Author Archives: khibino

第一劇場の『マツ』(一九二九):逆輸入版の「寺子屋」

『菅原伝授手習鑑』(寺子屋)は忠義のために自分の息子を殺すというその内容ゆえにか、20世紀前半にドイツをはじめとする欧米各国で翻訳され、上演された。またM・C・マーカスによる英訳台本「マツ」は1929年9月に大阪・浪花座 […]
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渋谷天外の筆名について

大槻茂『喜劇の帝王 渋谷天外伝』(小学館文庫・一九九九年)は浩瀚な資料を渉猟し、遺族や松竹新喜劇・家庭劇関係者にも丹念に取材した労作だが、三代目天外に直接取材したとおぼしき箇所では三代目天外の誤解を鵜呑みにして書かれてい […]
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坪内逍遙の「アマチュアリズム」:「手仕事」としての学問

津野海太郎『滑稽な巨人 坪内逍遙の夢』(平凡社、二〇〇二年) は早稲田出身者によって祭り上げられてきた感のある坪内逍遙の偶像破壊に一役買った。これと、以下の戸板康二『対談日本新劇史』に収録されている秋田雨雀の評言、そして […]
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館直志『わてらの年輪』(一九六四)の盗作疑惑について

『さらば松竹新喜劇 天外・寛美と過ごした日々』(情報センター出版局、一九九三年)は、一九六〇年から六七年まで松竹新喜劇学芸部に所属し、脚本を執筆した藤井薫(一九三三〜)による内幕暴露もの。中でも注目すべきなのは、天外のペ […]
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かたばみ座の意義について

…かたばみ座に「若いお客さんの歌舞伎研究の一助」という意識があるとは知らなんだ。しかしそのこととは別にして、この新聞記事を書いた記者がどこまで演劇に詳しかったのかはよくわからないな。松竹の息のかかってない在京劇団って、前 […]
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Welcome to Tanino’s Hallucinatory Theatre

An English program notes prepared for Niwagekidan Penino’s “The Room, Nobody Knows,” toured in Luzern, S […]
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馬生における超自我

「かたり」と「はなし」の往還運動が落語の本質だが、「はなし」で自意識を持て余す落語家は多い。談志は枕で自意識を相対化する視点を同時に語ってみせ、すぐさま「かたり」に移ることでこの問題を解消した。志ん朝にもそういうところは […]
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「えんげきのぺーじ:一行レビュー」再録:1999年

12/ 3-12/23「雪やこんこん」(こまつ座)@紀伊國屋ホール ★★★★ 12/21 「さあどうだ見てくれ、感動してくれ」と客と対決する「西欧型」の演劇ではなく、いつの間にか懐に入り込んで武装解除してしまう。よくも悪 […]
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「えんげきのぺーじ:一行レビュー」再録:2000年

12/20-12/31「さよならだけが人生か」(青年団)@こまばアゴラ劇場 ★★★★ 12/22 「東京ノート」や「ソウル市民」のようなマスターピースとはまた違った味わい。初期平田の方法論だった「リアリズムもどきの気持ち […]
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「えんげきのぺーじ:一行レビュー」再録:2001年

10/ 5-10/ 9「ファイナル・ファンタジー」(劇団本谷有希子)@THEATER BRATS ★★★  10/08 文学的(演劇的ではなく)主題と展開に驚く。ニヒリズムの問題を宮台的に処理した如才のなさにむかつく人が […]
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