論文の構造はきわめて単純で、
通説の否定(SはAではない)
その理由(なぜなら…だからだ)
自説の主張(SはじつはBである)
その理由(なぜなら…だからだ)
というものです。
(例)アメリカ演劇にリアリズムを持ち込んだのはユージン・オニールではない。オニールはむしろメロドラマの作家であった。
しかしふつうは
「(通説)というのは誤っている。(自説)が正しい」
というように声高に主張することはできません。
通説の誤りが誰の目にも見て明らかであるときはこう言えますが、たいていの場合、通説はある程度説得力を持っているから通説になるのです。また、自説がきわめてオリジナルなものであれば人はなかなか納得してくれないでしょう。
したがって、自説の主張とは、通説の正しさをある程度認めたうえで、それを修正する、というかたちになることが多いのです。具体的には以下のような方法があります。
適用範囲を限定する
そのような場合には
「たしかに(通説)にも見えるが、しかし(自説)とも考えられる」
「なるほど…のときには(通説)ということは言えるかもしれないが、…のときには(自説)である」