安部豊:曾我廼家五郎と語る 

 曾我廼家五郎の家は牛込南榎町十九番地所在で、三四度も念入りに聞かねば、判りそうもない横町の、ひどく奥まつた路次の中央三尺巾位がズーツとになつているので、入口から眺めると芝居の花道の感じがするその七三辺に純日本式の門があつて、柱には墨痕鮮やかな『和田久一』の表札が掛かつている。それを入つて左側に洋館の応接室を見て玄関口に立つと、正面の楣間にの書『笑中諷刺』の扁額が第一に目につく。艶々と拭込んだ階段を上ると、十畳と八畳の明るい座敷があつて、十畳の真中に長さ一間位な机があり、浴衣着の主人公彼氏が何か書いている。次の間には、若い洋服の青年二人と、顔馴染の文藝部員角松一理君とがいて書類の整理をやつていた。

『これはこれはようこそ、次狂言を書いているところで、えらう失礼しました。』

 彼氏はしながら煙管の筒入のやうな極めて膨大な万年筆を前に置いた横には一合も入りそうな硝子製のインキスタンドがあつて、赤とブリユーとが陽を透して綺麗に見える。

 机上には全国名所案内の本が二冊と大會社の原簿の如き厚さ二寸位の総クロース仕立ての大冊が三部重ねてある。背の金文字を見ると『復案帳』とあり下の方には彼氏のペンネーム『一堺漁人』の四字も目に入つた。

『これは妙な大冊ですね・・・・』

 こう切出すと、彼氏はニタニタと笑つて、舞台で女を見るやうな空目をつかひながら其本を出してサラサラと頁を繰つた。

『私の米櫃だす、ネタを書込んだ備忘録だす。折にふれ、時に応じて見聞した社会の出来事、森羅万象を記した元帳だす。失礼ながら御覧下さい。随分怪體なもんだすに属するものもたんとおますが横線を引いた所は既に脚本に採用したものだす。次から次にニユースが出来るので復案帳が三冊になりました。この本だすか之は贔屓のお方が気を利かして、同じものを七冊拵へてくれました。五郎の芝居は、凡て此本の中から生れて来るといふ訳だす。』

 彼氏が大阪弁と東京言葉とを混同して本を見せるので、試みに中の一説に目を移すと、

 『長野県東筑摩郡某村の何々は村の模範青年で、召集前に五百円の貯金ありしが、上海に勇名を馳せて凱旋して見ると虎の子の五百円は全部費消されてある事を知り、憤激のあまり過つて罪を犯し、遂に囹圄の人とならんとした。青年の愛人は自ら犠牲となつて青年を救はんとした。・・・・このところ愛人の活躍必要なり・・・・。

 こんな端的な記事がその復案帳に充ちみちている。中にはペンで絵まで書込んである。

『私は寝てる時も、湯に入つている時も絶えず芝居の事を考へていますさかい、フイと良い考へが浮かびますと、直ぐにそれを記すため、手帳を離したことはありません。』

 彼氏は古い手帳の話を持出して周到なる用意のほどを語つた。

『今日まで書いた脚本はどの位いありますか。』

『そうだすな、全体で七百程ありますが、実際の脚本は三百七十位で、他は筋書だす。』

『こんなに豊富な材料があれば訳なく書けるでせうね。』

『書けます。この復案帳の事件をうまく引伸ばすのですから仕事は早く進みます。今度出した四つの新作は八月四日から取掛つて十八日に書上げましたから、一つの脚本に三日半を要したことになります。』

『一番書ける時は昼間ですか夜ですか。』

『いつでも同じだす。書掛けたら断じて動かぬ習慣で、握飯としびんを横に置いて、このまま用を足します。今日から又始めますので片つぱしからさす為文藝部の者が二人来ていますが、私の方が早いので、あの先生方弱つてます。』

 こう話している内に次の間にいた二人が来て彼氏の横に座つた。彼氏は、彼氏の記事の載つているジヤパンタイムスと、それを翻訳した原稿とを出し、エヘンと一咳して、批評を始めた。

『お前の方は大体の事が判るやうに訳してあるが、こちらは文章通りに訳してあるから一寸廻りくどいね。学校の答案なら此方が良えか知らぬが、実際としては感心出来へん。』

 二人の大学出の青年は彼氏から種々と話を聞かされたり注文を出されたりして、その手足の如く忠実に働いていた。

『愉快でせうね、こうして自分で書いたものを自分で演ずるということは・・・。』

『実に無上の愉快で御座ります。このプアな五郎の頭から割出したものを、ああして自由に演らして貰うことは全く何とも云へぬよろこびです。私は常も思ひます、凡そ日本の劇界で、私程幸福な者は他になからうといふことだす。先づ考へても御覧じませ、松竹は初日の出るまで狂言全体は私に任せきりで、初日が出るまでは、如何な内容の狂言であるか少しも知らないのです。大谷さんが初日に見られて、辛いとか、甘いとか一寸云はるる位いの事で、何の干渉もありません。徹頭徹尾五郎独自の見解で、誰にも相談せずに自分一人で決めて、それを自由自儘に演ずのだす。渾身の熱意を以て自分の思ふ事を無遠慮に舞台から大衆に呼かける時の心理は、とても言葉や筆には現はされません。私は之あるが為に脚本が書け、グングンと押切ても行けるのです。議政壇上から叫ぶところの名士の演説には、常に反対的の意思表示があつて、中には妨害されて立役生の浮目に遭ふ者もありますが、私の呼びかけるそれには誰一人として『五郎間違つている』と反対の言葉で差止めた者は嘗つてありません。一日平均千人位の人々に自分勝手な事を云つて、思ふ存分に振舞ふ事の出来るのは、実際幸福と思ひますね、先づ芝居道始つて以来、此幸福を独占しているのは私一人ぢやないかと思ひます。ほんまにありがたいことで御座います。』

 彼氏は額の汗を拭きながら、こうした幸福に浸り得るのは、平素信仰する天神様のあかげである・・・・と云つて心から神に感謝の意を捧げていた。

『現在座員の数はどの位いありますか。』

『俳優は四十六人で、文藝部が六人、衣装、床山、舞台係等計■五人だす。』

『あなたの弟子は全体どの位いありますか。』

『直門は三百人を一寸出ていますが、傍系を加へますと千人以上と思ひます。』

『弟子の筆頭は誰ですか。』

『故人中島楽翁で、それから故人箱王、蝶六といふ順序だす。』

『あなたの一座はよく統制が保たれていますね。』

『エエ割合にうまくいつてます。全然独裁主義だすよつて、一人でも反対の行動に出る者は、忽ち馘首にします。併し末輩の意見でもよく聞いて、正邪を判断し、是と信ずれば直に翌日から其説を納れて改める事にしています。

 何分私の自作自演には、私の手足の如く働いてくれる座員でないとよう芝居が出来まへん。その代りどんな不景気な時でも生活は保証してあります。私の芝居は毎年夏一ヶ月しか休みません。昨年などは東京で七ヶ月、大阪と京都、名古屋で四ヶ月でした。座員は皆よく働いてくれますので、之が第一の強みだす。』

『あなたの芝居は最初から何度位い其方針が変つていますか。』

『左様、明治三十六年十二月と共に第一歩を踏出して、二輪加式の他愛ないものを始めましたが四十一年頃に形で現はすやうになり、四十三年頃になつて、筋を主とし、白粉をつける事にしましたところ、十郎はそれに大反対で、「そんな事は新派がやつてをる、曾我廼家は元通り形で見せるもの・・・・」と云つて断固として説を曲げません。そして約一年間十郎だけは例のボテ鬘で通したものだすこんな意見の相違からして遂に四十五年に十郎と分れて、私は二年程洋行したわけなんです。』

『で、今後はどういふ主義方針で進みますか。』

『私は営業者ではないが然し、一座を有つている以上、営業者の意思を充分忖度して、自然大衆に適合するものを演ずることを第一義と心得て居ります。無論、忠孝、博愛、信義等に関するあらゆる世の諸相を写して社会の改善に意を注ぎたいと思ひます。』

『技藝者として、自分の思ふ通りの、より高踏的な芝居を演りたいとは思ひませんか。』

『そりや、おつしやるまでもありません。実際ウヅウヅしてをるのですが、現在の境遇ではそれは許されません。もし私に五百万円程の金があつたら、百万円で劇場を建て、百万円を流動資金にし、三百万円を貯金にしてその利子を以て座員の生活を保証し、客が来ても来なくてもそんな事には頓着なしに、自分自身の欲するままの芝居を演つて見たい・・・・といふのが私の唯一の念願だす。』

『それなら金を拵らへることにしたらいいぢやありませんか。』

『ところが私には金が貯りません又貯めようとも思ひません。先年五九郎が浅草好景気時代に私の処に来て『先生の體を私に任せて下さらんか、今の世は金で萬事が解決されるさかい、今のうちに金をつくつて置きなはれ・・・』と盛にモーシヨンをかけられた事がおます。その頃の五九郎は何でも花道を一足歩けば三十円になるとか云ふ位でしたから、一晩に三千円位の収入があつたのでせう。私には五九郎の様な真似は出来まへん。』

『この頃は女共と遊びたくはありませんか。』

『遊びごとは大好で、実に遊びたうでたまりません。時間がない為に遊べないのです。三十分でも都合がつけば、十分間は客に逢ひ、十分間は飯を喰べ、十分間は藝者を招んで貰う・・・といふ考へですが之も思ふやうになりまへん。人間は遊ぶ事を忘れるやうになつたらお仕舞ひだす。外に何の道楽もありませんから、私は大に盛に遊ばうと思ひます。それは私は連中をつくる心配がないから、従つて客先や花柳界方面に義理廻はりの必要もありません。偶に仲の良い友達二三人を訪問するのが関の山です。』

『あなたは先日来京したチヤプリン問題ではつむじを曲げていた様ですが、あれはどうなんです?』

『別につむじを曲げたと云ふのぢやありませんが、喜劇では私の方が先輩ですから、横浜に迎ひに行く事も、ホテルに訪問といふ事も差控へたのだす。併し外国で国賓待遇された人ですから、我国の人も大に歓迎してやるがよいと私は云つたのだす。其後チヤプリン君が演劇場に来ましたから誠意を以て迎えました。富士ヤマの合作などをして愉快に談じました。只私は日本の喜劇役者の軽々しからぬ態度を示したに過ぎないのです。』

『チヤプリンは近来余り振はぬやうぢやありませんか。』

『あの人の長編『街の灯』は、かなり有名なもので私も見ましたがあれは喜劇でなくて一種の悲劇です。喜劇役者が悲劇を演ずるやうになつてはもうお仕舞です。あの作はチヤプリンの行詰つた事を証拠だてるやうなものです。私はチヤツプリンの顔に一抹の暗い影を見出して悲しく思ひました。あの人は矢張り破れ靴を履いてよちよち歩くべき人だすな。』(つづく)

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