藤井康生「演劇に学会は可能か ̶ 演劇とコミュニティの問題にふれて ̶」(2009年度演劇学会全国大会特別講演)

あいかわらず藤井さんのお話は面白い。いくつかメモ。

60年代革命前後で演劇共同体が崩壊する

演劇の共通感覚(sens commun)演劇を中心にした一つの文明の終わり

フランス60年代演劇革命以前には、歌舞伎の拍子木と同様、幕を上げる合図があった

細かく打っていって、最後の三拍をゆっくり打つ、最後は強拍

今ではコメディフランセーズもオープンシアターなので無理

ベケット『ゴドーを待ちながら』のト書き

「幕を上げる」が三回書かれ、最後がゴシック体になっている

幕上げの合図に対応しているのではないか、という論文を書いたが、相手にされなかった

60年代から70年代にかけて12月7日のミラノ・スカラ座の初日には、盛装してきた観客に卵をぶつけるのが年中行事になっていた

オペラの盛んな国はファシズムを生む

歌舞伎・宝塚(ハーケンクロイツを舞台にかけた戦争演劇の最たるもの)

「良識」派:言葉を基礎にした演劇共同体

感覚的な、目と耳を楽しませる演劇共同体

パリはオペラ座・ガルニエとコメディフランセーズが向かい合わせに立っており、その二つの劇場を中心に町が広がっている:文化の象徴的なありかたを示す

演劇:介在者(interpreter)、代理人を必要とする芸術:音楽も同様に演奏家を必要とする

ウィーン:ブルクテアターは60年代ぐらいまでは拍手を禁止していた

役者はただの介在者に過ぎない:(たいていは死んでしまった)作者に敬意を表するのはよいが、たかだが介在者に拍手してはならない

バイロイト:パルシファルもかつては儀式であるがゆえに拍手が禁止されていた

演劇とは間接民主主義の表現形態である

現代は間接民主主義が機能不全に陥っている

間接民主主義は共同体が必要

直接民主主義には共同体は必要ではない

演劇とは間接民主主義の共同体の共通感覚をもとにしている

演劇研究:共同体の感覚が喪われた時代にあって、文献学的な研究になっていく

実体としての演劇とどう接点を持っていくか

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