする。かつて長谷川伸や菊田一夫や藤山寛美の芝居をもてはやした私たちはそういう芝居が大好きだからなのだが、非ユダヤ系白人のカールソンのような人は、なぜ日本人があんな田舎くさい、ベタな人情喜劇を好むのか不思議に思うわけだ。

その意味で、日本におけるニール・サイモン戯曲の受容は、同じくユダヤ系であるウディ・アレンの映画の受容と似ているところがある。表面上の新奇さと芯にある古風さが同居しているところにニール・サイモンやウディ・アレンの魅力があるのだが、私たちはなかなかそのことを認めたがらず、舶来のモダンなコメディとして楽しんでいるのだと思い込もうとする。

一方で、私たちがよく理解できてないニール・サイモン作品のユダヤ性もある。たとえば『ニール・サイモンを理解する』(サウス・カロライナ大学出版局、二〇〇二年)のなかでスーザン・コープリンは、ユダヤ系の物語によく出てくる、自分の不運を嘆いてばかりいるダメ男の伝統や、ユダヤ系特有の自虐ギャグに言及している。これらもまた、非ユダヤ系アメリカ人にはユダヤ色が強いというか、自分たちの文化にはない要素として抵抗を覚えるものなのだが、日本人観客はその「エグ味」を感じない。そもそも、自意識過剰なユダヤ系の人々の自己言及の多さに普段から辟易していると、舞台で同じものを見せられたくない、と思うものだが、多くの日本人はそういう体験をしていないからだ。それに、自らのユダヤ性をことさらに強調するというユダヤ性は、一種の自家中毒なので精神的に不健全なものを何となく感じるけれど、自らの民族的アイデンティティを強く主張する態度でもあるので、それを表立って批判することはできない、という(ユダヤ系自身を含めた)アメリカ人観客が感じるモヤモヤした気分も、日本人には無縁だ。

あらゆる異文化の受容はつまみ食い的に起きる。自国の社会慣習が受け入れやすいものだけを取り入れ、その全部を受け入れることはない。だがそれでもその他者の文化への「理解」は進むし、わけもわからずにもてはやすということはない。ニール・サイモン作品のユダヤ性もその一例といえる。『悲劇喜劇』第七二巻第一号(二〇一九年一月)二五—二七頁。

幽霊の演劇:仲田恭子作・演出『現代版・蔦紅葉宇都谷峠』

マーヴィン・カールソンが『お化け舞台』(The Haunted Stage: The Theatre as Memory Machine, 2003)で提出した概念に「ゴースティング」がある。テレビのゴースティングにヒントを得たこの概念は、と説明しても、劣悪な電波状況のせいでものや人が二重あるいはそれ以上になって画面に映る現象はもうすでに馴染みのないものとなっているかもしれない。舞台に登場した俳優に以前演じた役柄を重ねたり、学校演劇などで上演のたびに玉座として使われる小道具を見て過去の公演を思い出したりする、上演の受容において観客の記憶が大きな役割を果たす一つの例だ。

二〇一四年三月二十一・二十二日、静岡県藤枝市にある岡部宿大旅籠_^柏屋【かしばや】^_隣・内野本陣史跡広場で上演された仲田恭子作・演出『現代版・蔦紅葉宇都谷峠』を見て最初に思い出したのが、このゴースティングのことだった。それは(「_^文弥【ぶんや】^_殺し」として知られる)河竹黙阿弥の原作『蔦紅葉宇都谷峠』の主人公・按摩文弥の幽霊が作品冒頭に現れ、現代人のカップルの片割れ菊枝を姉のお菊だと思い込んでつきまとうからだけではない。仲田の大幅な加筆によって、「文弥殺し」にくわえジャン・ジュネの『バルコン』『女中たち』そして『四谷怪談』までもが私の記憶に甦ってきたからだ。意図的で知的な創作行為としての引用ではなく、ちょうどシラー『群盗』が『リチャード三世』を想起せざるを得ないように、作り手の無意識に取り憑き、棲み込んだ「幽霊」が作品の上演の場に現れてくる驚きと面白さ。
そしてその驚きと面白さは、作者も意識してない「元ネタ」を見つけることができた演劇研究者がちっぽけな自負心を満足させたゆえに生まれるのではない。次々と「幽霊」を引き寄せてしまう仲田の、心の弱さであり、心の広さでもあるものは、たとえ演劇的記憶=「教養」の持ち合わせがそれほどない観客にとっても『現代版・蔦紅葉宇都谷峠』全体に感じ取られたはずだ。私たちの大半が他者との境界を慎重に引いて「自分」を守ることに汲々としているのに対し、ごく限られた人たちはごく気軽に他者を取り憑かせる。その中には霊能者と言われたり、精神病だと判断されたりする人もいるが、アーティストにもそういう人がいる。『現代版・蔦紅葉宇都谷峠』で観客が味わう感情は、口寄せしているイタコを見守っているときの言葉にできない期待と不安に似たものであり、ともすれば「難解」だととられかねない書き替え狂言に対する地元の観客の好意的な反応は、そうした仲田の他者に対する「_^無防備さ【ヴァルネラビリティ】^_」が露呈していたことに向けられていたものだ。
先走りすぎたので話をもとに戻そう。今回の『現代版・蔦紅葉宇都谷峠』は二〇一二年十一月、隣の大旅籠柏屋・中庭で上演された同名の野外劇を大幅に改訂したもの。藤枝市出身の作家・小川国夫の作品を上演したことなどが縁で、同市出身の仲田恭子が黙阿弥の御当地ものを現代版として改作上演することを市から依頼された。原作では文弥は座頭の官位をとるためにお菊が身売りして作った百両をもって京都に上ろうとする。昔の東海道である国道一号線をたどると、文弥が胡麻の灰・_^提婆【だいば】^_の_^仁三【にさ】^_に危うく百両を奪われそうになる_^鞠子【まりこ】^_宿(五十三次で二十番目の宿場)を通り、そして提婆の仁三を取り押さえた元武家の若党・伊丹屋十兵衛が大恩ある主君のためにその百両を奪おうと考えを変え、文弥を殺す宇都谷峠へと行きつく。今回の舞台となった岡部宿はその次の宿場町で、大旅籠柏屋はそのうちの一つの宿屋だから、正確には御当地ものではないが、地元の観客にとっては馴染みのある地名が登場する作品だ。
仲田恭子は、一九七五年生まれ。二〇〇二年に早稲田大学を中退後、二〇〇四年に利賀演出家コンクールの課題の一つイヨネスコ『授業』で最優秀演出家賞を受賞、その後ク・ナウカで清水邦夫『ぼくらが非情の大河をくだる時』の外部演出などを経て、二〇〇五年に現在のユニット・空間アート協会ひかりを結成。現在は長野県在住で、東京での公演もあるが、藤枝市や長野市、そして二〇〇七年から三年間急な坂レジデント・アーティストだったことから横浜市などでワークショップ形式の公演に多く携わってきた。私は二〇〇二年、ガーディアン・ガーデン演劇フェスティバルというかつてリクルート社が実施していた若手小劇場劇団の登竜門の役割を果たしたフェスティバルで二次公開審査に出場した、当時の仲田が率いていたシャユカイの短いプレゼンテーションを審査員として見たきりで、今回がほぼ初めてだ。ちなみに公開審査の場でシャユカイに票を入れたのは私一人だったので、当時から何らかの親和性を感じていた可能性はあるが、そのこと自体を忘れていたくらい、仲田の名前は記憶から薄れていた。私の興味は、共同体の紐帯を維持強化するための野外劇という、二〇世紀初頭のルイス・N・パーカー/パーシー・マケイ/坪内逍遙らの試みが現在でも継続していることに対するものだった。
極寒の冬が去り、春めいた陽気が続いていたとはいえ、日が落ちると相当に冷え込む本陣史跡で行われる無料公演にやってきたのはあらかじめ応募した観客約二〇〇人。その大半が地元民だろう。高齢者が若干多いような印象も受けるが、老若男女が取り揃えて集っているのを見ると、逍遙が理想としていた野外劇が今上演されているのだ、という感慨を抱く。逍遙『熱海町のページェント』をはじめ、静岡は野外劇の伝統があるのだ。今回の公演は史跡が四月に一般公開されるのを記念したもので、二日間の上演だったこともあってか、観客の集中度は高く、二時間二〇分という長丁場でも真剣に見入っていた。
仲田は今回の改作のポイントを黙阿弥作品のコラージュだと語るが、原作にない部分も多くあった。「鞠子宿」「宇津谷峠」の場、すなわち原作でもっとも盛り上がる盗難未遂と殺人の場面はほぼ忠実に演じられる。だが前述のように、現代のカップルの物語が書き加えられるほか、やって来ない大名の宿泊を待ちわび、そのときのことを女中に何度も予行演習させる本陣の主人と、芝居の稽古に余念のない女中二人が登場する。そう、ジュネ『バルコン』『女中たち』の書き換えにもなっているのだ。だが仲田によれば、これは意図しての本歌取りではない(聞き忘れたが「ゴドー待ち」は意識していそうだ)。そもそも、イルマにあたる宿の主人は男だし、女中が稽古する芝居は、十兵衞が文弥の幽霊に取り憑かれた妻のおしずを誤って殺してしまう「伊丹屋」の場。「奥さま」ごっこならぬ、「殿様」ごっこに打ち興じるのは宿の客たちである。いくつもの芝居の筋が歪曲・加工されて一つの物語を作り上げている。というより、仲田によって吹き寄せられたいくつもの芝居の筋が、ゴースティングのように多重の像になって舞台に出現する、といったほうがよいか。
これという作品は特定できないものの、既視感あふれる場面は他にもある。いかにも贋物くさいペリー提督が日本人の随行員(浦賀奉行を称して対応した与力・香山栄左衛門のようだ)を伴って現れる。現代のカップルは心中し損ない、言い争いの末に男が女を殺すと、次の場面では堤婆の仁三となって登場する。十兵衛が複数の亡霊に悩まされる『四谷怪談』に似た場面の後、「鈴ヶ森」の粗筋がラウドスピーカーで説明される。十兵衛が切腹し、これで終わったかと思うと、ちんどん屋の演奏とともに花魁道中がはじまり、登場人物が一列に並んで舞台から退場して暗転する。
仲田の演出も巧みで、この夢のような脈略のない物語でも観客をついてこさせる。といっても、影響を受けたと語る鈴木忠志作品のような強度のある演出ではなく、錯綜する筋という点ではいちばん似ている唐十郎のように音と光でケレン味を出すわけでもなく、「弱いテンション」でずるずると引きずっていく点がユニークだ。間口三十メートル、奥行五十メートルという広大な野外の舞台のあちこちに俳優たちを出没させる。俳優はわずか八人だから空間が埋まるというわけではないが、点景のように存在している彼らはなぜか目を引きつける。歌舞伎ふうになるところも含め、俳優の練度は高いが、それをこれ見よがしに見せつけることもない。言ってみれば、幽霊のようにふわふわしてとらえどころのない演出なのだが、それも含め『現代版・蔦紅葉宇都谷峠』は「幽霊」に取り憑かれた芝居だった。

写真キャプション
『現代版 「蔦紅葉宇都谷峠」』原作=河竹黙阿弥 脚本・演出=仲田恭子
2014年3月 藤枝市岡部宿内野本陣史跡 撮影=与那覇政之

 

山なりのゆるいボール:曽我貢誠『学校は飯を喰うところ』

ものを書くとき、授業をするとき、言葉が届く範囲、というものを考える。

相手が遠くにいるとき、胸元を狙って一直線に剛速球を投げ込むのは気持ちがいい。遠くからいきなりボールが飛んできたというので慌ててしまって取りこぼしてしまう人もいるが、一瞬驚くものの、きちんと受け止めてくれ、「いいボールだったね」とでも言うかのようににっこり笑ってくれる人もいる。

相手が遠くにいるときに、力のない、山なりのボールを投げてしまう失敗をすることもある。自分としては届けばいいや、と思って投げてみたものの、そして実際ワンバン、ツーバンして何とか届きはするものの、受け止めるほうは緊張感を欠いている。なんだ、こんなボールを投げてよこしやがって、受け止められるに決まっているだろ、という目で私をにらみ返す。

でもまあ、こと遠投に関しては、これまでそれほど失敗してきたつもりはない。余程のことがない限り、全力で投げ込めば相手はきちんと受け止めてくれた。教師になってからは、相手を見て手加減しつつ、しかし相手にとっては剛速球に見えるボールを投げる技術も覚えた。

難しいのは相手が近くにいるときだ。愚かな私は、ごく最近までそのことがわからなかった。若いときは感情にまかせて、近くにいる相手にも剛速球を投げることがあった。勢いよく飛んでくるボールに相手が怯えて飛び退く様子をみて、ざまあみろ、と哄笑することもあった。

しかしボールは、言葉は、受け止めてもらわないと生きたものにならない。威勢よく言葉を投げつけたからといって、相手が逃げまどうだけでは何の役にも立たない。

 

『学校は飯を喰うところ』の曽我貢誠さんのことを、私は何も知らない。

中学校の先生を長年務め、退職したばかりだ、ということは著者略歴に書いてある。でも、どんな人柄なのか、どんな顔でどんな体つきをして、どんな喋りかたをする人なのか、まるで知らない。

けれども、この詩集を読んではっきりわかることがある。曽我さんは近くにいる相手に向かって、ゆるいボールを投げる技術に長けた人だ。相手が受け止めやすいようなボールを工夫して投げてくる人だ。この詩集は、中学生という、大人でもあり子供である微妙な年齢の人間たちを長年相手にしてきた曽我さんが編んだ、近くにいる相手にどうやったら言葉を届かせることができるかという技術の集大成である。

遠くにいる大人、の私が読むと、これはゆるすぎるのでは、というボールもある。教室に貼ってある先生お手製の標語で、何が面白いんですかこれ、というのが私が中学生の頃もあったが、教師は教える生徒の知力精神力を見くびっているのではないか、と思うような「力の抜けた」言葉も並んでいたりする(もっとも、老獪な教師というのは、わざと力の抜けたボールを一度投げておいて、生徒がわっと囃し立てるのを待ち構え、それからあらためて速球を投げ込む、ということをするから、第四部「学校一言集」にある「昼食」とか「タバコ」は、そういう「捨て玉」なのかもしれない。でもそれは現場ではじめて生きるテクニックで、読んでいるときはそんなへなちょこなボールに唖然としてしまう)。

反対に、大人でも受け止めるとずしりと手応えがあるような言葉もある。私が好きなのは「劣等感」。

オレは頭が悪い
だからあいつに勉強はかなわない

あいつはオレより走るのは速い
なぜって運動神経が違うから

オレは歌うのはてんでダメだ
あいつのセンスにはかなわない

そう言いながら
実は自分の身を守っている

後で困らないように
始めにいい訳をしているのだ

人間には二種類しかない
本気にやる人間と、半端にやる人間

本当に
だめかどうかはやってみればよい

たとえあいつに勝てなくても
昨日の自分には勝てるはずだ

この程度の人生訓なら今時ブログやツィッターでも読めるよ、という冷笑的な見方もできるかもしれない。しかしそうは言いながらも、真実を穿った言葉に大人でも一瞬ドキリとするし、劣等感のただ中にいる中学生がこの詩を読んだら、まさに胸元を剛速球で射貫かれたような衝撃を覚えるだろう。

スローに見えて、手元にくると「伸びる」ボールもある。「友だち」では、「新友」「親友」「真友」という駄洒落からはじまる三連のあとに、こう続く。

大事なことを忘れました
もし、うまくいかなかったら
いつでも離れていいのです
もし、友だちができなかったら
それはそれでいいのです

私だって、つきあっている友だちは
ほとんど学校を出てからの友だちです

クラスには「新友とか真友ってなんだよ先生。変だよそれ」と迫る生意気盛りの生徒もいるだろう。だが最後の二連の「転調」にはそんな生徒も含め、みな「あれっ」と驚くはずだ。驚いている間に、その言葉はいつの間にか自分の胸元にすぽっと収まっている。腑に落ちる。そういう魔法のような投球術を曽我さんは見せてくれる。

そして最後に「合格発表、その後」のような、実在の生徒をモデルにしたと思われる詩群。実際の体験だけが持つ重みを伝えるこれらの詩は、いわばすぐそばに立っている曽我さんが「はい、これ」と手渡ししてくれるようなボールだ。ボールを「遠くに投げる」「相手に受け止めてもらう」ことにつきまとう一切のテクニックを排して、ただ真実の言葉だけを「手渡す」。なぜならば曽我さんはこの言葉を伝えるときに、相手が近くまで寄りそっているのを知っているからだ。勢いをつけて投げ込まなくても、相手の手のひらにそっと載せるだけで、ボールの重みが伝わることを知っているからだ。

「テクニック」であるにせよないにせよ、曽我さんはどうやったらボールを受け止めてもらえるかをよく知っている。剛速球を投げ込むことだけが、ボールの投げかたではないことを教えてくれる。この詩集を読むことは、曽我さんが教師として生きてきたあいだずっと開発してきたその言葉の届かせ方を実地に学ぶことでもある。そう思った。

『トンボの眼玉』第八号(二〇一四年七月)

テキストの豊饒さを引き出す蜷川の融通無碍さ

蜷川幸雄は公演パンフレットに収録された北野武との対談で、「泥臭いって言われれば、ホントに泥臭くってですね。僕の演出が大っ嫌いな人は、大嫌いだと思うんですよね」と語っている。何を隠そう、私もその一人だった。平幹二郎主演の『王女メディア』は傑作だと思ったが、シェイクスピアとなるとその「泥臭さ」に辟易していたクチだ。心理描写の粗雑さ、論理性を無視して朗々と歌い上げる台詞術、どう作品を解釈すると出てくるのかわからない、意味不明の「演出」。「偉大な文学作品」をメロドラマに仕立て上げるその手腕は興味深いものの、シェイクスピアは勘弁してくれ、と思っていた。
ところが今回の『ハムレット』はそんなに悪くない。というより、三時間半の長丁場、退屈しないで楽しめている自分にとまどった。もとより、その「泥臭さ」が消え去ったわけではない。前半は登場人物たちが巨大な金網の檻を出入りしながら演ずるが、これなどは自らの思いつきに拘泥する蜷川の悪癖の例だ。俳優の表情が見えなくなるだけで、さしたる効果を上げてない。主演の藤原竜也を褒める人はたくさんいるはずなのであえて苦言を呈するが、自己表出体としての才能は大したものだが、今回は一本調子が目立つ。
では何がよかったのか?おそらく河合祥一郎の訳を採用したことだろう。日本語の意味がこれほど明快に立ち上がってくる『ハムレット』の翻訳は他に類を見ない。台詞を棒読みするだけでも、登場人物の内面や性格がくっきり浮かび上がる。今回の演出はこうした台本の特性をうまく利用し、丁寧に物語を語ることに力を注いでいた。大胆な舞台造形で知られる蜷川だが、語り口のテンポやリズムに細心の注意を払い、俳優の呼吸に合わせて所作をつけていく融通無碍さにこそ、その真骨頂がある。余計な解釈をせず、テキストの語るままに任せてその豊穣さを引き出したことを今回評価すべきなのだろう。

『レプリーク RÉPLiQUE』第47号(2004年2月)「クロスレビューII」シアターコクーン蜷川幸雄演出『ハムレット』長谷部浩(演劇評論家)×外岡尚美(アメリカ演劇研究)×山登敬之(演劇評論/精神科医)×日比野啓(比較演劇/演劇理論)

ハイポリアルな背景からハイパーリアルな背景へ:ミュージカル映画の「革命」と『レ・ミゼラブル』

掲載時の題名は「不自然の自然、ミュージカルの革命」。

一九二〇年代後半にトーキーが実用化された頃、映画会社が目をつけたのはミュージカルだった。『ブロードウェイ・メロディ』(一九二九)の有名な宣伝文句、”ALL TALKING ALL SINGING ALL DANCING” が示しているように、無声映画では味わえないトーキーの「臨場感」を観客に印象づけるには、俳優たちが歌って踊るのがもっとも効果的だったからだ。

もっとも、ミュージカルは映画向きのジャンルとは言えなかった。なぜなら、映画はメディアの性質上被写体を「リアルに」見せてしまうが、ミュージカルの本質は、オペラや歌舞伎をはじめとする多くの舞台芸術と同様、「様式」だからだ。とりわけ、舞台中継のように長廻しと俯瞰でナンバーを撮影した初期のミュージカル映画は、映画としてもミュージカルとしても魅力を欠いたものだった。コーラスガールの頭上にカメラを設置し、対称性を保った振付で万華鏡のような視覚効果を見せたバスビー・バークレーは、舞台のミュージカルにないミュージカル映画の新しい様式を発明したが、そのバークレーですら、主役たちのナンバーを撮影する際にはクローズアップやカットを多用することはなく、「リアルに」つまり歌って踊る俳優たちの身体全体を見せることに終始した。

日常生活で私たちはどんなに感情が昂揚しても歌い出したり踊り出したりすることはないのに、ミュージカルで俳優が歌い出したり踊り出したりしても不自然に思わないのは私たちがそれを「そういうもの」=「様式」として理解しているからだ。だがこの「様式」は舞台の黒幕という「リアルでないもの」が背景になっているからこそ成立する。ミュージカル映画のようにリアルな現実の風景が背景に映り込むと、俳優たちが歌い出したり踊り出したりするのがいかにも嘘くさく見えてしまう。

一九四〇年代から五〇年代にかけられて作られたMGMミュージカルの殆どはセット撮影だった。それはスタジオシステムでの量産という当時の映画作りの常識からいっても当然だったが、ミュージカルの様式性を大きく損なわない、という利点もあった。セットの「作り物」感、合成撮影だとすぐにわかる杜撰な編集は、映画に期待される「リアルさ」とは正反対のものだったが、ミュージカルの不自然さには見合っていた。

しかしアメリカン・ミュージカル黄金期の立役者だった作曲家リチャード・ロジャースと作詞家オスカー・ハマースタイン二世は、MGMの_^手法【フォーミュラ】^_に飽き足らなかった。一九五五年、コンビが初めて組んだ記念碑的作品『オクラホマ!』を映画化するにあたり、二人は七〇ミリ・ワイドスクリーンの新方式を開発したTodd-AOを配給会社に選んだ(約一年後に二〇世紀フォックスによるシネスコ版が公開)。二人が発見したのは、背景として映し出されるのがリアルな現実の風景であっても、それが日常生活では体験できない圧倒的な量の視覚情報をもたらせば、その「不自然さ」がミュージカルの様式がもたらす快楽をいや増す、という法則だった。

この「革命」によってミュージカル映画の作り方は根本的に変わる。安っぽい「ハイポリアルな」(=現実以下の)セットの背景から、ハイパーリアルな背景へ。ワイドスクリーンだけではない。ロバート・ワイズが監督した二本のミュージカル映画『ウェストサイド物語』(一九六一)『サウンド・オブ・ミュージック』(一九六伍)では空撮が効果的に使われているが、これもまた背景が与える視覚情報を増大させるためのものだった。テクノロジーを使わずに、背景を絢爛豪華に作り込むという手もあった。セシル・ビートンが衣装と装置を担当した『マイ・フェア・レディ』(一九六四)がそうだ。現実を「異化」して一つの様式にしてしまう魔術をミュージカル映画は手に入れたのだ。

『レ・ミゼラブル』の魔法は、基本的にはこのミュージカル映画革命の延長線上にある。とはいえこの映画の魅力が、テクノロジーを駆使し、時間と費用を贅沢にかけ、背景となる現実の「異化」を徹底的に推し進めたことにあるのは見ればすぐにわかる。オープニングナンバーの「囚人の歌」は、沈没した船を何百人もの囚人が体に綱を巻きつけて引っ張り、ドックに引き揚げようとするという壮大な場面を背景に歌われる。ファンテーヌが「夢やぶれて」を歌う場面で映し出される貧民街や、テナルディエ夫妻が「裏切りのワルツ」を歌う場面で映し出される彼らの宿屋は、細部に至るまで作り込まれているゆえに、単なる背景に見えない。セットそのものが生きて呼吸しているような奇妙な存在感は、リアルを超えてハイパーリアルに映る。ジャン・バルジャンの数奇な半生を三時間足らずの舞台として成立させるために必要とされた『レ・ミゼラブル』の強固な様式性は、背景のハイパーリアリティによって支えられているのだ。

『キネマ旬報』第1627号(2012年12月20日)

ずしりと重い芸術家小説:前田司郎『濡れた太陽 高校演劇の話』

デビュー以来、前田司郎という人はその圧倒的な才能の上に胡座をかいているなあ、と思っていた。『濡れた太陽』はそんな私の思い込みをあっさりと打破してくれた。

前田が主宰する劇団「五反田団」の演劇はよく「脱力系」と言われる。書く小説も『ガムの起源~お姉さんとコロンタン』とか『恋愛の解体と北区の滅亡』とかふざけた題名のものばかりだ。だけど中身はそうでもない。設定はSFチックで、タチの悪い冗談のようなものが多いけれど、それにくだらないギャグもてんこ盛りなんだけど、妙にリアルな心情が描かれていて胸に迫ることがある。自意識過剰なだけと思っていた登場人物が、怖いほど透徹した意識の持ち主であることが判明して虚を突かれることがある。太宰治のように、へらへら笑いながら人の喉元に合口を突きつけるような不気味さや恐ろしさを前田司郎は持っている。

でも、これまでの前田司郎の作品はそれだけで終わることも多かった。確かに合口を突きつけられた瞬間ははっとする。顔色が変わる。だけど、前田は読者や観客に突きつけた合口を次の瞬間、すっと引いてしまうのだ。「冗談、冗談」とか何とか言って。こちらがビビッているのを見るだけで満足して、前田はそのまま歩き去ってしまう。ああびっくりした、とはその場では思うけれど、喉元過ぎれば何とやらで、私たちはその衝撃を忘れてしまう。出会った瞬間だけでなく、ずしりと重い感触を後々まで残す、ということは余りなかった。

それは前田が、自分の才能を当然視し、かつ、軽く見ていたからだ。「天才なんてそう珍しいものじゃない。実は三百人に一人くらいはいるのだと思う。その三百人に一人のうち自分の才能に適した行動をとる者がまあ百人、さらに、その百人のうち世間の目に触れるのは十人に一人とか」(下巻112頁)と『濡れた太陽』の語り手は主人公相原太陽の才能について説明する。高校に入学したばかりの太陽がはじめて書いた戯曲「犬は去ぬ」は抜群に面白く、彼が所属する御屋敷山高校演劇部の同級生はおろか先輩たちにも大受けするし、御屋敷山高校が演劇コンクールの地区大会で敗退したあとも、太陽は自分の戯曲が面白かったという評価を変えない。それどころか、「でも、僕は、ちょっと、多分、本当のことを、本当のことが判りました。結局、自分を評価できるのは自分だけなんだと思います」(下巻349頁)とみなに向かって宣言する。「自伝的(?)高校演劇部小説」という中途半端なオビの惹句がなくても太陽が前田の自画像であることはまるわかりなので(作品内で相当部分が台詞として引用される「犬は去ぬ」は、前田が高校一年生のときに実際に書いた戯曲だという)、この認識は前田が自分の才能について抱いているものであることは言うまでもない。自分に才能があることを疑わず、それでいてその才能はそれほど特別なものではない、と思っている芸術家は大抵才能を安売りする。売り渋らなくても自分の才能は枯渇しない、しないようにうまく自分の才能を制御できるコツを掴んでいる、と思っているからだ。

前田の書く小説の手応えがこれまで今ひとつだった理由はしかし、もう一つあったような気がする。演劇というマイナーな芸術を愛し深く関わっている自分を前田が小説の中でどう表現してよいかわからず、結果的に作品の中で自分を十分出さずに誤魔化していたことだ。『逆に十四歳』で演劇をやろうと老人の主人公に持ちかけ、オーディションを企画しておきながら「こんな、大勢の人の怨念を背負わなくきゃいけないものだっけ?」(85頁)と言って逃げ出す旧友白田と主人公の言動は、演劇に対する両面価値的な感情を作者が抱いていることをよく示していた。

ところが『濡れた太陽』では「演劇部はダサすぎた。演劇という響きがダサいのだ」(上巻254頁)と考える渡井も結局演劇部に入り、みんなで演劇を作り始める。前田はここに至り、演劇が大好きで演劇のことばかり考えているダサい自分のことを主人公に仕立て、自分の思いの丈を思い切りぶつけることに取り組んだのだ。

それができたのは、一つには「教育」という目標があったからだ。コミュニケーション教育の一環としてプロの若手演出家を招いて一緒に作品作りを行っている福島県立いわき総合高等学校での経験がこの作品のもとになっている。『濡れた太陽』は小説と銘打っておきながら、戯曲のように役名と台詞が書かれるだけで地の文がない会話が所々挿入され、スタニスラフスキー『俳優の仕事』と見紛うばかりの具体的な状況が与えられたうえでの演劇論が開陳される。「芝居するってことは、意識的なことのように見えて、それだけではない。…潜在意識がコントロールしている領域は、潜在意識に操縦させるべきなのだ」(下巻8頁)などはそのままスタニスラフスキーだが、「喜怒哀楽なんて伝えて何になるんですか?」(上巻242頁)のように平田オリザ以降の現代口語演劇の主流となっている考えを開陳するところもある。

かつて指導した高校生を念頭に置きながら、自分が考える演劇とは何かということを読者に伝えることに作者が腐心したゆえに、『濡れた太陽』にはこれまでの前田作品にはない「重み」が加わった。四六時中演劇のことばかり考えるダサい自分をうまく隠して才能だけで佳品をすらすらと書き飛ばしてきた作者が、本当に自分の書きたかったことを書くためには、高校生のためにという名目が必要だったのは興味深い。それは前田司郎の裡に潜む本質的な他者性と関わっているからだ。だがその詳細を論じるには紙面が足りない。これだけは確認しておきたい。高校生のための演劇入門であるとともに、『濡れた太陽』はジョイス『若き芸術家の肖像』のような、芸術家小説であることを。

『文學界』第66巻第8号(2012年7月6日)

ものみな歌でおわるーアメリカのポストドラマ演劇の誕生に関する一考察

 二〇一二年六月静岡芸術劇場で上演されたネイチャー・シアター・オブ・オクラホマ『ライフ・アンド・タイムズ』は、ロバート・ウィルソン『浜辺のアインシュタイン』(一九七六)の中の自閉症の詩人クリストファー・ノウルズの作品や、ガートルード・スタイン台本、ヴァージル・トンプソン作曲のオペラ『三幕の四人の聖人』(一九二八)と同様、散文で書かれているテキストを使いながらも、観客の身体に働きかけてその時間感覚に変容をもたらす音楽劇の傑作だった。散文の台詞をメロディにのせて歌うだけで「ミュージカル」と称する見かけ上の無造作さとは裏腹に、『ライフ・アンド・タイムズ』は、ミュージカルという形式が本来持っている演劇的可能性を利用し尽くし、アメリカにおけるポストドラマ演劇の発展の方向性を示していた。

 そもそも、西洋においても戯曲の言葉は長いこと韻文だった。韻文では語順は変更され、省略が起こり、言葉の多義性が強調される。かつて舞台の時間はこのような韻文の特性を反映して、自在に伸縮し、複数に分裂し、ときには円環を描いて回帰していた。だが十九世紀末に近代劇が誕生すると、西洋における詩劇の伝統は途絶し、定められた語順のとおり各構成要素を落とさずに話していくことで意味が生まれる散文が戯曲の言葉として採用された。近代劇は視覚的なリアリズムを重んじ、日常生活の細部を舞台に忠実に再現することからはじまったとよく言われるが、時間の「リアリズム」、つまり、あらかじめ決定されている結末に向かって直線的に流れるという、日常生活で私たちが経験する(ことになっている)時間を舞台に持ち込んだことも忘れてはならない。その結果、因果関係によって完全に支配された筋と、登場人物の心理の連続性(=性格の首尾一貫性)が極端に強調された、息苦しいまでに緻密な「全体性」を備えた構築物が演劇である、ということになった。
 ポストドラマ演劇とは、このような時間のリアリズムの桎梏から逃れるための試みの総体のことだと私は考えている。ハンス=ティース・レーマンはテキストと身体という古典的な二項対立を導入して説明しているようにも見えるが、ポスト構造主義以降の知見によれば身体もまた可読性をもった構造化されたテキストにすぎないのだから、身体の演劇がポストドラマ演劇だと主張するのは単純すぎる。「ポストドラマ演劇においては、理性的な_^言葉【ロゴス】^_よりも呼吸やリズムといった身体の肉体的現存の現在が重視される」(『ポストドラマ演劇』同学社、一九四頁)とレーマンが書くとき、単線的ではない時間構造を舞台に持ち込む媒体として身体が呼び込まれていることに注意したい。身体とは「読む」ことは可能でも、読もうとするたびに別の意味を生成するので一貫性を保持しにくいゆえに、ドラマ=「はじめ→中→終わり」という全体性に抵抗する存在である。ポストドラマ演劇は、俳優の呼吸やリズムによって作り出される「固有の時間体験」(同書二二二頁)を観客に味あわせ、散文の統語構造が要請する単線的で均質な時間体験と拮抗させるための戦略なのだ。
 ということは、俳優の身体を介在させなくてもドラマの全体性を解体し、回帰し分裂し伸縮する時間を舞台に表象させることはできるのだ。その際のもう一つの有力な手段は音楽である。ワーグナーの楽劇のような、音楽の構築性を利用して舞台に全体性を賦与するものはのぞき、大抵の音楽劇では、非連続的に用いられる音楽が観客の時間感覚を切断し、分裂させる。舞台上で演じられている散文のドラマが単線的な時間を表象していたとしても、導入される音楽が象徴的に担う永遠性・普遍性は、「今・ここ」という時間を相対化し宙づりにする。
 この意味で、アメリカン・ミュージカルは、ポストドラマ演劇が誕生する前からポストドラマ演劇だった。西ヨーロッパ各国の演劇に比べるとアメリカ演劇はリアリズムに偏重している、という比較演劇論的把握は、その反対物としてのミュージカルの存在に言及してはじめて正鵠を射たものになる。むしろミュージカルが「拡散する時間」を存分に表象するからこそ、アメリカのストレート・プレイは日常生活の散文的リズムに傾注するしかなかったのだ。そして『ライフ・アンド・タイムズ』に先行する、スタインやウィルソンの作品において観客の持っている日常の時間意識が解体されるのは、アメリカン・ミュージカルという壮大な実験場での試行錯誤があったからこそなのだ。
 『ライフ・アンド・タイムズ』は、構成・演出を担当するパヴォル・リシュカとケリー・コッパーが、「あなたのライフストーリーを聞かせてもらえる?」と電話で友人のクリスティン・ウォラルに問いかけたあと、延べ十六時間にわたって答えた彼女の話をそのまま再現するというプロジェクトだ。今回上演されたエピソード1では、彼女が生まれてから八歳までのことを二時間かけて語った内容を、三時間の「ミュージカル」に仕立てている。語られた言葉は一言一句残さずに再現されるものの、振付がつき、メロディにのせて語られるので、差し引き一時間の長さ分「間延び」し、「間抜け」になる。「間隙」を埋めることになる音楽は、バロックのオラトリオからR&Bミュージカルまで、西洋音楽劇の歴史から融通無碍に借用される。とはいえ、ウクレレ、バンジョー、ギター、ピアノ、ハモンドオルガン、鉄琴、ピアニカ、フルート、オーボエ、ソーバイオリンなど多種多様な楽器を三人の演奏者が目まぐるしく持ち替えて演奏するという珍妙な編成だから、「本格的」な音楽劇の音楽には聞こえない。ウクレレやバンジョー、オーボエなどの「間の抜けた」音色と相まって、この作品が音楽劇のパスティーシュであることを自ら明らかにする。
 つまり「間隙」は残っているので、日常生活の時間に比べて間延びした舞台上の時間に退屈してしまう観客もいるかもしれない。それでも、英語を聞き慣れている人々は、俳優たちのナンバーを聞くと、もっと早いテンポで話される実際の会話が二重写しになってくる体験をする。”and the like” “and the stuff” のような、冗長な会話の口ぶりがそのまま再現されているのをきっかけにして、一人の女性が電話で淡々と、しかし自分の過去を語るときにありがちな一種取り憑かれた調子でもって、話している口調がまざまざと蘇ってくる。
 時間はすでにここで二重になっているわけだが、つぎに観客は、そもそもこの二時間の話は、ウォラルの八年間の人生を圧縮したものだということに気づく。正確に言えば、あらかじめ作品紹介を読んできてそのことを知っていたはずなのに、「つぎつぎに、粒が粒に積み重なって、ある日、突然、堆積に、小さな堆積に、どうしようもない堆積になる」という『勝負の終わり』のクロブの台詞よろしく、八年間という時間の「重み」が突如意識される。
 九〇年代のアメリカでは、ソロ・パフォーマンス・アーティストたちが自分たちのライフ・ヒストリーを語っていた。彼(女)らが語る自分史を聞いていて私が耐えがたかったのは、性や暴力、死といった「リアル」なものとの邂逅、イノセンスの喪失といった陳腐でお定まりの物語が繰り返されるからだけではなく、彼(女)たちが無意識のうちに前提としていた語りの直線的な時間構造が、「私が私であること」という自己同一性を担保するものとして当然視されていたからだ(それを埴谷雄高は「自同律の不快」と言ったのではなかったか)。だが『ライフ・アンド・タイムズ』では、ライフ・ヒストリーが統一された自己という幻想を作り上げる装置として用いられる可能性は周到に排除されている。まず、ウォラルの人生は複数の俳優によって語られる。しかも、僅かに残っている線形性も歌や振付によって切断される。振付は視覚に訴えかけるゆえに、しばしば首尾一貫した「意味」を俳優に貼り付けてしまうのだが(「アステアの優雅で華麗な足さばき」といった具合に)、『ライフ・アンド・タイムズ』では「プロンプター」が毎回異なる振付が記された九枚のカードをシャッフルして俳優たちに提示するので、それが起きない。Life and Times という語句は本来The Life and Times of Kristin Worrall(クリスティン・ウォラルの人生とその時代)のように用いるのだが、of以下を省略することは、クリスティン・ウォラルという固有名が作品から消去されることに対応している。
 そんなわけで、ウォラルが八年間生きてきたことの「重み」は当初感じられない。だが音楽や振付によって分断され、複数の俳優の存在によって分裂させられた彼女の生きてきた時間は、観客の意識のなかで次第に凝集し、一つの流れを作り始める。ふとしたきっかけで幼い子供の言動に一貫した「性格」を見出して驚くように、自らの意識の中で複数の「ウォラル」が一つの像を結ぶようになると、観客はその存在を身近に感じるようになる。ソロ・パフォーマンス・アーティストが「私」という神話を押しつけてくるときの不快さと対極にあるこの経験は、八年間—二時間—三時間という長さの異なる三つの時間が重ね合わされて舞台に立ち上がってくるという感覚を作り出す。日常的な時間感覚を狂わされるという意味で混乱であるとともに、単線的時間の桎梏から逃れるという意味で解放であるようなこの知覚こそ、私たちが演劇に求めてきたものだった。
 近代劇が日常生活の忠実な再現をめざすために韻文と手を切ったことで失った演劇としての基本的機能を、アメリカン・ミュージカルは日常会話とナンバーを接続させるという手法で維持してきた。全ての台詞が歌われるという意味では『ライフ・アンド・タイムズ』はいわゆる「アメリカン・ミュージカル」とは異なる。だが韻文を使わず音楽によって観客の時間感覚を変容させるという手法を見事に使いこなせるのは、アメリカにミュージカルの伝統が根づいているからだ。ポストドラマ演劇が多様な展開を示すなか、アメリカ独自の展開として『ライフ・アンド・タイムズ』が出てきたことは興味深いし、今後のネイチャー・シアター・オブ・オクラホマの活動も引き続き注目したい。

 

『シアターアーツ』第52号(2012年秋)

「遺産相続」の劇

 『焼けたトタン屋根の上の猫』の作者テネシー・ウィリアムズは、アーサー・ミラーとともに戦後アメリカ演劇を代表する劇作家と言われる。ウィリアムズもミラーも、一九三〇年代から劇作を手がけ、四〇年代にブロードウェイ・デビューを飾り(ウィリアムズは『ガラスの動物園』[一九四五]で、ミラーは『みんなわが子』[一九四七]で)、四〇年代から五〇年代にかけて演劇史に残る傑作をいくつも発表する。とりわけ、五〇年代のウィリアムズの創作意欲はとどまるところを知らず、多幕物では『薔薇の刺青』(一九五一)、『カミノ・リアル』(一九五三)、『焼けたトタン屋根の上の猫』(一九五五)、『地獄のオルフェ』(一九五七)、『青春の甘い鳥』(一九五九)、これに『去年の夏、突然に』(一九五八)をはじめとする八本の一幕劇や『ストーン夫人のローマの春』(一九五〇)などの長編・短編小説、映画『ベイビー・ドール』(一九五六)脚本執筆をくわえると膨大な数にのぼる。
 その新作ラッシュのなかで執筆され上演された『焼けたトタン屋根の上の猫』では、マギーと夫ブリック、そしてブリックと同性愛の関係にあった、自殺した友人スキッパーとの三角関係に焦点が当てられることが多い。たしかに、今ふうにいえばセックスレスの夫婦関係に悩むマギーと、自らのホモセクシュアルな欲望を認めることができないでいるブリックという二人の造形は、通俗的で扇情的すぎるきらいはあるけれど、現代の観客にとっても大いに興味を引かれるものになっている。
 だがこの作品は、南部の大富豪一家を舞台にした遺産相続をめぐる劇でもある。がんで死期間近のビック・ダディは、自分の財産を狙っている長男グーパーとその妻を尻目に、お気に入りの次男ブリックに継がせたいと考えているが、ブリックたちには子供がいない。ビッグ・ダディの意向を知ったマギーは妊娠したと嘘をつくことで、二人は財産を手に入れる。
 一九五〇年代に書かれたウィリアムズ作品で、遺産相続が隠れた主題となっているものは他にもある。『地獄のオルフェ』では、糖尿病で死の床にある年上の夫の目を盗み、これまで送ってきた愛のない生活を埋め合わせるかのように青年ヴァルとの愛欲におぼれる中年女性レディは、禁酒法時代に父が経営していたもぐり酒場を復活させようと試みる。それが父から受け継いだ唯一の財産だからだ。『去年の夏、突然に』も、資産家ヴェナブル家の一人息子で詩人セバスティアンの死後、その死因をめぐって母のヴァイオレットと従妹キャサリンが対立するが、それはまたセバスティアンの遺産の行方をめぐる対立でもある。
 一方、財産の相続が主題になっているアメリカ演劇の戯曲はそれほど多くない。不労所得をもたらす資産は、万人に等しく機会が与えられているという民主主義社会の建前に不似合いだからかもしれない。たとえばミラーの作品では、『みんなわが子』をのぞけば、ブルジョアジーと呼べるような資産家は出てこない。ユージン・オニールの『奇妙な幕間狂言』(一九二八)も『喪服の似合うエレクトラ』(一九三二)もブルジョアジーが主人公だが、財産の相続はほとんど問題にされない。『楡の木陰の欲望』(一九二四)では、ニューイングランドの農場を三兄弟の誰が相続するかが話題になるが、資産価値はあまりないようだ。サム・シェパードも『埋められた子供』(一九七八)をはじめとして、父から子の相続を主題とする作品をいくつか書いているが、その相続は象徴的・神話的なもので、父から子へと受け継がれる物質的な財産は僅かでしかない。重要な例外は、姉弟の資産家同士の骨肉の争いを描いたリリアン・ヘルマンの『子狐たち』(一九三九)で、これはヘルマンがウィリアムズと同様に、南部社会の「貴族階級」とよばれた裕福な白人たちを主人公にしたからできたことだった。だがその緊密な構成や鋭い人間観察にもかかわらず、ヘルマンの評価が不当に低いのは、財産争いを繰り広げる「欲にまみれた」人間たちの話が、勤勉を尊ぶアメリカ人には不快だから、ということは十分にありうる。
 ヨーロッパの近代劇は事情が異なる。チェーホフの『ワーニャ伯父さん』や『桜の園』は土地の相続をめぐる行き違いの喜劇だし、イプセンの『ゆうれい』でも、夫の遺産を息子に相続させまいとしてアルヴィング夫人は孤児院を建設する。近代劇はウェル・メイド・プレイという十九世紀に流行した劇形式を批判しつつその影響も受けており、ウェル・メイド・プレイにおけるおきまりのモチーフだった遺産相続をめぐる争いが用いられるのだ。ウェル・メイド・プレイの登場人物はブルジョアジーであり、主な観客はまた彼らであった。ブルジョアジーの最大の関心事は「適切な」結婚と相続を通じての財産の保全と継承であり、そのための嘘や不正は黙認され、ときとして奨励される。イギリスにおけるウェル・メイド・プレイの継承者であるH・グランヴィル=バーカー『ヴォイジー相続物件』(一九〇五)を二〇〇六年にデイヴィッド・マメットが翻案して上演したが、そこでも父子二代にわたる横領という「相続物件」をめぐる駆け引きに嘘が使われる。
 嘘や欺瞞を使って財産相続を成功させる『焼けたトタン屋根の上の猫』はだから、ヨーロッパの都市ブルジョアジーの家庭で起きる遺産相続をめぐる騒動という、近代劇やウェル・メイド・プレイで扱われた主題を、農本主義的なアメリカ南部社会に舞台を移して展開した作品だとも言える。『欲望という名の電車』(一九四七)におけるブランチの転落も、代々受け継がれてきた農園ベル・リーブを失ったことからはじまったことを考えると、財産の保全と継承というモチーフはウィリアムズにとっても重要だったことがわかるが、世界第一位の経済大国となった第二次世界大戦後のアメリカにおいて、遺産相続の劇が次々と書かれ、受け入れられたのは興味深い。それはようやくアメリカという国が、富とそれに伴う腐敗、欺瞞というヨーロッパ的主題を身近な問題として捉えられるようになった、ということだからだ。ミラーと違って、時代や社会と直接切り結ばなかったとされるウィリアムズだが、やはり彼も時代の申し子なのである。

(新国立劇場2010年11月公演『焼けたトタン屋根の上の猫』パンフレット)

天の邪鬼の想像力:デイヴィッド・マメット

「私ども、選ばれた方たちにのみ、節税対策に効果的なマンション経営についてご案内しております。○○さまは資産運用をどうお考えですか?」自宅や職場に頻繁にかかってくる投資用マンションの勧誘電話。『グレンギャリー・グレン・ロス』(以下『GGR』)の主要な登場人物は、こういう電話をかけてくる連中だ。マンションならまだ本当に利益が出るのかもしれないが(違うのかな?)、この作品のなかで彼らが売りつけようとするのは二束三文の土地。つまり、『GGR』作者のデヴィッド・マメットが描くのは、かつて日本でも大きな問題となった原野商法に従事する「セールスマン」の仕事ぶりなのだ。悪徳商法の被害に一度遭った人々はその後もターゲットにされ続けるとはよく聞く話だが、彼らが手に入れようと相争う「顧客名簿」は、こうしたカモにされやすいお人好したちの名前がずらりと並んでいる。

マメットはとてもひねくれた人だ。『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(81年)にはじまり、数多く映画界に脚本を提供してきたこの人の真骨頂は、どんでん返しに続くどんでん返しで、『GGR』でもその魅力が味わえる。しかもハリウッドの名だたる演技派たちがケレン味たっぷりに演じるものだからたまらない。マメット自身が監督をつとめ、スティーヴ・マーティンが煮ても焼いても喰えない詐欺師を演じる『スパニッシュ・プリズナー』(97年)でもそうだが、『GGR』の映画版(92年、邦題『摩天楼を夢見て』)では、アル・パチーノ、ジャック・レモン、ケビン・スペイシー、アレック・ボールドウィンが口八丁手八丁のセールスマンになりきって思い切り楽しそうに演じている。生き馬の目を抜く不動産業界で、利用できると踏んだ人間はたらし込み、相手の隙をうかがってふんだくる、どう見てもヤクザな連中でしかないのだが、彼らはその有無をいわさぬ演技力で、マメットが描く悪の魅力を存分に見せてくれる。

だが、マメットがひねくれていると言うのは、予想通りには決して展開しない物語や一筋縄ではいかない人物たちを得意としているからだけではない。マメットといえば男くさい芝居という評価が定着していた90年代、フェミニスト演劇研究者からマメットは「女ぎらい」だと非難されたことがあった。99年、マメットは女性たちを主役に騙し騙されあう『ボストン結婚』(Boston Marriage は、19世紀ニューイングランドでレズビアニズムの隠語として用いられた)を書いて意趣返しをした。あるいはアメリカ演劇でセールスマンといえば、演劇史に燦然と輝くアーサー・ミラー『セールスマンの死』(49年)のウィリー・ローマンのことがまず思い浮かぶような状況のなかでマメットが『GGR』を書いたことを考えてみてもいい。ミラーによって「普遍的な人間の悲劇」だと定義されたローマンの境遇に私たち観客は涙するが、同じく尾羽うち枯らした初老のセールスマンでありながら、『GGR』の主役レヴィーンの悪辣非道ぶりに同情できる要素は少ない(ちなみに映画版でレヴィーンを演じたジャック・レモンは、あまりにも演技が達者すぎて哀れを誘うので、ある研究者はレヴィーンが「ローマン化」されているといって批判している)。ローマンの悲劇のようなものを期待して足を運んだ観客が唖然としているのを見て、してやったりとほくそ笑んでいるマメットの顔が思い浮かぶ。

換言すれば、マメットという人は天性の天の邪鬼で、大方の人のものの見方に正面切って「ノー」を突きつけるのが好きなのだ。1991年、最高裁判事クラレンス・トーマスによるセクシャル・ハラスメントがアメリカ社会の大きな話題となった翌年に発表された『オレアナ』の筋立ては、大学教授に対する女子学生のセクハラの訴えが、成績の悪い女子学生によるねつ造だととれるものになっていて物議をかもした。2008年、「良心的な」ユダヤ系の劇作家ならばリベラルな民主党の支持者であることを期待されているアメリカにおいて、民主党は「脳死」したという理由で保守的な共和党の支持に鞍替えすることを発表して、多くの進歩派知識人の反感を買った。

とはいえ、マメットはたんに斜に構えているわけでもない。マメットはエンターテインメントを提供しながら、同時に私たち観客にもっと想像力を働かせてみろ、と挑発している。たとえば冒頭に引用したセールストークを、私たちはわずらわしいとは思っても、電話口の向こうの相手がどんな人間で、どんな生活を送っているのかを想像することはめったにない。既存の社会的価値観にどっぷり浸かりきって生活している私たちが思いもよらぬ—あるいは考えることを無意識に拒絶している—ものの見方や、自分たちとは異なる人々の生活を観客の目の前に提示することで、私たちにもう一度考えさせること。ギリシア悲劇以来、良質の演劇が与えてくれるそのような体験をマメットの戯曲もまた提供しているのだ。

(『GGR~グレンギャリー・グレン・ロス』2011年6月・天王洲銀河劇場パンフレット)