合衆国における「労働」の文化表象:2014年度第3回研究会のお知らせ

成蹊大学アジア太平洋研究センター・共同研究プロジェクト:合衆国における『労働』の文化表象(プロジェクトリーダー:下河辺美知子、研究分担者:日比野啓・権田健二・岡田泰平)では、講師に源中由記(東京藝術大学)氏を迎え、2014年度第3回研究会を以下の要領で実施します。

日時 2015年3月30日(月)17:00〜19:00 場所 成蹊大学10号館2階第二中会議室

芸術作品における価値と労働————米国のクラブ・ミュージック史を中心に

 芸術作品あるいは「作品」にかぎらず人工物一般の「価値」が評価されるさい、その「価値」はそこに投下された「労働」の価値として解釈される。そうであるならば「評価」の行為とは「作品」を(あるいは、その他の人工物一般を)「労働」の表象として解釈する行為である。ある作品がすぐれた作品であると考えるものは、その制作過程における作者の労働が質的・量的にすぐれていると評価しているのであり、逆にその作品が過大評価されていると考えるものは、作者の労働の質・量が作品の評価に見あわず低く、ゆえに作者は「不労所得」を得ているのだと批判していると考えられる。
 人力で演奏される代わりにプログラムされた自動機械によって演奏される音楽作品(「打ち込み」による電子音楽)、あるいは過去の音源を素材として「サンプル」する音楽作品(ヒップホップ)、あるいは過去の音源の再生を素材として演奏する音楽作品(「DJ」)といったクラブ・ミュージックの評価はそうした(素朴な)労働価値説によって低い評価をあたえられてきた歴史をもち、ゆえにそれらの音楽作品を(再)評価するこころみもまた同じ労働価値説に沿って、それらの作品を質的・量的にすぐれた労働として(再)表象するこころみになると考えられる。本発表では米国クラブ・ミュージック史のいくつかをそうしたこころみの一環として再読し、芸術作品の制作および評価の行為における価値と労働の定義の変化・不変化について考えたい。七〇年代から八〇年代前半を中心に見る予定。

源中由記 専門は米国文学・文化、おもに二〇世紀後半以降。論文収録書に「Games People Play 『八月の光』におけるジョーと南部の権力ゲーム」『アメリカン・テロル 内なる敵と恐怖の連鎖』(彩流社、2009年)他。雑誌論文に「Who Hates the Bo(b) Dy(lan) Electric? ボブ・ディランの電化を語る政治・文化・歴史の言説」『現代思想 総特集ボブ・ディラン』(2010年5月臨時増刊号)他。

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