『日本表象の地政学: 海洋・原爆・冷戦・ポップカルチャー』韓国語版が出版されました

アジア太平洋研究プロジェクト「近代『日本』」の表象形成と環太平洋の地政学」(2010〜2012年度)の成果物として、遠藤不比人編『日本表象の地政学: 海洋・原爆・冷戦・ポップカルチャー』(成蹊大学アジア太平洋研究センター叢書)は2014年3月に彩流社より出版されましたが、2014年12月韓国で漢陽大学東アジア文化研究所研究イ・ギョンヒ教授の翻訳により、漢陽大学出版部より翻訳出版されました(『일본 표상의 지정학 : 해양.원폭.냉전.대중문화』ISBN: 978-89-7218-460-7)。オンライン書店yes.24の本書ページはこちら。Google翻訳で日本語にしたもののリンクはこちらです。

合衆国における「労働」の文化表象:2014年度第3回研究会のお知らせ

成蹊大学アジア太平洋研究センター・共同研究プロジェクト:合衆国における『労働』の文化表象(プロジェクトリーダー:下河辺美知子、研究分担者:日比野啓・権田健二・岡田泰平)では、講師に源中由記(東京藝術大学)氏を迎え、2014年度第3回研究会を以下の要領で実施します。

日時 2015年3月30日(月)17:00〜19:00 場所 成蹊大学10号館2階第二中会議室

芸術作品における価値と労働————米国のクラブ・ミュージック史を中心に

 芸術作品あるいは「作品」にかぎらず人工物一般の「価値」が評価されるさい、その「価値」はそこに投下された「労働」の価値として解釈される。そうであるならば「評価」の行為とは「作品」を(あるいは、その他の人工物一般を)「労働」の表象として解釈する行為である。ある作品がすぐれた作品であると考えるものは、その制作過程における作者の労働が質的・量的にすぐれていると評価しているのであり、逆にその作品が過大評価されていると考えるものは、作者の労働の質・量が作品の評価に見あわず低く、ゆえに作者は「不労所得」を得ているのだと批判していると考えられる。
 人力で演奏される代わりにプログラムされた自動機械によって演奏される音楽作品(「打ち込み」による電子音楽)、あるいは過去の音源を素材として「サンプル」する音楽作品(ヒップホップ)、あるいは過去の音源の再生を素材として演奏する音楽作品(「DJ」)といったクラブ・ミュージックの評価はそうした(素朴な)労働価値説によって低い評価をあたえられてきた歴史をもち、ゆえにそれらの音楽作品を(再)評価するこころみもまた同じ労働価値説に沿って、それらの作品を質的・量的にすぐれた労働として(再)表象するこころみになると考えられる。本発表では米国クラブ・ミュージック史のいくつかをそうしたこころみの一環として再読し、芸術作品の制作および評価の行為における価値と労働の定義の変化・不変化について考えたい。七〇年代から八〇年代前半を中心に見る予定。

源中由記 専門は米国文学・文化、おもに二〇世紀後半以降。論文収録書に「Games People Play 『八月の光』におけるジョーと南部の権力ゲーム」『アメリカン・テロル 内なる敵と恐怖の連鎖』(彩流社、2009年)他。雑誌論文に「Who Hates the Bo(b) Dy(lan) Electric? ボブ・ディランの電化を語る政治・文化・歴史の言説」『現代思想 総特集ボブ・ディラン』(2010年5月臨時増刊号)他。

合衆国における「労働」の文化表象:2014年度第2回研究会のお知らせ

成蹊大学アジア太平洋研究センター・共同研究プロジェクト:合衆国における『労働』の文化表象(プロジェクトリーダー:下河辺美知子、研究分担者:日比野啓・権田健二・岡田泰平)では、講師に上原正博(専修大学)氏を迎え、2014年度第2回研究会を以下の要領で実施します。

日時 2014年9月26日(金)16:00〜18:00
場所 成蹊大学10号館2階第二中会議室

アメリカ文化における労働——『レミーのおいしいレストラン』から『白鯨』へ

 労働のあり方は技術の改良に合わせて変貌してきたと言える。技術とは身体から外部へとモノ化した労働の知識であり、技術によって我々は労働と余暇といった時間区分を与えられ、生活のあり方を変えてきた。技術は向上心と効率性を示すことで美化される一方で、怠惰な時間を増加させるものにもなる。技術に基づいた労働では成果の計量化が促進され、計測できない時間を怠惰と名づける。怠慢に見える余暇を隠蔽しようとする作用が消費社会の誕生を促したとするなら、消費社会の行き詰まりは余暇をもてあます退屈な時間が増すことを予想させる。これがまた労働のあり方を変えていくものとなる。
 本報告では、上述したような「技術」、「労働」、「余暇」をキーワードにして、アメリカ文化における労働の表象を考察してみたい。まずは、ディズニーに配給されたアニメーション『レミーのおいしいレストラン』に、技術による労働の外部化作用をみて理論的な概念を導入したのち、21世紀に向かうのではなく19世紀に舞台を変え、メルヴィル作品のいくつか(『タイピー』と『白鯨』)に労働の姿を求め、間接的に21世紀現代における労働の問題を考察してみたい。

上原正博
専修大学教員。専門は、アメリカ文学、主に19世紀小説。論文に “When a Voice Becomes a Character: Questioning a Northwestern-Newberry Library Emendation of Chapter 114 in Moby-Dick“(Sky Hawk: The Official Journal of the Melville Society of Japan, 2013)など。

どなたにも無料でご参加いただけますが、会場整理の都合上、開催日前日までにhibinoあっとまーくfh.seikei.ac.jpにお名前と(あれば)ご所属をお書きのうえ、お越しの旨をお知らせ下さい。

合衆国における「労働」の文化表象:2014年度第1回研究会のお知らせ

成蹊大学アジア太平洋研究センター・共同研究プロジェクト:合衆国における『労働』の文化表象(プロジェクトリーダー:下河辺美知子、研究分担者:日比野啓・権田健二・岡田泰平)では、講師に舌津智之(立教大学)氏を迎え、2014年度第1回研究会を以下の要領で実施します。

日時:2014年7月26日(土)16:00-18:00

場所:成蹊大学10号館2階・第二中会議室(変更の可能性あり)

『ダンボ』と労働――ディズニーの人種/階級表象

映画『ダンボ』が公開される数ヶ月前の1941年5月から6月にかけ、ディズニー・スタジオ内の労働組合が、全従業員の少なくとも3分の1が参加したと言われる大規模なストライキを行った。経営者のディズニーはむろん、組合の指導者たちを共産主義者だと批判し、映画『ダンボ』はその間、ディズニーを支持するクリエイターたちによって仕上げられた。こうした時代背景は、作品中にいかなる刻印を残しているのだろうか。興味深いことに、『ダンボ』は、その舞台となるサーカスのいとなみを、労働として描いている。テント張りの重労働を担うのは黒人の雑役夫たちであるし、雇われている道化たちは、団長に賃上げを要求しようと楽屋で話しあう。ストライキで苦汁をなめたディズニーは、こうした労働者たちを皮肉に描き出す一方で、同じく一労働者として弱い立場に置かれた子象の苦悩にも寄り添っている。大恐慌の余波に揺れながら、愛国的な戦争へと突入した時代を映す『ダンボ』という作品が、人種的/階級的な弱者をすぐれて両義的なかたちで浮き彫りにする、その表象戦略を歴史的かつ審美的に検証したい。

舌津智之 立教大学文学部英米文学専修教授。専門は、モダニズム文学、日米大衆文化、ジェンダー批評。著書に『抒情するアメリカ――モダニズム文学の明滅』(研究社 2009年)、『どうにもとまらない歌謡曲――七〇年代のジェンダー』(晶文社 2002年)、共編著書に『抵抗することば――暴力と文学的想像力』(南雲堂 2014年)など。

どなたにも無料でご参加いただけますが、会場整理の都合上、開催日前日までにhibinoあっとまーくfh.seikei.ac.jpにお名前と(あれば)ご所属をお書きのうえ、お越しの旨をお知らせ下さい。

合衆国における「労働」の文化表象:2013年度第3回研究会のお知らせ

成蹊大学アジア太平洋研究センター・共同研究プロジェクト:合衆国における『労働』の文化表象(プロジェクトリーダー:下河辺美知子、研究分担者:日比野啓・権田健二・岡田泰平)では、講師に南修平(長野県短期大学)氏を迎え、2013年度第3回研究会を以下の要領で実施します。

日時:2014年3月2日(日)16:00-18:00

場所:成蹊大学10号館2階・第二中会議室

マスキュリニティとその揺らぎ―ニューヨーク市における女性建設労働者―

アメリカにおいて建設労働者はブルーカラー労働者の代表格である。目もくらむ高さの梁の上を平然と歩く労働者たちは、タフさと熟練技能を有する男の象徴と見なされてきた。しかし、1978年以降その現場に女性が進出し始める。もはや建設現場はハードハットをかぶった筋骨隆々の男たちが占有する場所ではなくなったのか。様々な背景を持つ女性たちと現場の男たちの攻防を通じてアメリカにおける肉体労働の意味とその変容を検証する。

 連絡先:taiheiokada あっとまーく gmail.com(メール)

 

合衆国における「労働」の文化表象:2013年度第2回研究会のお知らせ

成蹊大学アジア太平洋研究センター・共同研究プロジェクト:合衆国における『労働』の文化表象(プロジェクトリーダー:下河辺美知子、研究分担者:日比野啓・権田健二・岡田泰平)では、講師に三浦玲一(一橋大学)氏を迎え、2013年度第2回研究会を以下の要領で実施します。

日時 2013年7月27日(土)14:00〜16:00(予定)
場所 成蹊大学10号館2階第二中会議室

“ポストモダン・ロマンスと労働――O’Brien, Carver, Pynchon”

テーマは頂いたものだが、文学における労働の表象がここ最近の私自身のテーマなので、幸運を感謝しつつ、これまでの仕事をまとめさせていただければと思う。
1)ポストモダン・ロマンス
アメリカ文学史はある意味労働の隠蔽の歴史だが、その隠蔽の仕方は時代によって異なる。一九八〇年代――それは、センセーショナル・ノヴェルの研究とリアリズム小説が(一瞬)流行った時代であった――に、新しい隠蔽の形式が現れ、それはポストモダニズムなので、ポストモダン・ロマンスと呼びたいと思う。
2)アメリカン・ロマンスからポストモダン・ロマンスへ
この呼び名の意味は――単にポストモダニズムでも良かったのだが――この形式が、一九五〇年代冷戦期に立ち上げられた、アメリカン・ロマンスという概念――反リアリズムで、破天荒で、社会なき世界における想像力を重視する小説の形式――の、ポストモダニズム下における変容だという点にある。思えば、アメリカン・ロマンスも、それ以前の一九三〇、四〇年代に流行した自然主義小説の排斥の流れであった。
3)ポストモダン・ロマンスの特徴 ①
ポストモダン・ロマンスの特徴の一つは、歴史の記憶への置換である。それは、記憶/トラウマ、アイデンティティ、多様性、イノセンスといった用語で記述される。その特徴を、Tim O’Brien The Things They Carriedに見たいと思う。
4)ポストモダン・ロマンスの特徴 ②
歴史の記憶への置換は、シニフィエはシニフィアンによって封じ込められているという言語観に基づいた、脱構築的リアリズムとでも呼ぶものを導くことになる。オブライエンの作品もそうだが、当時の「ミニマリズム」の旗手であったレイモンド・カーヴァーの作品にそれを見たい。Raymond Carver “Cathedral,” “A Small, Good Thing,” “What We Talk About When We Talk About Love.”
5)ポストモダン・ロマンスの特徴 ③
このような特徴を、生の金融資本化というイメージから、ある意味、見事に定着したのが、Thomas Pynchon, Vinelandである。この作品は、この時期にいわゆるポストモダン小説の意味が変容したことを示しながら、「新しいリアリズム」の意味と可能性を提示するだろう。cf. Titanicのsurvivalism

参考文献
「コロスは殺せない——カーヴァーの名付けられないコミュニケーション」平石貴樹、宮脇俊文編 『レイ、ぼくらと話そう——レイモンド・カーヴァー論集』 (南雲堂), pp 135−155. 2004年.
「病とヒッピーと新自由主義——トマス・ピンチョン『ヴァインランド』」『アメリカ研究』(アメリカ学会)第45号, pp 39-56. 2011年.
「労働者のアイデンティティ・ポリティクスにむけて――九〇年代を考える」『言語社会』(一橋大学言語社会研究科紀要編集委員会)第7号, pp 123-137. 2013年.
「アメリカン・ロマンスからポストモダン・ロマンスへ——ティム・オブライエンの『かれらが運んだもの』」平石貴樹、後藤和彦、諏訪部浩一編『アメリカ文学のアリーナ――ロマンス・大衆・文学史』(松柏社), pp 355-84. 2013年.
「アメリカ文学における「帝国主義」?——『ハックルベリー・フィンの冒険』と児童文学の伝統」『マーク・トウェイン――研究と批評』(日本マーク・トウェイン協会)第12号, pp 20-27. 2013年.
「リスク社会化と『ポスト』フェミニズム」『アメリカ文学——日本アメリカ文学会東京支部会報』第74号, pp 15-25. 2013年.
「村上春樹とポストモダン・ジャパン――リベラル・グローバリズムのセカイ」『文學界』第67巻第7号, pp 178-221. 2013年.
三浦玲一編著『文学研究のマニフェスト――ポスト理論・歴史主義の英米文学批評入門』(研究社)2012年.
三浦玲一、早坂静香編『ジェンダーと「自由」——理論、リベラリズム、クィア』(彩流社) 2013年.

どなたにも無料でご参加いただけますが、会場整理の都合上、開催日前日までにhibinoあっとまーくfh.seikei.ac.jpにお名前と(あれば)ご所属をお書きのうえ、お越しの旨をお知らせ下さい。

合衆国における「労働」の文化表象:2013年度第1回研究会のお知らせ

成蹊大学アジア太平洋研究センター・共同研究プロジェクト:合衆国における『労働』の文化表象(プロジェクトリーダー:下河辺美知子、研究分担者:日比野啓・権田健二・岡田泰平)では、講師に新田啓子(立教大学)氏を迎え、2013年度第1回研究会を以下の要領で実施します。

日時 2013年6月25日(火)16:30〜18:30(時間は予定)場所 成蹊大学10号館2階第二中会議室

“Modern Domestic de race”――家内労働と生の境界

 「労働」とは、一義的には「生産活動」のことである。人間を「労働する動物」と規定したマルクスは、こう述べている。「動物はたんに直接的な肉体的欲求に支配されて生産するだけであるが、他方、人間そのものは肉体的欲求から自由に生産し、しかも肉体的欲求からの自由のなかではじめて真に生産する」。人間にとっての労働とは、つまり、生命維持のために必要を迫られた消費材の生産に留まらず、自己創発的で、自由な活動だというのである。自己発現という本来の価値を失った労働が、疎外という問題として立ち上がるのは、こうした文脈に他ならない。 私有財産が少数者のもとに蓄積され、労働が非対称的に商品化される資本主義体制への批判意識は、19世紀以降、多くのアメリカ作家たちにも共有され、疎外された労働者は、さまざまに表象されてきた。しかし後年、このパラダイムから、主婦の家事労働が抜け落ちていることが指摘されねばならなかったように、「家内労働」という特殊な形態は、自由と疎外に極限化され得ぬ労働の多義性を示しているように思われる。 本発表では、ハウスメイド、執事、女家庭教師など、さまざまな家内労働者を描いたHenry Jamesを中心とした小説家たちの作品を見ながら、一つの家族に濃密に係わり、なにがしかの親密性を分け持つ他者に託された「生の境界」を明らかにすることを目指したい。そのうえで、そうした文学表象をめぐる歴史的必然性や、「ケア労働」という現代的問題との連関性をも考察できれば幸いである。

テキストは

Henry James, What Maisie Knew,  The Turn of the Screw, and “Brooksmith”
カール・マルクス『経済学・哲学草稿』

を主として扱う。Dame Daphne du Maurier, Rebecca, Scott Fitzgerald, The Great Gatsby, Gertrude Stein, The Autobiography of Alice B. Toklas そしてThorstein Veblen, The Theory of the Leisure Class などについても言及するかもしれない。

新田啓子

立教大学文学部英米文学専修教授。専門は、19・20世紀アメリカ小説(モダニズム中心)、文化理論(人種・ジェンダー中心)。著書に『アメリカ文学のカルトグラフィ――批評による認知地図の試み』(研究社 2012年)、編著書に『ジェンダー研究の現在――性という多面体』(立教大学出版会 2013年)、訳書にトリーシャ・ローズ著『ブラック・ノイズ』(みすず書房 2009年)など。

 

 

 

どなたにも無料でご参加いただけますが、会場整理の都合上、開催日前日までにhibinoあっとまーくfh.seikei.ac.jpにお名前と(あれば)ご所属をお書きのうえ、お越しの旨をお知らせ下さい。

成蹊大学アジア太平洋研究センター・共同研究プロジェクト:(2013〜2015年度)合衆国における「労働」の文化表象

Cultural Representations of “Labor” in the United States
1970 年代以降、科学技術の進展や社会変化により労働の概念は拡大・変質した。 本プロジェクトでは合衆国における文化表象において、古くて新しいさまざまな形 の「労働」がどう扱われているかを探る。
Since the 1970s the concept of labor has undergone expansion and transformations because of technological advances and social changes. This project explores how new ideas of labor can be juxtaposed with classical ones in cultural representations in the United States.

プロジェクト責任者:下河辺美知子(成蹊大学文学部)
プロジェクト副責任者:日比野啓(2014年度のみ権田健二)
研究分担者:日比野啓(成蹊大学文学部)・権田健二(成蹊大学文学部)・岡田泰平(成蹊大学文学部)

若年失業者が増大し、NEET ならぬ日本語でいう「ニート」=「家事手伝い」の存在がクローズアップされる先進 国において、労働の義務の自明性は疑われるようになってきている。若者だけではない。労働集約産業の限界が 指摘され、BI(ベーシックインカム)の議論が最近高まってきたことは、勤労を通じて自己実現をはかり対価と して金銭を得るという人類の長年の慣行が、高生産性社会の今日において人類生存のための唯一の解では必ずし もないのではないかという疑いが生じてきたことを示している。他方、アメリカの社会学者 A・R・ホックシール ドが『管理される心―感情が商品になるとき』で提唱した「感情労働」の概念が一般にも広まり、労働の場にお いて人々が感情の抑制や鈍麻、緊張、忍耐を強いられていることに焦点が当てられるようになった。頭脳労働/ 肉体労働という従来の二分法にくわえて、「気働き」もまた労働であると見なされるようになった。
このように近年労働という概念は変質・拡大しているし、労働と結びついていたいくつかの概念(とりわけマル クス主義が問題としてきた疎外や搾取といった概念)もネオリベラリズムの言説が社会に浸透していくに従い、 見直しあるいは再解釈を迫られている。こうした認識のもと、合衆国における労働の文化表象を歴史的に考察す るのが本プロジェクトの目的である。たとえば 19 世紀アメリカで大流行する「感傷小説」は、主な読者であった 家庭の主婦たちに「感情労働」が自分たちに与えられた仕事だと認識させることで、男性のみが労働に携わると いう当時の通念に一撃を加えるものであるとともに、女性を一層家庭に縛りつけるものとなった。
本プロジェクトは、これまで労働だとみなされていない行為についての文化表象を労働の表象として包摂するこ とにくわえ、従来も労働だとみなされてきた行為についての文化表象を再検討することもその射程に収める。た とえば黒人奴隷の労働をはじめとして労働の強制は暴力をともなうが、メルヴィル『代書人バートルビー』は、 法律事務所で代書屋として雇ったバートルビーが次第に仕事を拒否し最後に警察という暴力が用いられても労働 より死を選ぶという結末を描くことで、労働と暴力の単純ではない関係を示しているといえる。プロジェクト参 加者の多くは 2007 年から 2011 年度にかけて行われた「アメリカの暴力」プロジェクトにおいて、アメリカの文 学・文化における暴力表象について研究を行った。アメリカ社会を成り立たせている重要な要素として暴力に注 目したこのプロジェクトの問題意識を引き継ぎ、人間にとって労働とは何かという根源的な問いを考えるために 本プロジェクトを実行したい。